夢の旅6(夢26~夢30)

夢の旅6(夢26~夢30)

<夢26>「大学に入りなおしている夢」(8月10日)
<夢27>「職場で電話を取る夢」(8月14日)
<夢28>「レストランと女性の夢」(8月15日)
<夢29>「クライアントを待っている夢」(8月17日)
<夢30>「女性とパートナーを組む夢」(8月20日)






<夢26>「大学に入りなおしている夢」(8月10日)
 私は大学に復学している。最初の大学だ。中退しているので、私は残りの二年を通うことになっているようだ。若い人たちに混じって授業を受けている。やっていけそうな希望を持っている。周囲の学生とも良好な関係を保っているようだった。二年で終わるのが勿体ないような気がしている。授業科目を見て、本当に役立つような科目を選択するべきだということも考えていた。帰りぎわに、私は一人の女性と一緒に歩いている。彼女も学生のようだ。かなり密着して、二人で固まって歩いている。歩道橋のような階段を下りている。

(連想と感想)
 時期的なものも関係していると思うが、最近は年齢の若いクライアントと面接していることが多い。彼らと接していると、どこか私自身の青年期が刺激される感じがある。それが今回のような夢を見たことと関係しているだろうとは思う。
 夢の中での私は今現在の年齢の私として現れている。二十歳近く年の離れた人たちに囲まれているが、私は彼らと仲良くやっていた。私自身と私の青年期との折り合いがついていっているようにも感じられる。私自身の大学時代を振り返る(その時代に戻る)ことが、若いクライアントたちと良好な関係を築くうえでも大切なことなのだろうと思った。
 夢の中の二年に関しては、よく分からない。私の大学生活は二年で破綻したということを思い出す。また、二年後に卒業するということであるので、私が私の青年期を卒業するのにあと二年かかるということかもしれない。それは二年後でないとわからないことだと思う。ただ、残りの二年間、私は自分に本当に必要な科目だけを選択しようとしていることから、次のように考えることができる。私が本当に私にとって必要なことだけを追求していく限り、私は二年で何かを卒業するだろうということである。本当に必要なことと、そうでないこと、それほど必要でないことを、もう一度整理してみようという気持ちになっている。
 一緒に歩いている女性は未知の女性である。ここでは彼女は大学生である。私の大学時代は、女性関係においても多くの挫折を経験したし、その時代に私は自分の女性性を抹殺して生きていた(曖昧な表現だが具体例を挙げるのは気が引ける)ので、当時、抹殺したものをもう一度身近に寄せなければならないということかもしれない。
 この「やり直す」というテーマは、<夢24>の「合宿に参加する夢」でも見られたものである。ただし、どちらも今の私として「やり直し」をしているということが共通である。実際、私の心の中では「やり直し」作業が進んでいるのだろうと思う。その過程において、私は兄(兄イメージ)との和解、罪を背負った息子(子供)との関係回復、未知の女性(アニマ像)への援助などが現れてきているのだろうと思う。

(寺戸順司)







<夢27>「職場で電話を取る夢」(8月14日)
 職場で私は一人仕事をしている。デスクワークをしていて、他に誰もいなかった。お客もいないし、従業員もいない。黙々と一人で仕事をしている。
 電話が鳴る。取ると、相手は会社名と役職を述べた。男の声だった。私は何かの営業だろうと思った。相手の男は「そちらに女性はいるか」と尋ねてきた。その瞬間、これは営業の人ではないなと私は悟った。私は「女などいない、ここは私一人だけだ」と伝えた。相手の男は電話を切った。しかし、その場ではたまたま不在だったが、本当は女性はいたのであり、私は男にそのことを伝えるのが嫌だったのだ。

(連想と感想)
 前回が大学だったのに比べて、今回は私の職場である。若干、現実感のある夢であった。イメージよりも現実が今は強くなっているから、夢でも現実的な夢を見たのかもしれない。
 時々、「女性カウンセラーでお願いします」という男性からの問い合わせを貰うのだけど、大体夢で私が述べたことと同じような内容を伝えている。最近もそのような電話を取った。なぜ女性カウンセラーが望ましいのか私には理解ができないのであるが、それは女性カウンセラーはけっこう厳しいという私の個人的偏見があるためである。この偏見は、私が勤めていたクリニックにおいて培われたものである。女性カウンセラーの方が「父性的」であるというイメージを私は抱いているのである。
 それはともかくとして、夢では実は女性がいるのだということになっている。たまたま不在だっただけである。やはり、この女性、未知の女性を私は独占しようとしているのだろうか。

(寺戸順司)







<夢28>「レストランと女性の夢」(8月15日)
 行きつけの飲食店。レストランのような作りで、店長も出世したななどと考えていた。しかし、客は他に誰もいなかった。店長と従業員たちは奥でお喋りしている。私は嫌になって店を出る。入れ違いに何人かの客が入ってきたので、厨房にいる彼らに教えてやらなければならなかった。
 その後、一人の女性とばったり出会う。彼女は私の知人だった。彼女は何かの集会に出るということなので、私もそれにつき合うことにした。集会の席で、彼女が何か発言した。彼女の発言は他の人たちから散々にこき下ろされた。見かねた私が何か発言をした。私の発言は他の人たちの痛い所を突いたようで、彼らはそれ以上何も言わなくなった。
 私と彼女はその場を去る。道路を歩いている。坂道を下っているような感じだった。彼女は助けてくれたことに関して、私に礼を言う。私は「それなら、僕のことが好きだと言いなさい」と彼女に迫る。彼女は恥ずかしがって、言いたがらないが、何度目かに迫った時、彼女はぼそっと呟くように言った。私は満足だった。彼女の方も嫌がってるわけではなかった。その後も、私たちは並んで歩いた。さっきのレストランの近くまで来て、彼女はここに入ろうかと提案したけれど、私は「ここはやめておこう」と断る。

(連想と感想)
 集会でこき下ろされた彼女を助けたお礼に、私のことを好きだと言いなさいと強要する辺り、まるでセクハラではないかと思う夢である。
 人間、出世すると(成功すると)、堕落する(手抜き仕事をする)という私の偏見が夢でも出ている。この店長は、<夢14>の二階で明日オープンを迎えるという店の店長である。現実に私がよく行く飲食店の店長である。彼とは、店が繁盛すると何かが疎かになるなという話を現実に交わしたことがある。
この夢は、最初に私が店を出て、それから彼女と出会い、集会の場面を経て、再び店に戻るという循環するような構造をしている。三つの場面に分けることができる。一つ目が店での場面であり、それは前段落のようなエピソードと関連しているようである。
 二つ目の場面は、彼女と出会って、集会でのエピソードである。私の一言で、彼女をこき下ろしていた連中が言い返すことができなくなったのは、たとえ夢であっても痛快だった。私はやはりこの女性を保護しようとしている。彼女が人前に姿を現すと、人から非難されてしまうようである。私が彼女を人に会わせないようにしてしまう(夢25や夢27)のも、周囲から彼女が傷つけられるのを防ごうという気持ちのためであるようだ。彼女は攻撃され、傷つけられてしまう存在として、私には体験されているようだ。
 三つ目の場面は、集会の会場を後にして、二人で歩く場面である。セクハラ場面である。坂道を下っているという辺り、この関係がより深層で展開されているという印象を受ける。ここで私は彼女との関係を変えようとしている。彼女を私に引き付けておこうとしている。これはやはり独占ということではないかと思う。
 私が未知の女性、または夢の中で現れる女性友達を独占しなければならないのかということの理由が垣間見られる。つまり、彼女は常に攻撃されたり傷つけられたりしてしまう存在であるからである。それは、私の女性性(アニマ像)が、それだけ脆弱であり、傷ついているためであるのかもしれない。そこで私はこの女性(像)を、人目に曝さないように独占せざるを得なくなっていようだ。しかし、この独占は、一方で彼女の保護を意味し、関係を回復ないしは変えていくことを目指しているようだ。彼女が回復し、自由になっていくと、私はもっと楽になるかもしれない。

(寺戸順司)







<夢29>「クライアントを待っている夢」(8月17日)
 仕事場。私は次に来るクライアントを待っている。そこは私の仕事場であると同時に、私の部屋でもあった。次のクライアントのために、私は準備をしている。時間的に余裕がない。服を着替えるのに手間取っている。間もなく来るころだ。部屋のドアが開いた。私はクライアントが来たのかと思ったが、それは見知らぬ女性だった。初めはその人がクライアントだと思ったが、話をしていると、その人はただ問い合わせに来ただけだということが分かった。私は急いでいる上に、その女性が周辺的なことばかりを尋ねてくるので、私は相手にしていられなかった。次の約束があるからと言っても、彼女は帰ろうとしなかった。そして、どうでもいいようなことの質問攻めに私を突き合わせる。私はだいぶんイライラしていた。彼女が「じゃあ、心理士でもなんでもないんだ」と語った時、「私の資格云々ではなく、あなたが信用しようとしないことが問題なのだ」とはっきり言い返した。彼女は怒って出て行った。

(連想と感想)
 夢では、私が仕事の準備が十分にできていないことを示唆している。これは現実の私においてもあてはまる。
 未知の女性との関係が若干悪化しているようだ。ここでは彼女は私の準備を妨害する存在として現れている。そして彼女を怒らせてしまっている。夢の中の彼女は、まるで駄々っ子のようだった。私が時間がないと説明しても、一向に聞き入れようとしないし、自分の要件をあくまでも遂行しようとする。私はそれに耐えられず、付き合いきれない思いでいる。一方で、このことは、私が彼女にかかりきりになることを止め始めているということかもしれない。独占することから抜け出そうとしているのかもしれない。彼女は、私の仕事を妨害してしまっているが、私は仕事の方を優先しようとしている。これはより現実的な選択だと思う。

(寺戸順司)







<夢30> 「女性とパートナーを組む夢」(8月20日)
 雑然とした広場のような場所。もしくは広い部屋の中だったかもしれない。4人掛けのテーブルがあって、私はそこに腰かけている。正面に見知らぬ女性が座った。彼女が何か尋ねてきたので、私がそれに答える。その答えは彼女の疑問を晴らしたようだった。その後も、お酒のことなんかでいろいろ話し合ったが、私の言うことはどれも彼女に納得してもらえた。その上、いろんなことが分かったと言って、彼女は私にお礼を言う。私たちはお互いの同業者だったようで、コンビを組んでやっていかないかという話になった。私は彼女となら嫌ではないと感じていた。私たちは一緒に椅子に座って、最初のクライアントを待ち始めた。彼女はお酒を飲むということで、一緒に飲まないかと誘ってきた。私はできればそうしたいという気持ちになっていた。一度くらいなら禁酒を破っても許されるかななどと考えていた。

(連想と感想)
 女性との関係が一部回復したようである。今回の夢では摩擦は起きていないし、関係は良好である。
 夢の中のエピソードは、現実に私の女性友達との間で経験したことと似ている。私の女性友達は、私と知り合う以前に二人のカウンセラーと一人の精神科医に会っている。しかし、その臨床家たちは彼女の疑問に答えることができなかったと言う。彼女は私の説明がすごく腑に落ちるし、よく分かると言ってくれる。私は「初めから僕の所に来ていたらよかったのに」とよく言う。彼女の話から、その三人の臨床家が言っていることは私には理解できないことではなかった。カウンセラーは臨床心理学しか知らないし、精神科医はもっぱら診断学と薬理学をやっているという印象が私にはある。少なくとも、彼らはフッサール現象学からハイデッガーの現存在哲学、サルトルの実存哲学を勉強した人たちではなかったようだ。その哲学的動向から生まれた精神病理学(ミンコフスキーからビンスワンガ―、それからテレンバッハやブランケンブルグといった人たち)のことも知らないのだろうと思う。
 夢に戻ろう。私たちは新たに関係を築き、最初の一歩を踏み出している感じである。ここには保護するとか独占するとかいったことは生じていない。同じ仕事を強力して遂行するパートナーとしてお互いに存在している。この感覚は、私にはとても力強いものとして実感された。この実感が、現実の生活において同じように実感された時、私は内なる女性イメージとうまく関係を築くことができている、女性イメージと調和がとれている自分を発見するだろうと思う。この感じをよく覚えておこうと思う。
 夢では最後に一緒にお酒を飲もうということになっている。私は禁酒中だが、すこし戒律を解いてもいいかなと思っている。私が自分に対して課している戒律というものは、この女性像との関係によって、弛緩することができるのかもしれない。つまり、自分自身に対して厳格でなくなっていき、より自由に、無理なく自分の行動を律することができるようになるのかもしれない。

(寺戸順司)