夢の旅4(夢15~夢20)

夢の旅4(夢16~夢20)

<夢16>「兄と音楽の夢」(7月3日)
<夢17>「Pと働くことになった夢」(7月5日)
<夢18>「オブジェを分解する夢」(7月12日)
<夢19>「原っぱに一人佇む夢」(7月13日)
<夢20>「電車を乗り換える夢」(7月18日)






<夢16>「兄と音楽の夢」(7月3日)
 兄がカウンセリングを受けると言うので、私は先生を紹介した。先生の自宅まで一緒に行く。一軒家に入る。私たちはその一室にいる。庭では小さな女の子と父親らしき人物が遊んでいた。カーテン越しに窓からそれが見える。兄はその男性を臨床家だと思ったらしい。私はあの人はクライアントだろうと言った。兄が会うことになっている臨床家の先生は今は面接中だということを私は知っていた。兄は何かその臨床家のことで非難めいたことを口にしたようだったが、私はそれをたしなめる。
 私たちは二階に上がる。部屋にピアノが置いてある。兄がそれを弾く。私はもう一台のピアノ(但し、それはキーボードだった)で合わせて演奏する。兄がバックの演奏をし、私がメインのパートを演奏するといった感じで、兄は時々、私の指がすごくよく動くと感嘆した。
 その後、兄が音楽のコードのことについて尋ねてきたので、私が「D」コードを用いて説明する。一方、兄は自分の所属するコーラス団のことを話し、自分たちがいかに高度なことをしているかということを、他のコーラス団の楽譜と比較しながら演説する。私はよく分からないまま聴いている。

(連想と感想)
 寝苦しい夜を過ごした。寝ては目覚めを繰り返した。他にも夢を見たのだが、忘れてしまった。恐らく、そちらの忘れられた夢の方が重要なことを語ってくれていたのだろう。最後に見たのが上記の夢である。
 兄が登場するのは久しぶりだ。夢では兄がカウンセリングを受けるということになっている。私から見ると兄はもう少し自己の内面に目を向ける必要があると私は感じている。でも、私が兄のためにそれをするつもりはまったくない。この兄に対する現実の構えが夢でもそのまま表わされているようだった。
 臨床家もその人の家も、夢の中では私はよく知っていることになっているが、現実のものではなく、見知らぬ場所である。私が以前住んでいた家に雰囲気が似ているとは思うが、夢で見たような庭は現実にはなかった。その庭では女の子と父親が楽しそうに遊んでいた。その楽しそうな光景は家の中ではなく、外の庭にて展開されており、私たちはそれをカーテン越しに見ている。そのような幸福な光景はどこか別世界の出来事のようでもあった。平和な親子関係、家族関係は常に外側の世界で、私たちの間にはなかったように私は体験してきた。
 音楽は、私と兄との接点の一つである。それもとても大きな接点である。兄は、楽器を演奏することよりも歌うことの方が好きなようだ。コーラス団に入団しているわけではないが、大勢の人間で集まって歌ったり演奏したりするのは、兄の方が向いている。私は人と一緒に演奏したいと思わないし、歌うことには興味がない。夢の中でも、お互いの性格や性質がよく表れているなと思った。「指がよく動くな」と兄が感心するところや、音楽理論めいたことを私が兄に教えるところ、また兄の活動に私がまったく関心がないというところなど、微妙な現実感がある。
 音楽ということで言えば、前回の夢で路上ライブを始めた女性は、今回では私と兄がセッションのようなことをしているという形に変わっている。私自身は音楽がとても好きであり、実際へたくそなピアニストでもある。しかし、私の音楽活動が、いかに自閉的な活動であるかということが改めて実感されてくる。それは私にとって、誰とも関わらない活動なのである。カーテン越しに眺めた庭で遊ぶ父娘の姿とはかけ離れた活動なのである。そこには他者に対してのある種の無関心さが見られるように思った。
 あと、建物の一階部分と二階部分の相違がやはり見られるように思う。一階は庭があり、父娘が仲良く遊び、平和な雰囲気がある。二階部分はより自閉的である。<夢14><夢15>において、二階は一階よりも遅れている部分であった。今回の夢では、この遅れは兄との関係において、兄のことに関わっていることによってもたらされてしまったように私は感じた。人間としての兄がどうこうという問題ではなくて、私が兄に対して築いてきた関係が、私が前に進むことを困難にしてきたのだと思う。

(寺戸順司)







<夢17>「Pと働くことになった夢」(7月5日)
 以前の飲み仲間だったPさんと会っている。彼と一緒に働くことになったようだ。私は彼の下で働くことになっており、彼は私の上司ということになる。しかし、上下関係をそれほど私は感じていなかったし、また意識していなかった。
 ホテルかオフィスか分からないが、場所は地下だった。地下街のような場所だったかもしれない。私はPと食事をしながら打ち合わせのようなことをしている。内容は大したことはなかったが、どちらかと言うと、お喋りを楽しんでいることの方が多かったように思う。私たちはその後、並んで地下街をぶらぶらと歩く。古書店があって、私は中に入る。珍しい推理小説の本があって、手を出そうとしたら、他の人に取られてしまった。仕方がないと思って諦める。あまりその本のことで執着はしていなかった。

(連想と感想)
 P(これはもちろん綽名である)は男性の飲み友達だった人で、以前の夢もそうだったが、Pは私にとって兄イメージを喚起するのである。夢では、Pは一緒に働く同僚である。それほど上下関係がない。兄イメージと、上下関係に囚われずに、一緒に作業する同僚のように接することが必要なのかもしれない。しかし、うまく協働できるような感覚もあった。
 地下街の古書店で、珍しい推理小説を見つける。夢では、私はそれに執着していない。過去において、収集していたミステリ雑誌があったのだけど、それへの執着(それは過去への執着でもある)が薄らいできている感じである。この執着の薄らぎは、P(兄イメージ)とのある種の和解によってもたらされているように思う。夢の中で、Pと食事をし、談笑している。兄イメージをうまく統合していこうとしている、兄イメージとうまくやっていこうとしているという印象を受ける。それが過去の執着から解放させることになるのだということのように思う。
 Pとは最近、本当に偶然に出会った。それも駅のトイレの中でだった。不思議な偶然だと思ったが、お酒を止めている私にとって昔の飲み友達を会うことは苦痛だった。そのしこりがどこか残っていたのかもしれない。
 いずれにしても、前回の夢といい、今回の夢といい、兄との葛藤が一方では再現されていながら、他方で和解のようなことも起きているように感じている。それが私を執着から解放し、自由にしていくのだろうと思った。

(寺戸順司)







<夢18>「オブジェを分解する夢」(7月12日)
 花瓶か置物といった感じのオブジェを、私は手に持って眺めている。陶器でできているようだった。地味な色使いだが、色彩豊かな作品だった。誰かが、そのオブジェは個々の部分から成り立っていて、分解することができると私に教えてくれた。色彩豊かだったのは個々の部品の色が異なっていたためだった。私はそれを分解してみる。接着剤などを使用しておらず、力学的にうまくバランスを取って結合されているようだった。私は分解しながら、その巧みな作りに感動している。

(連想と感想)
 夢の中のオブジェは、色彩豊かな作品である。個々のパーツに着色されており、それらが巧みに組み合わされることによって、豊かな色彩を生み出している。つまり、一つ一つのパーツは単色なのである。
 分解するというのは、壊すということではなくて、原型に還元していくことだと思う。いくつもの部品から完成品を目指して組み立てる行為とは逆のプロセスである。つまり、最初の段階まで戻ってみるということであると、私は思う。
 私の内面でどこかそのような作業が行われているのかもしれない。前回、前々回の兄とP(兄イメージ)は、一つのパーツである。今の私を構成する部分である。そういう一つ一つをもう一度、その原型を眺め直してみたくなっているのかもしれない。しかし、この解釈は、夢の中のオブジェを私自身と同一視することによって可能である。もし、そのように捉えるなら、私は私自身をあまりに客観視しようとし過ぎているのかもしれない。
 実際の夢では、私とオブジェとは別々に存在している。オブジェが他の何かを表している可能性も当然考えられる。オブジェはとても美しい完成品である。その完成品も、単色のパーツが組み立てられていることによって出来上がっているわけである。むしろ必要なのは、個々のパーツをいかにうまく組み合わせて一つの完成品にしていくかということであるのかもしれない。

(寺戸順司)







<夢19>「原っぱに一人佇む夢」(7月13日)
 私たちはみんなで何かをしていた。原っぱのような場所に私は一人で佇んでいる。他の人たちはあちこち走り回っているようだったけど、私は特別なことは何もしない方がうまく事が運ぶということを知っていた。

(連想と感想)
 あまり寂しい感じではなかった。原っぱのような場所で独りだったが、孤独感はそれほどなく、むしろゆったりと落ち着いている感じだった。以前の、一人でテレビを見ている夢や、女性友達のがらんとした部屋に表されていたような、荒涼とした、殺風景な感じはまったくなかった。
 私の周囲では人や物ごとはめまぐるしく動いているようだった。私はそれに囚われないでいる。どこか自由でいるという感じでもあった。それに、達観した感じで、何もしない方がうまくいくと悟っていた感じである。
 私の生き方がどこか如実に現れているような夢である。世の中の流行からは独立していたいというのが私の望む生き方である。例えば、チョーサーの「カンタベリ物語」を今、読んでいる。14世紀に書かれた作品だが、初めて読む私にとっては、新しい作品である。私にとって、それは新刊書と同義なのである。
時代は新しい物を創造していくが、この時代において新しいものよりも、私にとって新しいものを追及していきたいということである。私にとって新しい物を拒んでいるわけではない。こうした私の姿勢が夢でも表されているように感じた。そのために周囲から孤立してしまっても、私自身がゆったりと落ち着いていられれば、それで十分であるし、実際、その方が上手くいくようにも感じている。
 この落ち着いた感じがどこから得られたのかということは簡単には述べられない。内的な活動性が増し、兄イメージとのある種の和解があり、そして完成品を分解していくという流れの中で生じてきたものであることは確かなように思われる。そして、それは周囲の流れとは独立している私自身を生み出してくれているように感じている。

(寺戸順司)







<夢20>「電車を乗り換える夢」(7月18日)
 女性友達に誘われたのだと思う。私たちは一緒に電車に乗る。電車の中で私は本を読んでいて、いつの間にかそれに夢中になる。ふと気づくと、彼女がいない。車両のずっと端の方で、彼女は賑やかに楽しんでいる。電車が駅に着く。そこは降りる駅ではなかったけど、彼女のその姿を見て、私はもう必要がないと思い、扉が閉まる瞬間に電車から飛び降りた。
 電車を降りると、私は引き返そうと思い、反対側のホームへと回ろうとする。行き方がよく分からないので、一旦駅を出て、入りなおすことにした。券売機の所で見知らぬ女性が話しかけてきたが、よく覚えていない。ホームに立つ。電車が来る。東京の方まで行く電車だった。私はそこまで路線が伸びているのかと思い、いっそのことこのまま帰らず、東京まで行ってしまおうかという気持ちに襲われる。しかし、それは止めて、やっぱり帰ることにする。
 再び電車の中。私は吊り革につかまって立っている。右側に女性が同じように立っている。座席に座っている中年女性が、「最近の若者はすぐに脱いで」とぼやいている。私の右側の女性を見ると、服は着ているけれど、露出が多く、胸が露わになっていた。「いけないかしら」とこの女性は私に聞いてくる。私は「別にいいんじゃない」と答える。見回すと、上半身薄着の人がたくさんいたからだ。それに、その女性も他の人たちも、必ずしも裸というわけでもなかったからだ。
 戻ると、女性友達が待っていた。どこかの部屋の中だ。どうして離ればなれになったのかと言って、彼女は私を責めるけど、私たちはいつ別れてもおかしくない関係だから覚悟しておいた方がいいと、彼女に言い返した。彼女は私に抱きついてきた。ベッドで二人横になって、抱き合う。通りを歩く人たちが窓から私たちを見ていく。私は構いもしなかった。
 私たちは表へ出る。賑やかな通りを歩く。どこか繁華街にある裏通りといった感じの道だった。路地だったが繁盛している飲食店があった。客が通りにまであふれていて、私たちは彼らの間を縫って歩いた。

(連想と感想)
 いささか淋しい感じの夢だった。まず、彼女に誘われてどこかに行くのだけど、先に私が本を読んで自分のことに夢中になる。彼女を蔑にしてしまっている感じだ。その後、私の方が女性友達には必要とされていないのだと感じ、彼女から離れる。離れた途端に、私は行く先や方向を見失い、衝動的かつ心の赴くままに放浪する存在に変わってしまっている。彼女がいかに今の私を維持していることか、身に染みて理解できるように感じだ。
 それから電車の中に戻っている。女性の肌の露出のことで私が意見する。実際、私の女性友達は時々薄着をして、肌を露出するので困っている。また、彼女は誘われて絵のモデルをしたのだけど、服を着てのモデルならいいと私は許可した。現実に仕上がった絵は彼女の上半身裸の絵だった。一目見た途端に、「二度とその絵は私の目に触れさせないでくれ」と伝えた。なぜ裸のモデルになることを私が拒否したかというのは、私の嫉妬ではなく、そういうことが彼女のあるトラウマティックな体験を喚起する可能性があったからだ。事実、絵のモデルを経験してからの彼女は、事故に遭ったり、身体を悪くしたりと、碌なことが起きていないのである。やはり、私は絵のモデルを止めさせるべきだったと思っている。そのことがあってから、私は彼女に幾分冷たくなっていることに気づいている。
 夢の中で、再び彼女と一緒にいる。ここで会話がなされているが、現実にこれと近い会話が行われたことがある。夢では彼女は私にしがみついてくる。これが私の願望かもしれない。そして私たちは、表通りを歩くのではなく、裏道を歩いている。しかしそれは賑やかな通りである。この辺りの微妙な光景は、私が彼女とどんな関係でいたいかを物語っているように感じられた。表だった華やかさを私は求めていないのである。
 前回の落ち着いた感じがいささか薄らいだ感じである。淋しい雰囲気だった。裏道の賑やかさは、社交の世界であるはずなのだけど、それもどこか淋しげであった。現実の女性友達はとにかくとしても、私は夢の中のこの女性を見放すべきではないのかもしれない。この女性イメージ(私のアニマ像)は、私をどこかへ導いてくれるような存在であると私は捉えている。夢では、このイメージが私と疎遠になった途端に、私は行き場所を見失っているからである。
 また、夢全体を支配している淋しい感じというのは、私が内的に何かを喪失したからだというように私は捉えている。その何かというのを簡潔に述べることは難しい。その一つが兄(兄イメージ)との和解から得られたものであるように思う。この和解は、私にとって過去の一部を失うことをも意味していたのかもしれない。

(寺戸順司)