夢の旅3(夢11~夢15)

夢の旅3(夢11~夢15)

<夢11>「仕事が重なる夢」(6月22日)
<夢12>「運動会のキャプテンに選ばれる夢」(6月23日)
<夢13>「電車の中でピアノを弾く夢」(6月24日)
<夢14>「飲食店と女性友達の部屋の夢」(7月1日)
<夢15>「二つの場面の夢」(7月2日)






<夢11>「仕事が重なる夢」(6月22日)
 私は仕事に行く。仕事と言ってもアルバイトの方だ。三件の現場があると私は聞いた。私はそのすべてに参加したいと申し出た。しかし、三件ともすべて同じ日に重なってしまっているから無理だということだった。私は二つを諦めて、一つだけ参加することに同意する。どの一つになるかは、彼らに任せることにした。

(連想と感想)
 前回の夢があったので、この夢を解釈することはそれほど難しくなかった。前回では隣人(クライアントたち)の作業を眺める自分がいて、それに取り掛からなければならない自分がいて、さらに私の存在や宗教性に関わらなければならない自分がいるということが提示されていた、と私は解釈した。今回の夢の中で、仕事が三件あるというのは、とりかかるべき作業が三つあるということなのだろうと思ったのでそのように解釈した。
 ただ、夢では、三件すべてに取り組みたいと言っているが、この三件は同時には取り掛かれないということが示唆されている。どれか一つに絞らなければならないということである。
 今回の夢で、なぜこのアルバイトの場面が出てきたのかというと、このアルバイトではそういう日程の重複がよく起きるからである。仕事(取り掛かるべき作業)が重なっているということとこのアルバイトとは、私の中では容易に連想として結びつくのである。
 ただ、夢では、どれを選択するかということは、私ではなく、アルバイト先の人たち(外部)に委ねている。この辺りに、私は自分でもどれを選択するべきかが分かっていないのだということを感じる。一方で、どれを選択するべきか、外部に任せてみる、外部との関連で見ていかなければならないということでもあるのかもしれない。少なくとも、どれか一つにしか、今は取り掛かることができないのだということが理解できるように思った。

(寺戸順司)







<夢12>「運動会のキャプテンに選ばれる夢」(6月23日)
 運動会に参加していた。私ともう一人が長い棒の両端を持って走り、他の人たちは、私たちが彼らの足元にて運んでいる棒を飛び越えていくという競技だった。棒の反対側を持っているパートナーは、障害のある女の子だった。また、他の人たちはあまり協力的でなく、私は何度も「飛んで」とか「棒をまたいで」とかを彼らに言わなければならなかった。
 私は後で800メートル走に出ることが決まっていた。私は以前のように走れるだろうかと心配だった。
 よく覚えていないが、私はチームのキャプテンだった。私の女性友達が私を推薦してくれて、それで決まったようだった。私はそれを引き受けたが、彼女は副キャプテンになった。副キャプテンになった彼女とは、一緒にいることが多くなった。何人かの男性たちはそれが面白くなかったようだが、私は意に介さなかった。そういうことを一切気にしないで、チームメンバーが競技の練習をするのを見守っていた。

(連想と感想)
 動きが生じてきた。作業に取り掛かり始めたことの表れかもしれない。
 私はチームのキャプテンに選ばれている。つまり、全体のまとめ役である。しかし、夢では私は十分にまとめきれていない。一つには私自身の心配事(800メートル走ができるだろうかという心配)に囚われているからであり、また、障害のあるパートナーや非協力的なメンバーに手を焼いているからである。そちらにエネルギーを費やしてしまっている感じである。
 その一方で、私に協力的な人もある。それは女性であり、副キャプテンである。夢では私の女性友達がその役割として登場している。この女性要素がもっと補佐的に働いてくれれば、私は全体を(私自身を)もっと統括できるのかもしれない。
 また、注目したいのは、この夢では、私は傍観者のように誰かが作業しているのを眺めているのではないということである。私自身が取り掛かかる当事者になっている感じが強いのである。

(寺戸順司)







<夢13>「電車の中でピアノを弾く夢」(6月24日)
 電車に乗っていた。両サイドに座席があり、中央の通路になぜかピアノの鍵盤が並んでいた。私はそれを弾いて、向かい側に座っている女性友達に弾いて聴かせる。ピアノに夢中になってしまって、私は降りる駅を何度も乗り越してしまった。電車は何往復かしたようだ。でも、私は慌てた感じはなく、むしろ、そろそろ降りようかというような感じだった。

(連想と感想)
 またしても女性友達が登場した。この女性友達にエネルギーをかけ過ぎているのだと思う。夢はそのことを伝えようとしているのかもしれない。それは降りるべき駅を通過して、彼女のためにピアノを弾いているという内容から、そう解釈できる。
 私のピアノは決して上手ではないのだが、私が弾くと、彼女が喜んでくれるのである。それが嬉しくて、最近では頼まれもしないのに勝手にピアノを弾いて聴かせる始末である。それに、そうやって聴いてくれる人がいるということで、欲が出てきたのか、もっと上手になりたいとか、もっといろんな曲を習得したいなどと考えている。どうやらこの辺りでそれにストップをかけなければならないのかもしれない。どこか適度な所で抑えておかないと、私は降り損ねてしまう(時期を逸してしまう)のだろう。
 ある意味では、自分自身への取り組みが始まっており、活動性が回復している感じもしている。ただ、それが行き過ぎると、適切な場所で終えることができなく(駅を降り損ねる)なってしまうようだ。

(寺戸順司)







<夢14>「飲食店と女性友達の部屋の夢」(7月1日)
 私はどこかの会場にいる。体育館のようでもあり、公民館やそういう類の施設のような感じだった。広い一階部分が飲食店になっており、今日が初日だということで、大々的にオープンしていた。大勢の人でにぎわっており、食事をしている人、お酒を飲んでいる人、店の女性とお喋りしている人などが周りにいた。知人も何人か見かけた。私は食べているだけで、お酒は飲まなかった。それに誰とも会話をしなかった。会計を済まして、二階に上がる。二階は私がよく行くお店の店長がいた。オープン前なのか、客はだれも入っておらず、ひっそりとしている。彼は「今度からここに移動した」と私に語った。
 その後、私は外へ出た。雨が降り始めたので、私は走って帰ることにした。走っていると、同じように走っている私の女性友達と遭遇した。彼女はランニングの最中だったようだ。彼女が誘ったのか、私がついて行ったのか、私たちは一緒に走る。ところが、彼女がすごい俊足で、私は追いつくのに必死だった。見慣れた景色に出た。彼女は自分のマンションに帰るところだったのだ。
 そこはお寺の境内で、そこが彼女のランニングのゴールだった。マンションにはその境内を通過して入ることになっていた。私が辿り着くと、彼女はストレッチか何か体操のようなことをしていた。その後、私たちは二人で中に入る。
 彼女の部屋はがらんとしており、大きな窓にカーテンすらかけられていなかった。表から祭り騒ぎしている人たちが中を見ている。私は彼女を連れて奥へ行こうとする。廊下の途中で、壁から手のようなものが出てきて、私を押さえる。彼女は先へ行ってしまったが、私たちはその手の存在を確認した。
 それから私たちは別れた。彼女が何か用事があるとかいうことだったように思う。私は再び飲食の会場に戻ろうと思った。

(連想と感想)
 賑やかな飲食店は、社交の場である。そこでは私は一人であり、そそくさと引き上げている。そのような社交の場は、現在の私には相応しくないように感じられている。それだけ内向的になっている。
 女性友達と出会う。お寺の境内まで走る。「隣人と誕生日の夢」で、私はお寺に行きたいと言っていたが、夢ではそのお寺に辿り着いたかのようである。そのお寺は女性友達と関連している。また、女性友達が走って、私が後を追うという構図は、繰り返し出てきたものであり、「踏切をくぐる母の夢」で一度は追いついたものである。この女性友達を中心にして、母とお寺(宗教性)、私の衝動性が布置しており、母とお寺から私の仕事や取り掛かるべき作業が通じているようである。こうしてみると、本当にコンステレートされているなと感じる。
 彼女の部屋はがらんとしている。それは暗い部屋で一人でテレビを見ていた夢での、あの孤立した世界と似ているようである。外で祭り騒ぎしているというのも、テレビの中で発明家がもてはやされているのと、同じような構図を感じる。そして、この祭り騒ぎしている外の世界と、冒頭の飲食店の世界とは、やはり共通しているのではないかと思う。私はそちら側の世界にいるのではないからであり、それはこれまでの夢を通しても現実の私の実感からしても、そう感じ取られるのである。従って、今回の夢の最後に、私はもう一度飲食店の方に戻ろうかと思う件は、私が排除してきた世界の方へ向かおうとし始めているのだということを示しているのかもしれない。
 また、そちらの世界に向かい始めたということは、飲食店がオープン初日であったこと、二階ではこれからオープンしようとしていたということからも連想される。そちらの世界は私の中では動き始めたところなのかもしれない。
 もう一つ面白いと感じたのは、彼女の部屋での出来事である。そこは誰もいない世界である。外は対照的に賑やかである。閉鎖的な世界である。私は彼女と一緒に、その閉鎖的な世界に踏み込もうとしている。しかし、目に見えない人たちの手によって、私は引き止められている。それは、それ以上そちらに向かってはダメなのだということだと思った。そして、そちらに向かう代わりに、私は社交(より外向的)な世界に踏み出さなければならないというように感じられた。

(寺戸順司)







<夢15>「二つの場面の夢」(7月2日)
(場面1)
 家に戻る。しかしそれは私が住んで生活している家ではなかった。何人かの住人が天井の修繕をしている。壁を張っているようだった。私は二階へ上がって、手伝うと申し出た。そこには女性たちがいて、天井が剥がれて梁がむき出しになっているのが気になると言う。それが見えないように、ベッドの上に布を張り渡すことをしていた。私は布の端を持って手伝うが、布を張る位置が少し低すぎないかと思った。
 掃除機を持って、私は掃除している。ある部屋は一人の男性がすでに掃除機をかけていた。彼の掃除した所はものすごくきれいになっていて、私は感心した。

(場面2)
 事務所のような場所。女性が一人働いている。彼女は私のために何かをしてくれることになっていた。何かというのは、広告を出してくれるのか、何かイベントごとを企画してくれるのか、そういう類のものだった。彼女は身内に不幸があったと言う。そして、そのために期日である27日までに間に合わないかもしれないと私に語った。私は「あなたの身内の不幸と私とは何の関係もない」と言って、彼女の弁解を拒否した。彼女は腹を立てたのか、そそくさと立ち去って、街頭で路上ライブを始めた。私はそれを見に行った。彼女は歌を歌い、もう一人がギターを弾いていた。人が集まってきた。その中の一人が、野次を飛ばしたか罵ったかしたので、私は「黙って歌を聴け」と彼に向かって言う。

(連想と感想)
 二つの場面から成る夢だった。この間に一度目が覚めたので、これは一つの夢の二場面ではなく、別々の夢の場面である。従って、夢の文脈が異なっているのである。
(場面1)の方では、家の方の作業が始まっていることが示されている。ただ、それは私が住んでいた家ではないということで、その作業が十分私自身の内面に接していないことが示されているようだ。
 この作業、大勢の人間が取り掛かっている。前回の夢の「飲食店」のイメージである。社交と賑やかさ、集合的な世界であり、私はそこから一旦は離れたけれど、再び戻ろうとした世界である。その世界が動き始め、作業に関わってきているようである。
 私は二階に上がる。二階部分はかなり手入れが必要な感じである。前回の夢では、そこはこれからオープンしようという店だった。この部分は私の中でまだ遅れているようである。
 この二階部分は女性たちの部屋である。男性が掃除した所は、ものすごく綺麗になっているのと、対照的である。男性側の作業はむしろ順調に進んでいるという感じである。また、二階部分において、そこの天井が剥がれていて、それに覆いをかけるということは、床を剥がして裏面を見る(「隣人と誕生日の夢」)こととも対照的である。この覆いをかけるという作業については、私としては低すぎると感じていることから、必ずしも私の意に沿うようには行われていないのかもしれない。この意に沿っていない感じというのは、(場面2)においても垣間見られることである。
(場面2)において、未知の女性が私を手伝ってくれている。しかし、私はこの女性の事情よりも、私の事情を優先している。彼女の身内の不幸に対して、私は冷酷にも「それは私とか関係ない」と言って、突き放してしまっている。
 期日が27日と言うことになっているが、偶然にもこの原稿を読み返しているのは7月27日である。そろそろHPの夢の部分を更新しなければと思って、これを読み返しているのである。意味ある偶然の一致である。
 この女性がいきなり路上ライブをやってのけたのは、彼女の衝動性である。野次を飛ばす人間(夢では男性だったように思う)に対して、私は一喝している。どうも彼女の衝動的な部分を私が助けているように感じられる。それが良いか悪いかということではなく、一方で止めさせたいと願いながら、他方でそれを保護したいという気持ちが同時に存在しているような感覚である。

(寺戸順司)