夢の旅1(夢Ⅰ~夢5)

夢の旅1(夢1~夢5)

<夢1>「4つの断片夢」(平成23年5月19日)
<夢2>「終電に乗り損ねる夢」(5月20日)
<夢3>「都市観光の夢」(5月21日)
<夢4>「彼女が前夫とよりを戻す夢」(5月22日)
<夢5>「注釈を記入していく夢」(5月24日)



<夢1>「4つの断片夢」 (5月19日)

(場面1)
 私は仕事をしていた。クライアント(若い男性)が支払いをしようとする。私は彼にお釣りを渡さなければならなかったが、財布の中には一万円札しかなかった。

(場面2)
 外に出る。商店街のような通りだった。その商店街を抜けると雨が降っていた。アーケードがあったので私は雨が降っているということに気づかなかった。私は傘もささずに雨の夜道を一人で歩いている。ありがたいことに、雨はそれほど激しくはなかったので傘がなくてもそれほど濡れずに済んだ。歩道を歩いているが、車道は交通量も少なく、どちらかと言うと寂しい光景だった。

(場面3)
 家に帰り着いた。家はラグビー部の人たちが使っていることを思い出した。玄関の前に看板が立てられていた。私はその看板をどけて、玄関から中に入ろうとするが、一人の部員が私を止めた。彼は玄関脇の通用門から入ってほしいと私に言う。見ると、小さな窓のようなものが開いている。私はその通用門から入ろうとする。先に足を入れる。すると中にいた部員たちが私の足を支えてくれて、中に入るのを手伝ってくれる。また、私は大きな鞄を持っていたが、それも部員たちが内と外とで協力して、同じく通用門から中に運んでくれた。

(場面4)
 私はどこかのお店にいた。レコードなどが置いてあり、私はそれを見て回った。それらはレンタルすることができるということだったが、借りても聴く暇がないなと思っていた。


(連想と感想)
 以前のように夢の記録を載せていこうと考えていた矢先にこのような断片的な夢を見た。この日はどうも寝つきが悪く、寝ては目覚めということを繰り返してしまって、それで夢がこのように途切れ途切れになってしまった。

(場面1)では、私は最近これをやってしまうのである。面接料として6000円頂いているから、常にお釣りとして4000円は財布に入れておかなければならないのだけど、お釣りを渡してから両替しておくのを忘れたりすることがある。最近、それで一人のクライアントさんに迷惑をかけてしまった。それが心残りとして引っ掛かっていたのかもしれない。
 夢ではクライアントがお金を払おうとしているのに、私の方にお釣りの用意ができていなかったということだから、仕事に対しての準備が足りない、そのことを意識しなければならないということのように思った。また、お釣りがないのではなくて、細かいお金がないということであるわけなので、これはクライアントとの間で釣り合いのとれた取引ができていないということをも表しているかのように思った。

(場面2)では、雨が降っているのに気付かなかったという点が気になった。商店街の中はアーケードのお陰で雨のことに気づかないでいる。いったん外に出ると、中にいる限りでは気づかなかったようなことが起きているということなので、私はもっと外のことに目を向けるべきなのかもしれない。

(場面3)では、なぜか家をラグビー部に貸しているのである。がっしりした体格の部員たちが数人いた。みな大学生くらいの年頃だろう。彼らが事の他親切で、丁寧だったのが意外な感じである。
 今の私の生活というのは、家で過ごす時間がほとんどない。家には両親がいて、どうも自分の居場所がない感じがしてならないのだ。本当に狭い門から入るような思いがしているし、入るには屈強な男性たちの力添えが必要なのだろう。このラグビー部員たちは、そういう男性的なエネルギーを思わせる。このようなエネルギーを今の私は必要としているのかもしれない。

(場面4)は、雑貨店のような場所だった。なぜかレコードが置いてあり、The Whoの「
Who Are You」やThe Rolling Stonesの「Let It Bleed」、Kenny Burrelの「Midnight Blue」のジャケットを見たのを覚えている。いずれも昔はよく聴いた音楽で、今はほとんど聴くことがなくなったものばかりである。かつて熱中したものに対して、今は時間がないと考えて、私はそれらを手放している。過去のものとの間に距離が生まれてきているような感覚を覚えた。

(寺戸順司)







<夢2>「終電に乗り損ねる夢」 (5月20日)
 帰路についている。どこか地下鉄の駅だった。改札に長蛇の列ができていた。私はそれに並んだ。切符を買わなければならなかったけど、券売機はずっと先の方だった。私は列から離れる気になれなかった。と言うのは、もう一度、最後尾に戻って並び直すことにやりきれなかったからだ。そこで、列が進んで、券売機に近づいた所で少しだけ列から離れて、速やかに切符を買って戻ってこようと考えた。ところが、券売機にて私は手間取ってしまう。小銭を落としたようだけど、気にしていられない。また、ボタンを押したのに切符がなかなか出てこない。気が焦る。次に来るのが最終電車だということがなぜかわかっていたからだ。でも、駅員さんがこちらを見ているから大丈夫だろうと思っていた。私が乗り込むまで、駅員さんが電車を待たせるだろうと考えたからだ。それでもできるだけ急ごうとはしていた。切符を買って、改札に来ると、電車はすでに行ってしまっていた。私は終電に乗り損ねた。

(連想と感想)
・午後を過ぎて、気分が悪くなってきた。仕事をこなすも、夕方の空き時間に少し休むことにした。うたた寝をしてしまったらしく、その時に見た夢である。
・今日はもう終わりにして帰りたいと思っていたからか、夢でも帰宅の場面が出てきた。しかし、電車に乗り損ねて帰れなくなるという結末の夢ではあるが。
・夢では、たとえ最後尾にまわったとしても、列に属している限り、恐らく電車に乗れたのだろうと思う。列からはみ出してしまったがために失敗したのだと思う。それでは「列」とは何だろうか。それは集団行動と規律というイメージが私にはある。夢では、私はそこから逸脱してしまっているわけである。列から逸脱した私は、駅員さんでさえ助けてくれない存在になってしまっている。
・この夢を見て、私はひどい孤立感に襲われたのを覚えているが、それはどうやら集団からの逸脱(それも私としては悪意あってのことではないつもりの)と助けを得られずに取り残されてしまうという結末にまつわる感情だった。疎外感と言う方がより近いかもしれない。そして、自分が一人だけ取り残されてしまうという恐れは、私が子供の頃から抱いていた感情だった。子供の頃はそれが一番恐ろしかった。子供時代の恐れを思い出させられたような気分である。
・列からはみ出たのは、私が自分のことしか考えていないからだ。自分の都合と利益しか考えていない、夢ではそういう人間として私が現れているように思う。利己主義が行き過ぎていないか、反省してみる価値があるように思う。

(寺戸順司)







<夢3>「都市観光の夢」 (5月21日)
 団体でどこかの都市に観光に来ている。6,7人くらいのグループで、私はそのまとめ役のような立場だった。観光地図があり、そこには私たちが観光することになっている予定地に印が付けられていた。
 行きたい店が閉まっていたということで、一人の女性ががっかりして、道端で駄々をこねる。なぜか彼女は白衣を着ていて、看護師だということだった。私は彼女の手を取って立ちあがらせ、宥める。
 また、静かに音楽鑑賞をしたいという女性たちもいた。コンサートホールのような場所ではなく、こじんまりとした喫茶店といった感じの場所だった。私たちは席に座って、音楽を聴く体勢になる。しかし、一人の男性がそんなのつまらないと言い、遊びに行こうと私に誘いかける。私は彼女たちを置いて、彼に付き添うことにする。彼を単独行動させるわけにもいかないと思った。その時、私は事情を説明して、彼女からお金を貰う。彼女が経理を担当しており、費用をすべて握っていたからだった。彼女はある金額のお金を私に手渡したが、彼はそれでは足りないと言う。私は彼女に掛け合って、もう少し上乗せしてもらう。
 お金が手に入ったと知ると、彼は大急ぎで駆けだす。私は階段の所で彼に追いついた。彼がいくら手渡されたかと訊いてきたので、私は金額を答える。
 外に出ると、彼はまた一目散に走りだす。私がどこに行くつもりかと、背後から彼に尋ねる。彼は面白そうな店を見つけたからそこに行こうと言う。
 ある建物に入る。レンガ造りの建物だった。彼は階段を駆け上がり、私も彼の後を駆け上がる。しかし、私は彼に追いつけないし、尚且つ、その階段がとても上りにくくて、踊り場の所でいちいち身をかがめて格子戸のようなところをくぐり抜けなければならなかった。私はずっと先に行ってしまった彼を追うのを諦めて、逆に彼が降りてくるのを待とうと決めた。その時、屋上から彼が早くおいでよと誘いかけてくる。どうやらその店というのは屋上にあるらしい。見るとあと一つ階段を上れば屋上だった。私はもう少し頑張ってみることにして、屋上まで上った。
 屋上に上がると、きらびやかな電飾に飾られた店があった。風俗かキャバクラか、何かそういった類の店のようだった。店長らしき人が出迎え、店で働く女性たちが列を成して迎えてくれる。私は気恥かしいような気持がした。

(連想と感想)
 背景はすべて夜だったのを覚えている。
 グループのうち、主に三人と私は関わっている。看護師の女性と経理の女性、それに遊びに行くと言って個人行動をした男性である。まっ先に連想したことは、その三人のいずれもが私の人格の傾向を表していることだった。看護師は私の仕事に関しての私であり、経理女性は趣味に生きる時の私であり、暴走男性は衝動に負けてしまう私である。このうち、看護師は挫折を経験したわけであるが、私はなんとか彼女を宥め、落ち着かせることができている。つまりコントロールできているという感じがする。しかし、暴走男性に関しては、私は彼をコントロールできていないし、追いつくこともできていないし、それだけの力が自分にないということが明らかである。
 夢の中の私は、むしろ経理女性たちの一群と一緒にいたかったようである。暴走男性が遊びに行くと言い出し、彼に一人で行動させるのはよくないと思ったので彼に付き添っているからである。理性よりも衝動の方と行動を共にしているのだけど、衝動を放っておけないという点で、私は救いを感じた。夢では失敗しているが、どこかそれを抑制することができるだろうという安心感もあった。
 看護師女性が私の職業的人格であるというのは、実際のところ、仕事の方ではうまくいかないことも多く、自分を宥めながら仕事に取り組むことが最近増えているからである。感覚的なことではあるが、現実に自分を宥めている時の感じと、夢の中で彼女を宥めている時の感じというのが非常に近いものがあった。
 暴走する男性であるが、私はこの男性と一番多く関わっていることになっている。この男性の行動は、かつて酒に溺れていた頃の自分に近いものがあるように感じた。彼の思考や行動が当時の私を思い出させるのである。自分の快楽に忠実過ぎて、衝動に身を任せ、団体からはみ出てしまう彼の姿は、当時の私そのものではないだろうか。夢の中で、彼は私に付き添われて嬉しそうだったのが印象的だった。この男性は、私の認めたくない私の一面であるかもしれず、影のような存在かもしれない。この男性(影)を孤立させたり、切り離したりしてはいけないのだと思う。むしろ彼を手なづけ、コントロールできなければならないと思う。彼は暴走するが、彼はエネルギーに満ちているからである。彼を切り捨てることは、彼の持っているエネルギーまで失うことにつながると思う。
 この男性をコントロールするということも大事な点だが、全体として、個々の傾向がバラバラに動いてしまっているということが重要だと思う。私自身が今それを体験しているからであり、私はそれをある程度まで意識できている。夢の中の一人一人は悪い人間ではないが、まとめ役である私自身に、それらを統一する力が弱くなっているのだと感じている。
 階段の踊り場で格子戸のような所をくぐり抜ける辺りは、<夢1>の(場面3)で家に入るためにくぐり抜ける窓と通じる。<夢1>では何人かのラグビー部員たちに助けてもらってくぐり抜けるが、今回はかろうじて自力でくぐり抜けている。それも前回は一つだけだったが、今回は何回もくぐり抜けている。このくぐり抜けるという行為に対して、前回よりも手助けを必要としなくなっている。私自身が少し力を回復したのかもしれない。
ところで、狭い窓や門をくぐり抜けるということはどういうことだろうか。私には出生のイメージがある。また、イニシエーションをも連想する。苦しい思いをして向こう側に行かなければならないという意味があるからだ。この夢では、何度もくぐり抜け、もう諦めているが、そこがあともう一階分上ればいいという場所だったわけであるので、この苦しい思いがある程度終わり(頂上)に近付いているのかもしれない。

(寺戸順司)







<夢4>「彼女が前夫とよりを戻す夢」 (5月22日)
 私は目つきの鋭い男性と一緒に歩いている。その人は作家らしい。私は彼と会話をしている。どこか尊敬の念を持って、彼に接している。そこに私の女性友達が現れて、その男性は彼女の別れた以前の夫だと言って、私に紹介する。そして、彼女はその夫とよりを戻すつもりなのだと私に話した。私はそれだけは止めて欲しいと願った。

(連想と感想)
 昨日は徹夜で書きものをしていて、仕事の合間にうたた寝をした時に見た夢である。
作家というのは、私が個人的に尊敬する職業の一つである。この尊敬する対象が、女性友達とよりを戻すということである。これは私の「エディプス葛藤」である。彼女はこの作家と一緒になるわけであり、私は彼女を独占することができない。しかし、私から彼女を奪った男性、それも彼女を独占できる男性というのは、私が尊敬する対象でもあるということである。
 子供の頃の母を独占できなかった感じというのは今でも思い出せる。母は父と兄のものだと思って、私は母を諦めた。私が大人になってから、母は私にはあまり関われなかったということを語ったことがある。私は聴いていて寂しいような思いをした。私は母がそれを語った時、本心では私と関わりたかったのかどうかを聴いておけばよかったと思う。母が私に関われなかっただけでなく、私の方も母をどこかで諦めていたのだから、母だけを責める気持にはなれなかった。
 母を諦めるということは、ライバルたち、つまり父親と兄のことであるが、彼らと競争することをも同時に諦めたのである。私ができなかったこと(つまり母を独占するということ)を彼らが達成しているという点で、私は彼らよりも劣っている。競争できないということは、そうして劣っている自分を受け入れ、断念することに等しい。しかし、ただ劣っているというだけでは何とも自分がやり切れない。だから、尊敬している人から劣っているという形にしたかったのかもしれない。
 私はいくら頑張っても、父には叶わないと思っている。父が何か素晴らしい業績を残したとか、そういうことはまったくないのだけど、私の心の中では、今でも、父には勝てないという思いがある。
 前回の夢では、狭い窓をくぐり抜ける出生やイニシエーションのイメージがあり、それらが終わりに近づいているという感じがあったことを述べたが、それに続いてこのようなエディプス葛藤を思わせるような夢を見たということは非常に示唆的だと思った。出生して、親子関係を経験しているような感じがした。
 こうして連想を書き綴っているが、夢そのものには触れることができていない感じがする。私の一つの抵抗である。この日、この女性友達に会って、こんな夢を見たと話したら、彼女は「そんなこと(前の夫とよりを戻すこと)はあり得ない」と言って、一笑に付した。夢は夢であり、現実ではないのである。私は安心した。

(寺戸順司)







<夢5>「注釈を記入していく夢」 (5月24日)
 一人で黙々と仕事をしている。場所は広い図書室のような場所で、百科事典のような分厚い本を前にして私は座っていた。その本に注釈を書き加えるというような作業を私はしていた。そこにカタカナの「キ」を反転させたような文字があって、それをどのように読むかということに関して、私が説明を書き加えていっている。

(連想と感想)
 出生、親子関係に続いて、勤勉ということがテーマとして含まれているように思う。発達過程を見る思いがする。
 夢では、私は一人で、周りにも誰もいなかったように思うが、とにかく黙々とその作業に従事していた。動きや場面展開の乏しい夢になったのはそのためである。
注釈というのは、本の本文の合間や欄外に書いてある説明文である。夢では、本そのものは私が書いたものではないが、その本の中で必要な注釈を丁寧に書いているということである。
 カタカナの「キ」を反転させたような文字に関して、夢の中ではそれをどう読み、どう解釈するかで相当頭を悩ましていた感じがある。「キ」を反転したような文字というのは、「キ」では縦の棒が左上から右下に向けて引かれるのであるが、それが右上から左下に向けて引かれているわけで、同様に二本の横線も右上がりなのが左上がりになっているのである。ユングならこの文字(図形)がどこかに存在していないかとあらゆる方面の文献を漁って探しだすのかもしれないけど、私はそこまでする気力がないので、この文字(図形)の由来は考えないことにする。
 私はもともとは(今でもそうだけど)左利きだった。字を書くのも左手だった。これを右手で書くように矯正したのは父だった。左利きが定着してからの矯正だったので、無理があったのか、その頃から私にどもり(というか、言葉が詰まる)が見られるようになった。今ではそれがましになったとは言え、私はそのどもりで大分損をしてきたのは事実である。ちなみに、父はその矯正を後悔しているようだ。
 しかし、日本語の文字というのは、確かに右手で書いて書きやすい形をしている。だから書くことに関しては、右利きに矯正してくれて良かったと思っている。文字が右手で書きやすい形をしているということは、「キ」を反転させた文字というのは、左手で書いて書きやすい形をしているということになる。従って、この文字は私の利き手に関しての思い出を甦らせる。
 注釈を書き加えるということは、本文への理解を助けるためにさらに説明を書き加えることである。この行為は私のコンプレックスと関係があるように思う。私は自分の言うことが相手にきちんと伝わるかということに強い不安があった。だから子供の頃はあまり話をしなかった。今でもその不安はある。私の書くもの、あるいは語る言葉が冗長になってしまうのも、それが一因である。一つのことを相手に伝えて、それにさらに注釈のようなものを付けくわえて説明してしまうのである。私の悪い癖である。相手に伝えてから、相手にきちんと伝わっているかに自信が持てなくなってしまうのである。これは相手の理解力を問うているのではなく、私の言葉は相手にはまず伝わらないという前提をどこかで持ってしまっているからだと思う。だから注釈を書き加えずにはいられないのだ。

(寺戸順司)