<テーマ152>ベテランの就労(3)

<テーマ152>ベテランの就労(3)

(152―1)覆いとしての夢
(152―2)裏表の欠如と昇華能力の不足
(152―3)アルバイトへの抵抗
(152―4)不快、反抗を言葉にできない
(152―5)要請としての起床


(152―1)覆いとしての夢
 カウンセリングを開始して、三か月ほど経った頃、Fさんに今までにはみられなかった傾向が見えてきたりして、彼の中で展開が生じていることが窺われます。
 家事の手伝いは継続しているようでした。就職活動も、相変わらずと言いますか、いろんな所に履歴書を送付していたのですが、一社たりとも面接までこぎつけてはいませんでした。
 そんな彼がカウンセリングの場で夢とか願望を語るようになったのです。こんな仕事をしてみたいとか、あんなことができたらいいなあということを語るようになったのです。
 そういう夢を語ること自体は悪いことではないと私は考えています。今の日本人は夢を語ることが少なくなったと私は個人的に考えているのですが、その夢が実現するしないは別の話で、そういう夢を語っているうちに見えてくるものなんかもあるので、それを大事にしたらいいと思うのです。
 Fさんがあれこれ夢を語るようになったのは、ある意味では彼の目が将来の方に向き始めたということを意味するでしょう。ただ、その夢には一貫性がなく、しばしば非現実的でありました。「ライ麦畑の捕手」のようなことを語るわけであります。
 彼の就職活動はその始まりからしてとかく強迫的な傾向がありました。矢継ぎ早に求人を探し、あらゆる所に履歴書を送付するという傾向がありました。彼は自分の何かに向き合わないためにそうしているのだと思います。この時期、彼が夢や願望を語るようになったのも、同じ心理であると思われました。
応募して、多少なりとも反応が得られていれば、また違った展開になっていたかもしれませんが、彼はどこからも相手にされない自分というものを経験し始めています。どこからも相手にされない自分が受け入れられず、そんな自分を見たくなかったのだろうと思います。彼が夢や願望を語るのは、そういう自分を見ることができないでいたからだったのでしょう。


(152―2)裏表の欠如と昇華能力の不足
 彼がどんな履歴書を書いているのか、もう一度見せて欲しいと頼んだのもその時期でした。彼は私に一度見せて以来、履歴書を見せるのを拒んでいました。彼の言い分では、自分の書いた物に私が「ダメ出し」するからだそうです。
「ダメ出し」であるかどうかは彼の体験しているところのものなので、どのように体験しようと彼の自由であります。私自身は「ダメ出し」をしているわけではないのですが、彼の傷つきやすい自我においては、そのように体験されてしまうのでしょう(注)。

(注)こうした傷つきやすさはFさんの中核的な問題と関係しています。私たちは後で再びこの問題を取り上げることになるでしょう。

 しかしながら、彼は履歴書を次の面接時に持参してきました。恐らく不承不承でそうしたのでしょう。見せてもらうと、案の定、空白だらけの履歴書でした。彼は至る所にその履歴書を送っていると話しました。
 ここで注目すべき点は、その履歴書ではどこからも相手にされないということが、これまでの経緯から、明らかであるにもかかわらず、彼はおかまいなしに同じ履歴書を送付し続けているという部分です。これは彼に学習能力が欠けているとかいう意味ではありません。彼の自己愛が失敗から学ぶということを妨げているのだと思います。
 彼はその履歴書で通用すると信じているわけです。履歴書送付の時点から先に進めないのは、雇用する側のせいにされていて、自分が望ましくないものを送付しているとは気づいていないし、それだけ自己を反省することも彼にはできないのでした。
 私は、その空白だらけの履歴書を見て、何か他に記載できることはないかともう一度提案しました。Fさんは「嘘は書きたくない」と憤慨されました。くれぐれも誤解のないように申し添えておきたいのですが、私は別に虚偽の経歴を書くように勧めたわけではありません。
 彼の履歴書は、言い換えれば、あまりにも正直すぎるのです。ありのままをすべて記述しようとしているのです。ありのままの自分を、ありのままに記述して、そのままの自分をどこかの会社が認めてくれると信じているかのようでした。
 Fさんのその態度には裏表のなさ、あるいは偽りの自己の欠如ということと、昇華能力の不完全さが見られるように思います。
 裏表のなさということは、それが彼が不登校を起こす一因ともなったことを思い出す必要があります。彼は裏表のない自分を生きており、人間には裏の面があるということが彼には受け入れられないのです。この履歴書からも彼のその態度がしっかり見て取れるわけなのです。
「偽りの自己」ということも述べましたが、私たちは世界に適応していくためには多少とも自分を偽らざるを得ないものです。この「偽りの自己」は適応のために不可欠なものでもあるのです。よく「偽りの自己」をなくそうと思う人、そう考える臨床家もおられるのですが、私は反対なのです。「望ましくない偽りの自己」を「望ましい偽りの自己」にしていかなければならないというのが私の考えであり、「偽りの自己」は育たなければならないと考えています。これはいつか別に論じたいことで、ここではそれ以上深入りしないでおきます。
 昇華能力が不完全であるというのは、こういう意味です。私たちが何かを表現する時には、それを直接的に表現するのではなく、周囲や相手に受け入れられるような形にして表現しているのです。幼児は直接的に表現しますが、年齢を積むほど、言葉で、適切な表現を用いて伝えようとしていきます。その時に、「偽りの自己」は不可欠な要素なのです。本当はこう表現したいのだけれど、それでは拙いから、少し変形させて、いささか自分を偽りながらも、表現するのです。なぜ、そうするのかと言いますと、そのようにしなければ受け入れてもらえないということを人生上のどこかで学ぶからなのです。これもまた別の機会にて述べることにして、ここではあまり深入りしないでおきましょう。
 とにかく、彼の履歴書から感じられるのは、そうした裏表を持たないという態度と昇華能力が十分ではないということなのであります。この二つの要因は今後Fさんが仕事をしていく上で障害となるものなのです。裏表がないということは、まず、人間関係で苦しむことになるでしょうし、周囲や社会への適応も妨げられることが予測されるのです。また、昇華能力が不十分であるということは、彼は自分の仕事を価値あるものへと高めていくことができないであろうと思われるのです。


(152―3)アルバイトへの抵抗
 さて、この頃、面接では毎回のように彼の夢が語られました。雄大で非現実的な夢です。時には、聴いているとしんどくなるような経験も私はしました。
 彼が自分の夢や願望を話すのであれば、そのまま話してもらうことにして、私はアルバイトをしてみてはどうかと彼に勧めました。彼はひどく警戒して(注)、「なんでそんなこと言うんですか?」と尋ね返してきました。別に深い意味はないのです。アルバイトを少しでもしていれば、職務経歴欄に一つ書き加えることができるからなのです。私は彼にその旨を伝えました。

(注)彼のこの態度は注目すべきところです。先ほどの(注)同様、Fさんの本質的な問題と関係しているのです。

 彼はたった一言、アルバイトはイヤだと答えました。そして、「僕は就職したいんだ。アルバイトを勧めるなんて、僕に就職を諦めろということですか」と憤慨して、終了時間よりはるかに前に、挨拶もせず、面接料も支払わず、プイッと部屋を出て、帰ってしまいました(注)。

(注)Fさんのこの行為は、精神的に未成熟な人に典型的に見られる類のものです。そしてある種の「病理」を抱えている人には特にこのような行為が頻繁に見られるのです。こういうところからFさんの「病理」がどういうものであるかも理解できるのです。

 私は個人的には間違ったことは言ってなかったと思うのですが、どうやら、アルバイトを勧めたことは、彼が語ってきた夢に反することを私が提案したことになったようです。
 このことは、言い換えると、彼が夢やロマンを語って心地良く感じている時に、いきなり私が「現実」という爆弾を落としたということになるのでしょう。この爆弾のおかげと言っていいのか、Fさんとのカウンセリングは次の段階へと移っていくことになりました。それはアルバイトを巡ってのFさんの抵抗が激しくなったことです。


(152―4)不快、反抗を言葉にできない
 翌週、彼はいつものように来談しました。「先生は僕がアルバイトをした方がいいって考えているのですか」と開口一番、私に質問してきました。私は「するしないは別だけれど、履歴書に何か職務経歴として書けることがあればいいなと思っただけだ」と、私は正直に答えました。
 彼は「その方が有利だというのであれば、アルバイトでもなんでもします」と答えました。そして、アルバイト探しがこの時点で始まったのです。
 さらにその翌週、彼はいくつもの求人誌や広告を持参して、私の前に広げて、「どんなバイトがいいか決めて下さい」と言います。まるで「あなたがそうするように勧めたのだから、あなたが決めるのが当然でしょう」と言わんばかりの態度でありました。私は「バイトをするのもFさんで、決めるのもFさんですよ」と伝えました。その上で、「アルバイトにはあまり気が乗らないようですね」と言いました。
 彼ははっきりと「バイトはイヤだ」と答えます。「どんなところがイヤなの」と私は尋ねます。自分の意に沿わないことを「やらされている」ように感じているので、反抗したくなっているということは私には理解できるのですが、敢えてその質問をしてみました。
 案の定、彼の答えは「イヤなものはイヤだ」というものでした。反抗したいのに、その反抗を言葉にできないからそのような表現にならざるを得ないのでしょう。私はそこは取り上げず、彼が持参した求人誌を手に取り、パラパラとページをめくってみます。「いろんなバイトがあるね」と、ページをめくりながら私は言います。「何か気になった職種ってあったかい」とそれとなく彼に尋ねてみました。
 彼は「興味のある所はいくつかあった」と答えます。それがどこであるかは教えてくれませんでしたが、彼にとって興味がある所があったということは望ましいことであります。
「そこに応募してみない?」と私は誘いかけます。
「でも、そこはダメなんです」とFさん。私が理由を尋ねると、「そこは朝が早いんです。僕は早起きできないんです」という返事でした。

(152―5)要請としての起床
「ベテラン」の人によく見られる「できない」の連発がこれ以後展開されていったのですが、その第一弾が「早起きできない」というものでした。
 彼のこの20年の生活は、好きな時に起きて、好きな時に寝るというものでした。昼頃とか夕方に起きるということも頻繁にあったと言います。彼が早起きに自信が持てないというのも分からないことではありません。ただ、ここで彼の述べている理由が問題なのです。
 彼は「早起きできない」と言います。それは「そういう習慣がついていないし、怠け者だし、他の人たちのように苦も無く朝起きできなくて、起きようと思うとすごくたいへんだから」という理由でした。
 これに関する私の考えを述べておこうと思います。私も朝は起きます。できることなら寝ていたいと思うのです。冬の寒い朝なんかは布団から出るのが一層大仕事になることもあります。それでも私が起きるのは、それが習慣になっているからということではありません。本当は寝ていたいのだけれど、寝さしてくれないから起きるというだけのことなのです。
 つまり、このまま寝ていたいのだけれど、起きて今日はこれこれの仕事をしないといけないとか、今日はあのクライアントさんが来る日だとか、外側の世界が私に起きて活動することを求めているのです。私は外側の世界によって、起きることを要請されているのです(注)。それがあるから私は起床するのです。それがなければ、それこそいつまでも寝ていたいと思うことでしょう。

(注)この要請は、義務とか圧力として体験されている人もあります。それでも要請されていることに変わりはありません。現役を引退した人などにおいては、今までのように朝が起きられなくなったと体験される例も多く、ある人は「プレッシャーがないと(要請されていないと)本当に朝が起きれない」と語りました。皮肉にも、人は要請されなくなって初めて、いままで自分が必要とされ、自分が要請されていたということを知るのかもしれません。

 Fさんは、そのような経験をしたことがないのだと私は信じています。起きて、活動するように求められるという経験をしてこなかったのだと思うのです。言い換えれば、Fさんは、誰からも、何からも求められることのない存在だったのです。そういう生き方をしてきたのです。彼がいつまでも寝ていられたのは、彼が怠け者だからではなくて、彼が誰からも期待されず、必要とされていないからなのです。ここまで言うといささか言い過ぎではないかと思われるかもしれませんが、そういう人生こそ実に無意味で、不毛だと私は考えています。
「ベテラン」はそういう人生を送ってきており、自分がそういう人生を送ってきたということに気づいていないから、そこを変えられないのです。でも、人はそこから抜け出ないといけないのです。
 私は上記のような考えをしているのですが、その時には、Fさんにそれを伝えず、「早起きもやってみるとすぐに慣れるよ」とだけ伝えておきました。彼は自分のこれまでの生を不毛だったと感じているかもしれないし、後悔しているかもしれないし、いずれにせよ、他人から直面化されると非常に傷つくだろうと私は思うので、敢えて、私は自分の考えは述べないでおいたのです。
 さて、Fさんの事例もまだ先が長く、本項はここで一旦筆を置くことにします。本項で取り上げたのは、Fさんとのカウンセリング開始から三か月頃の時期のことでした。アルバイトのことが初めて話題として登場したわけですが、彼のアルバイトが決まるまでにも多くの難関がありました。それは次項において述べることにします。

(文責:寺戸順司)