<LP016>

<016>カウンセラーとしてDV問題に取り組む高槻カウンセリングセンターです。



<#016A>DV関係とコミュニケーション

 夫婦間で生じる暴力等の問題をDVと言いますが、これを暴力を中心に考えると行き詰まることが多いようです。DV問題は、その問題が生じる関係の問題として再定義される必要があると私は考えています。
 二人の人間の関係とは、双方がその関係の場に持ち込むものによって方向づけられます。自分が何をそこに持ち込み、相手が何を持ち込み、相手が持ち込んだもので自分の何が引き出され、自分の持ち込んだもので相手の何が引き出されたか、それらすべてが二人の関係の性質を決定するのです。
 お互いに持ち込み合い、引き出し合うものによって、その関係は治療的にもなれば反治療的にもなるのです。そして、持ち込み合い、引き出し合うということは、これはコミュニケーションの問題ということでもあるのです。
 カウンセリングにおいては、当時者たちのコミュニケーションを丹念に見ていくことで、この関係でどういうことが起きているのかを一緒に考えていくのです。
 このことはとても大事なことであると私は考えています。と言うのは、当事者たちは、自分に何が起きているのか、相手に何が生じているのか、そしてお互いの間でどういうことが進行しているのかなどを正確に理解しないで、解決策にだけ奔走していることが多いからです。
 そして、見当違いの解決策に没頭している間に、双方の関係がさらに悪化していっていることもあるのですが、当人たちはそれに気づかないということも生じるのです。
 どのような解決策を取るとしても、最初にしなければならにことは、一体、自分たちに何が起きているのかをきちんと理解することであると私は考えています。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)






<#016B>コミュニケーションの理解し難さ

 私たちは日々他者とのコミュニケーションの中で生きていますが、これを正確に把握できる人はまずいないと私は考えています。自分が何を言ったかは覚えていても、それをどのように言ったか、どんな言葉でもって言ったか、どんな抑揚をつけて言ったかなどに関しては、当人にはわからないことが多いのです。
 DV問題に関して言えば、何が起こったかということは双方が理解しています。でも、それが何を契機にして起きたのか、あるいは、それがどのようにして終結したかに関しては、はっきりしていないことも多いのです。当事者たちは、自分ではよく分かっているつもりでいても、改めて尋ねられるまで気づいていなかったという場合も多いのです。
 DV問題をはじめ、こじれる人間関係には、二重拘束、選択的非注意、仄めかし、投影同一視、受け身的攻撃表現などが見られるのですが、各々の説明は煩雑になるのでここでは控えます。
 こうしたコミュニケーションの諸問題は、何よりも矛盾として伝わるものです。それでいて、相手は自分が矛盾したメッセージを伝えていることに気づいていなかったりするのです。
 一例を挙げるに留めておきましょう。
「加害者」立場の夫は、実家に帰った妻に謝罪と弁明の機会を与えてくれるように頼みました。妻はそれを承諾します。妻の条件はそれを妻の実家でやるということでした。彼は約束し、妻の実家の方へ赴きます。夫は驚きます。そこには妻をはじめ、妻の両親、兄弟、さらには数人の親戚までが顔を並べているのでした。妻の両親は彼に自由に弁明しなさいと勧めます。しかし、この物々しい雰囲気では、彼はとても自由に話すどころではありませんでした。
 つまり、弁明の座を設けると言っておいて、迂闊に弁明を許さないシチュエーションができているということです。こうした矛盾に彼は晒されるわけです。でも、妻側の人たちはそういう場をちゃんと設けたのだから夫に文句はないはずだと詰め寄るのです。
 妻側には、妻の背後に7人も8人もの味方が控えています。夫は単身でそこに出向いたのです。夫は不公平な場面だと憤慨しますが、妻はそうして怒る夫の方がおかしいとして片付けるのでした。
 夫はここで「自分たち夫婦に直接関係のない方は席を外してください」と要求しても良かったのです。おそらく、彼らは彼の要求をのまないでしょうが、「この要求がのめないのであれば、日を改めさせてもらいます」と言って、引き下がる方がよかったのです。結局、この場面は新たなDVを根付かせただけだったのです。
 コミュニケーションの観点から言えば、彼は妻側のメッセージに最初から取り込まれてしまっていたのでした。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)






<#016C>カウンセラーとしてDV当事者と会うこと

 ところで、私は独身であります。結婚の経験もありません。夫婦であることがどれだけのストレスとなるかも知りません。
 でも、結婚するということは、夫と妻がお互いに治療関係に入るようなものだと私は考えています。二人はそこでお互いが未解決のまま持ち越してきた問題に改めて向き合い、克服していくことが求められるのです。
 だから、私は夫婦関係を知っていることよりも、治療関係を知っていることの方が、DV問題の援助に関しては有利であると信じています。
 さらに、コミュニケーションの問題になると、夫婦関係であろうと治療関係であろうと、もはや差異はないのです。
 カウンセラーとしての私の経験では、DV当事者とのカウンセリングはスーパーヴィジョンの経験に近いものとして体験されています。
 当事者双方のコミュニケーションを丹念に見ていくと、やがて当事者は自分がその関係で何をしてきたかを知り、相手が何をしてきたかを知るようになるのです。正直に申し上げれば、ここは当事者にとっては辛い体験になる部分だと思います。しかし、いつか、その現実を見る必要があるのです。
 そうして、クライアントたちはやがて見えてくるのです。相手との関係で、いかに自分自身で自分の人生を棄損し続けてきたかを知るのです。そこにあるのは相手への恨みではなく、自分自身の人生に対する後悔なのです。人生に対して不誠実であったことにクライアントは痛みを持って気づいていくのです。
 この後悔から立ち直っていくまでが援助の要となるものであります。ダンテの「神曲」のように、天国を見るためには地獄を見なければならないのです。カウンセラーとして当事者を支えなければならないのはこの時期にあると私は考えています。
 私はそんな考え方をしています。だから、自分自身から逃げ回っている人には、決して救済は訪れないと信じています。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)