<LP006>

<006>一カウンセラーとしてDV問題に取り組んでいます



<#006A>DV問題にカウンセラーとしてできること

 カウンセラーとして、私はDV当事者たちとお会いします。そこで何ができるのか、自分に問う日々を送っています。
 DVとは、何よりも、二人の人間の間で生じる出来事であり、そこにはDVを生み出す関係が形成されているという前提に私は立っています。
 従って、当事者がしなければならないことは、この関係において何が生じているかを正確に認識することであると私は考えています。まず、自分たちに何が起きているのかを知らなければ、いかなる対処方も見当違いのものになってしまうからです。後で一例を挙げたいと思います。
 DV問題のクライアントたちは、自分たちに何が起きているのかを正確に知っていないことが多いので、見当違いのことばかりやってきた歴史があります。そこを変えていくことがカウンセラーとしての私の仕事であると考えています。
 もちろん、この作業は当事者にとって苦しいものとなる可能性があります。だからこそ、時間をかけて、安全にやっていかなければならないことなのです。
 関係とは、二人の人間がそれぞれその関係の場にどういうものを持ち込むかで方向づけられるものです。相手が持ち込んだものに対して、こちらが何を持ち込むか、さらにそれに反応して相手が持ち込むものがあり、そうして関係というものは当事者が持ち込むものによって進行していくのです。
 当事者たちは、相手が何を持ち込んでいるのか、自分が何を持ち込んでいるのか、そして双方が相手の持ち込んだものに対して新たに何を持ち込んでいるのか、正確には理解していないのです。
 なぜ彼らが正確に理解していないのかと言いますと、彼らがその関係の真っただ中に置かれているからなのです。関係の真っただ中に身を置きながら、関係を理解しようというのは、それはちょうど部屋の中にいて、建物の全体を観ようとするようなものなのです。建物の全体像を見るためには部屋の外に出なければならないのと同じで、関係を正確に理解するためには、その関係の外に出なければならないのです。
 夫婦同席カウンセリングを私が行わない理由もそこにあります。自分たちを理解するためには、彼らは、一旦、その関係の外に身を置かなければならないのです。
 カウンセラーとしてできることの一つは、彼らにそういう場を提供することでもあると私は考えています。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)







<#0006B>見当違いの対策

 DV当事者(だけに限らない話ですが)は、自分たちに起きていること、自分たちが抱えているものを正確に理解することをすっ飛ばして、解決策に走るという例が多いのですが、そのような解決策は見当違いのものになることが多いのです。
 見当違いの対策で典型的なものは、「感情をコントロールする」というものです。
 もちろん、それを目指しても構いません。しかし、それは何十年もの修業を積んで初めて達成される類のものであると私は思います。「加害者」立場の人はそれを数週間で達成できると信じていたり、「被害者」立場の人は相手に明日にでもそれを達成するよう迫っていたりすることもありますが、当然、こんなものは人間業ではないのです。
 そして、彼らの言う「感情のコントロール」というのは、単に感情を抑え込むだけであることも少なくありません。彼らは感情鈍麻になること、感情喪失人間になることを目指しているようなものなのです。これも当然のことながら、正常な人間には達成できないことなのです。この目標に挫折するのは、彼らが正常な人間であるからなのです。
 彼らがこのような目標を掲げるのは、「自分は(相手は)感情のコントロールができないために問題が起きている」という理解をしているからなのだと思います。でも、それは本当でしょうか。私がお会いした限り、感情のコントロールがまったくできないというクライアントは皆無でした。また、当人も自分が感情のコントロールができないということが証明できないのです。
 個人がどのような問題を抱えているかは人によって異なるので、一般化して言えないことなのですが、「感情をコントロール」しなければならないと考えている人は、愛情に対しての恐れや、親密になることが自己喪失になってしまうといった問題を抱えていることもあるのです。そうなると、感情のコントロールというのは見当違いの対策になってしまうということです。
 事実、怒りをコントロールするよりも、愛を学んでいく方が建設的であり、よほど目的に適っていると私は思うのです。
 そして、ここが肝心なんことですが、果たして人はそんなに怒りの感情をコントロールして生きているのでしょうか。本当にそういう意識をもってやっているのでしょうか。ここには見落としがあると私は考えています。
 彼らは感情を表出「する―しない」という軸だけで考えているように私には思われるのです。他にもう一つの軸があるように私は思います。それは人生上の目標を追求「する―しない」という軸です。
 詳細は省きますが、人生で何か価値あるものを追求している人は、怒りを発散させたり恨みを晴らしたりすることが少ないと私は考えています。今この場で不満を爆発させてすべてを失うよりも、追求している何かを守る方に価値を置くからであります。それは単に抑制しているのとはまったく異なった行為なのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)






<#006C>離婚で終わる

 DV問題でカウンセリングを受けると離婚で終わるということを言う人がいるらしいのですが、私はそれは正しくないと考えています。
 そもそも、DV問題というものは離婚で終わることが圧倒的に多いので、そこはカウンセリングを受けようと受けまいと違いはないものと私は思います。
 カウンセリングを受けて離婚に終わるのは、それはカウンセリングのためにそうなったというよりも、彼らがかなり手遅れの状態になってカウンセリングを受けるからであります。実際、早い段階でカウンセリングを受けた夫婦の中には、関係を改善したケースもあるのです。
 つまり、カウンセラーは「別れさせ屋」ではないということなのですが、多くの例において、離婚寸前の状態で、関係破綻寸前のところで援助を求められるからそのように見えるのだと思うのです。
 特に、「家出エピソード」や「精神病エピソード」が見られる例ではそうなのです。妻の家出を過小評価して、それから数年を経てカウンセリングを受けに来た夫がおられましたが、その時点で、もはや多くのことが修復不可能になっていました。
 当事者たちが援助の機会を失するのは、上述したような、間違った解決策に奔走するためでもあります。本当の解決にはつながらないことに努力奮闘して、その間に多くのことが悪い方向に進展していることだってあるのです。
 結果的に離婚で終わったとしても、カウンセリングを受けたクライアントたちは、そこから自分の人生を推進していくのです。彼らは新たな生きがいを持つことも多いのです。同じ離婚でも、カウンセリングを受けなかった人とは、その体験しているものが大きく異なるのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)