<LP005>

<LP005>カウンセリングには料金がかかります。


<#005A>料金

 カウンセリングを受けるには料金が必要です。当センターでは1回の面接で6000円いただいております。
 この6000円という金額は、経費などから割り出したものであります。それと同時に、一日分の給料という意味合いもあります。つまり、最低賃金でも、一日働くと6000円ほど稼ぐことができるということです。
 ここには、カウンセリングを一回受けたいと思うなら、どこかで一日働いてくださいという私の願いも込められているのです。その一日分の賃金をカウンセリングに充ててくださいと願うのです。
 私は自分では決して無理なお願いをしているとは思っていないのですが、いかがなものでしょう。
 過去にはそのようにしてカウンセリングを継続された方もおられました。カウンセリングを受けるために日雇いのアルバイトをされた方でした。無職だったその人は一回カウンセリングを受けるために、事前に一日日雇いのバイトに行くのでした。上手く日雇いのバイトがあればいいけれど、それがない時はカウンセリングも中断してしまうという有様でした。そうやって毎回綱渡りのようなやり方で継続されたのでした。
 そのような人がいる一方で、次のような人もありました。その人は定職に就いており、月々の給料も年に二回のボーナスも受け取っているにも関わらず、カウンセリングの料金を払おうとしませんでした。
 この人は、それでも生活が苦しいのだと言います。でも、その割には結構お金のかかる趣味をこの人は持っていました。生活が厳しくとも、その趣味の回数を少し減らすだけで、カウンセリングの費用は工面できそうなのですが、彼はそれはしたくないと言うのでした。
 二人の人を例に挙げましたが、私は両者を比較しようとか、そういうつもりはありません。これを読んでいるあなたに読み取って欲しいと私が願うのは、この二人の料金に対する態度なのです。
 前者の日雇いでやってきた人は料金に対する葛藤をすでに処理されているのです。後者はその葛藤を処理できないでいるのです。収入に関しては後者が上回っているのですが、葛藤処理に関しては前者の方がよくなされているのです。
 そして、前者はこの葛藤をカウンセリングに持ち越すことはありませんでしたが、後者は、それが処理できていないがために、この葛藤をカウンセリングに持ち込まなければならなくなっているのです。当然、後者の方がカウンセリングで経験する負担が大きくなるという結果になったわけです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)






<#005B>治癒と活動

 料金に関しては、よく、次のように言う人もあります。心身の不調があって働けない。だからカウンセリングを受けて精神的に回復してから働きたいと。そういう理由で今はお金が払えないというわけです。
 確かに、人それぞれ心身の状態は異なり、労働に支障をきたしているというような人もあるでしょう。そうした個人的な相違は脇へ置いておいても、上述の言葉には一つの誤りがあるのです。
 上記の言葉だと、心身の回復があってから、就労があるという順序を認めることができるのです。でも、この考えはいささか「神経症」的なものなのです。現実にはこの順序では動かないのです。
 カウンセリングを受け、精神的な活力が回復してくると、クライアントは何かを始めたくなるのです。それが就職であっても構わないのですが、そうした活動が治癒よりも先に生じるのが常なのです。
 だから、「治るまでできない」は誤りであり、同時に「できるようになったから治療は要らない」も誤りなのです。両者は共に手を携えて進行するものなのです。
 治癒は活動を生み、活動がさらに治癒を促進するというように、治癒と活動は同時進行していくものなのです。活動と治療とが好循環していくのです。
 従って、「これが治ったら○○する」と考えている人は、決してそれができないのです。なぜかと言うと、「まだ治っていないから○○できない」と、治療のどの段階においても言うことが可能であるからです。
 もちろん、一人一人の状態は異なりますし、置かれている境遇には違いがありますので、こういうことはあまり一般化できないことだと私は考えています。ここでは、そうした個別性を脇に置いて述べているということを見失わないようにお願いしたいのであります。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)






<#005C>料金と価値

 同じく、私がよく耳にするのは、このカウンセリングに本当に6000円の価値があるかというものです。それは、それだけの価値があるのかとストレートに問われることもあれば、6000円は高い(それだけの価値がない)といった不平の言葉で受け取ることもあります。
 価値というものは人によって異なるものです。カウンセリングに価値を置いている人はこの値段は安いと言い、価値を置いていない人は高いと言うわけです。
 このことはどんなことにも言えるでしょう。牛丼が400円は安いと言う人もあれば、牛丼なんかに400円も出す人の気が知れないと言う人もあるでしょう。
 個人の価値観に対しては私はとやかく言うつもりはありません。ただ、次の点を見落としている方がおられるようなので、ここで指摘しておく次第です。
 私たちは自分にとって価値のあるものにお金を使うと信じています。私もそういうものだと思っていました。しかし、自分の購買行動をよく見ると、価値あるものにお金を使っているというのはごく一部でしかないということに気づくのです。きっと、他の方もそうではないかと思います。
 私たちは、価値のあるものにお金をかけることよりも、お金をかけたものに価値を見出していることの方が多いのではないかと、私はそのように思うのです。
 私が本を一冊買うとします。私は本が好きなので、この購買は私の価値に合っているのです。でも、その本が値段相応の価値を持つか、それ以上の価値を持つか、それ以下の価値しかないかは、その後で決まってくるものなのです。私の中で決定されていくものなのです。
 価値というのは、この観点からすれば、品物に付随しているのではなく、私の中で生み出されるものであるということができそうです。従って、お金を払ったものに対して、それを価値あるものにしていくことも無価値なものにしていくことも、どちらも私たちにはできるということなのです。
 そのようなわけで、もし、あなたが私のカウンセリングに6000円の価値が本当にあるのかとお尋ねになられたら、「それはあなた次第ですよ」としか私には答えられないのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)