<LP001>

<LP001>高槻カウンセリングセンターのDV問題の取り組みについて


<#001A:DV関係>

 一つの問題は、その問題がどのように定義づけられるかによって、その問題の性質が異なってくるものです。その問題の性質が異なってくると、その問題に対する考え方や対処にも変化が生じることになります。
 DVの問題は、これを暴力の問題として定義づけてしまうと、私の経験では、行き詰まることになるのです。暴力があったのかなかったのか、それが暴力とみなされるのか否かといったことに従事してしまうからです。
 DVという問題は、それが生まれる関係を背後に有していると私は考えています。従って、DVが発生するような関係があるわけであり、私はそれを「DV関係」と個人的に名付けているのです。DV関係において、当事者間にDVが生じることは自然なことであり、むしろ正常な行為であるのです。問題となるのは、DVとみなされるような行為ではなく、その関係なのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)






<#001B:人生上の危機>

 DV関係とは、概念化することが難しいものであると私は感じています。それは双方が加害者役割と被害者役割を交互にとりながら進行し、決して対等にならない関係であると、取り合えず定義しておきましょう。
 関係というものは、双方がその関係に持ち込むものによって多様に変化するものであります。だから定義が困難なのです。双方がその関係に持ち込むものによってそれが成長し合う関係にもなれば、お互いに損ね合う関係にもなり得るのです。
 持ち込まれるものは、双方のパーソナリティの何かであったり、双方が培ってきた何かであったりするのですが、そこは丹念に見ていかなければならない部分であると私は思います。
 さて、もう一つ重要な観点は、DVが生じる時には、二人のうちの一方もしくは双方になんらかの人生上の危機や困難を経験していることが多いということであります。何かが当事者の人生に起きており、それにより生が停滞してしまっているといった状態が確認できるのです。
 従って、DV問題を考えるに当たっては、当事者の人生が促進していくことが目標の一つになるのです。
 この点を強調するのは、しばしば自分の人生は停滞させたままで相手だけをどうこうしようとしてしまう人を見かけるからであります。この方策は、結局のところ、その人の生を貧困化するだけになり、誤った解決策であると私は考えています。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)






<#001C:カウンセリング>

 DVをはじめ様々な心の問題に対してカウンセリングを行っていくのですが、このカウンセリングを簡潔に説明することは困難であります。そこには様々な活動が含まれているためでありますが、基本的に、それは二人の人間の話し合いの場であります。
 クライアントは自身の語り直しをしていきます。カウンセラーはその語り直しを時に手伝い、時に促進し、時に別の視点を持ち込んでいきます。
 それによって何が得られるのかと言いますと、新しい目であります。もし、あなたが新しい目で物事を見るようになれば、物事の新しい一面が見えてくるでしょうし、世界が今までとは違って見えてくるでしょうし、新しいあなたが見えてくるでしょう。その時、あなたは以前とは違った自分になっているのです。
 今や問題は新しい姿で見えるようになり、新しい対処をあなたは試みていくことでしょう。
 これは新しい何かができるようになるといった意味ではないのです。行動の次元の変化ではなく、存在の次元での変化があなたに生まれてくるでしょう。それは心境や心情の変化としか言いようのないものなのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)