<テーマ219>夫婦という人間関係~親(13)

<テーマ219>夫婦という人間関係~親(13)

(219―1)彼の子供時代
(219―2)彼の大学時代
(219―3)彼の就職後の生活
(219―4)彼の家族と記憶
(219―5)安全感覚と二者関係
(219―6)感情の表出


(219―1)彼の子供時代
 30歳男性の事例をずっと考察してきているのですが、ここで彼個人を描いてみようと思います。
 この事例では義母や妻でしたが、他のケースにおいても、周囲の家族たちは個人をすごく一面的に見てしまうことが多いと私は感じています。心理学者の本やこうしたサイトで記述されていることも影響しているのでしょうが、もっと多軸的と言いますか、多面的に個人を見ることをしていかないといけないのではないかと、最近、私はそう思うようになっていますので、本項のようなページを設けるのです。
 彼の子供時代の話はほとんど聴くことができませんでした。それは、彼自身がほとんど覚えていないためでした。小中高と特に問題を起こしたりすることもなく、目立つことのない学生だったそうです。友達は少なく、中でも親しい親友と呼べるような人はいなかったと言います。あまり外で遊んだりすることも少なく、家内でゲームなんかをする方が多かったそうです。
 友達は主にゲーム仲間でしたが、一緒にゲームをするだけの関係だったようでした。ゲームを巡って、葛藤や嫉妬を体験することもなかったそうです。友達が来たら一緒に遊ぶけれど、友達の取り合いをしたりということはなかったそうでした。
 運動は苦手で、部活もしていなかったそうです。好きな科目は数学とか理科系のもので、国語や英語は得意ではなかったと言います。
 さて、ここまでで彼がどのような人であるかが分かるでしょうか。理数系が得意だったということは、それが計算や証明がきっちりなされる科目だったからではないでしょうか。国語とか文学系が苦手なのは、彼が感情と関わることが不得手であることを思わせますし、英語が嫌いだというのも、言語に関する領域の事柄が不得手であることを示しています。
 思考優位で感情が劣位にあることが窺われます。これは彼が感情に関わる事柄の処理が上手くないということにつながっているかもしれません。感情領域が十分に活性化していないので、記憶に残るような思い出が少なくなるのかもしれません。
 対人関係においても情緒的なつながりを友人たちと築いていないようであります。また、その友人関係において、感情を働かさない関わり方を彼がしていることが窺われます。友達が来ても去っても、何も感じないのです。嫉妬や葛藤体験がないのもそうなのです。
 だから、彼は本当に親しい友人ができなかったと思いますし、だからと言って、自分が孤独だとか寂しいとかいう感情に襲われることも少なかったことと思われます。

(219―2)彼の大学時代
 彼が孤独を感じるようになって、対人希求感情が高まったのは大学時代だろうと思います。理数系の大学に進学した彼は、4年間、ほぼ毎日、家と学校の往復でした。アルバイトは上手くいかなかったそうでした。そこで何があったのかは分かりません。とにかく、何らかの困難をアルバイトでは経験したのでしょう。恐らく、対人関係における何かだったのではないかと私は推測しています。
 ただ、この時期、それほど頻繁ではなかったとは言え、人の集まるような場所に彼は顔を出すようになっています。自分から出向いていくのです。彼が何を考え、何を望んでいたのかははっきりしませんが、彼の中で人を希求する感情が生じていたのではないかと私は思うのです。ただ、それはそれほど激しい希求感情ではなく、孤独を感じた時にだけ出向くといった感じだったようであります。
 この時期に出会った人の知り合いが、後に彼の妻となる女性でした。
 大学時代、特に何かを体験したわけでもなく、小中高時代の延長のような生活が続いたようです。アルバイトもしなくなり、クラブやサークルに所属するわけでもなく、時折、人の集まるような会に参加するくらいで、親しい友人もなく、派手に遊んだりすることもなく過ごしたようでした。

(219―3)彼の就職後の生活
 大学を卒業して、今の会社に就職します。毎日、黙々と研究したり実験したりする仕事なのです。彼はそれが自分に向いていると感じたことでしょう。人とのかかわりがほとんどない仕事なのです。
 就職してから結婚するまで、彼は職場と家の往復の毎日でした。この生活は子供時代から続いているのです。就職して親元を離れようと思ったこともないのでした。義母や姉はそれが良くなかったと安易に見做しているのですが、むしろ、彼は生活に大きな変化をもたらしたくないと望んでいたのかもしれません。その方があり得ることだと私は思います。彼は自分の中や外に変化が生じるのを避けたかったのではないかと思うのです。新奇な状況には飛び込みたくなかったのではないか、そこで感情の動きが生じてきたりすることに耐えられない思いがあったのではないかと思います。
 少し説明しましょう。彼は適応が悪いわけでも不適応を起こすわけでもないのです。ただ、新奇な状況とか不測の事態、イレギュラーな出来事に関して、適応が難しくなるようです。数学のような明確の答えがあるのならまだしも、そういうものがないというような曖昧な状況が彼にはとても辛いのではないかと思います。それでも、時間をかけるとそうした状況でも適応していくことができるようです。
 思考優位の人は、それも極端になるほど、前記のような新奇で不測の事態にうまく対処できなくなると私は考えています。その人が感情をうまく働かせることができない場合、特にそうなのです。極端な話をするのですが、感情優位の人はどんな場面でも適応することができるのです。その適応が適応的であるか不適応的であるかは別としても、どんな場面でも感情的に反応を示すことができるのです。
 彼はいくつかの場面で反応できなくなっていました。実父の不用心な一言で義母が感情を害した時も、彼は何もできませんでした。その後も、義母や妻の追及に会うと、何も言えなくなったりしました。義母たちはそれを見て、彼が自分を持っていないと考えたのでした。私はそれはむしろ心的機能の制止が生じている事態だと捉えています。感情機能がうまく働かないので、そこで反応ができなくなり、硬直するのです。
 それともう一つの要因が関係しています。彼の安全保障感であります。これが乏しいわけであります。そのために新奇な状況、予測していない事態などで彼が困難を体験してしまうのです。これは後に取り上げることにしましょう。

(219―4)彼の家族と記憶
 彼の家族のことは、さらに一層、何も聞き出せませんでした。何も覚えていないと言うのです。
 ここで注意しなければならないのは、彼が何も覚えていないと言う時、それは記憶喪失のような状態を指しているのではなく、記憶に残るようなことが何もないという意味を表しているということです。彼の記憶は悪くないのです。人並みに物事を覚えているのです。ただ、記憶に残るようなことがないので、何も引き出せないのです。
 一日一日を見ると、彼はいろんな経験をしたはずなのです。では、それが記憶に残らないというのはなぜでしょうか。私は二つの可能性を考えていました。
まず、それを誰とも共有できなかったという事情があるのでしょう。私たちがある体験をします。それを誰かに話します。すると、その体験は、誰にも話さなかった場合に比べて、より記憶に残るのです。共有された体験はそうでないものよりも個人の中に残っていくのです。
 もう一つの可能性は、自我参与の度合いです。その体験に自我の関与が大きいほど、その体験は蓄積されていくのです。分かりやすく言えば、無関心の事柄はすぐに忘れてしまうというのと同種のことであります。その場その場における自我関与の度合いが低かったという可能性もあり得るだろうと私は思うのです。
 彼の家族においては、姉が一番影響力があったようです。でも、両親との関係は、彼にはとても希薄だったのです。親との間で思い出に残るようなものが何もないと彼は言います。この家族は、おそらく、姉を中心にして他の全員がつながっていたのでしょう。家族の中心は姉で、その姉を経由して他の家族成員と関わりがもたれていたのではないかと思います。彼の話では、姉は何でも自分で治めたがるそうでしたが、姉が中心にいないとバラバラになる、そういう家族関係があったからでしょう。
 この問題が発生してから、彼が義母の言葉を実母に伝達しています。母親は混乱しています。この家族関係を踏まえると、母親は、彼と結びつきが強くて、息子を手放したくないという感情がそれほど強くないように思われるのです。それよりも、母親は義母の言葉に反応しており、それを息子から聞かされるというショックに耐えられないように思われます。

(219―5)安全感覚と二者関係
 彼の結婚についても触れておきましょう。彼のようなタイプの人が結婚するのは珍しいとさえ私は思うのですが、よく結婚したものだと思います。
 妻となった女性とは、大学時代の知人の紹介で彼は知り合ったそうです。それから友達付き合いが始まり、交際期間が続きます。この頃、妻となる女性は、彼に対して何の不満も持っていないのです。これは彼女自身がそう言っていたのですが、確かにそうだったろうと私も確信しています。彼に不満を持っているのは義母だけなのです。彼女は義母に同調してしまっているだけであります。彼の欠点は義母によって発見され、指摘され、妻はこの見解にいつしか同調してしまっているというのが実情だと私は考えています。だから、この義母の存在さえなければ、彼ら二人は仲良くやっていけるのではないかと、私は今でもそう思うことがあります。
 後に義母となる人は、娘が彼と付き合っていることを知っていました。当時から義母は彼や彼の家族に不満を抱いていました。しかし、これは他の男性に対してもそうであっただろうし、彼だから特別にそうなったとは言えないことなのです。
 ここに彼の安全保障感の希薄さが関係してくるのですが、彼はこの問題を治めないといけないと感じています。この感じは、大部分は義母からもたらされたものだと私は信じていますが、同時に、そうしなければ自分の安全感が失われるように彼は体験していたことでしょう。わずかしかない安全感覚を彼は失ってしまわないように必死だったのではないかという気もします。
 この安全保障感覚ということですが、これは自分が守られているといった感覚、自分が助かるという信念などと関係しています。これの希薄な人は、恐怖の対象が多くなるわけです。彼が、特定の場面や質問で答えられないという時、彼が自分を持っていないためではなく、いわゆる場面恐怖症のようなもので、安全保障感覚が極端に失われてしまうのでしょう。そのために自由に動けなくなるのだと思います。自由が失われるということは、制止がかかるということであります。
 この心的な安全感覚というのは、二者関係において獲得されていくものなのです。守る側と守られる側の二者関係であります。通常は乳幼児期にその体験をしますが、その後の人生でも必要とする人は繰り返し体験していくものです。守られる側の体験をして、守ってくれる対象を内在化していくのです。こうして自分を守ってくれた人は、その人の中に生き、その人はかつてそうされたように自分自身を守っていくことになるのです。エリクソンやウィニコットにはそのプロセスに関する研究もありますので、興味のある方は調べてみたらいいでしょう。
 要するに、これは一者関係では決定的に得られないということです。二者関係でなければ得られないものなのです。私が、彼は二者関係を経験しなければならないと考えるのもそのためなのです。その二者関係を彼は経験させてもらえないのです。ましてや一人暮らしなんて、一番やってはいけないことだったのです。

(219―6)感情の表出
 二者関係の経験がほとんどないので、彼の対人戦術は「カメレオン的」になるのです。それが一番安全なやり方だからです。自分がないのではなく、それが安全だからその手段が彼に身に付いているのです。
 また、彼が身の回りのことが上手くできないとしても、それは決して一人暮らしをして改善される類のものではありません。一緒に身の回りのことをしてくれた人が内在化されて、人は自分でそれをできるようになるのです。彼がそれをできないというのが事実であるとすれば、それは対象の内在化が欠如していることを示しているのです。
 ただでさえ脆い彼の安全保障感覚は、一人暮らしによって、破綻してしまうのです。これの脆い人は、望ましい在り方で他者と結びついていることが必要なのです。つながりを失い、基盤を失うようなことがあると、即座に崩れ落ちてしまうのです。
 この破綻は、パニックとして、つまり感情の急激な奔流によって決定的になってしまったのです。妻によって彼が「発見」された時の情景は、激情が彼を襲ったことを示しています。これまで、彼が切り離してきた感情がここぞとばかりに荒れ狂ったのです。それはそれまで優位だったものが失われたためでしょう。
 感情よりも思考が優位でした。優位だった思考は彼の中から失われていきます。もしくは劣勢化していきます。途中から論理的な思考が困難になったのもそれと関係しているのでしょう。同じく、それに伴って感情要素が前面に現れてきています。自分を憐れんだりといった母性原理が見られた時です。
 ここは慎重を要するところです。これまで劣位だったものが活性化する時、一気にそれを推進してしまうと取り返しのつかないことになるのです。徐々にそれをしていかなければならないのです。その際に肝心なことは、それまでに安全保障感覚を二者関係にて経験しているということです。ここでは彼と私の二者関係のことであります。この二者関係において、彼が安全保障感覚を体験している度合いに応じて、彼が安全だと感じられる量の感情表出がなされていくでしょう。それを超えて表出させてしまってはいけないのです。義母たちはそんなことまったく考えもせず、「荒治療」を施したのです。
 以上、彼に関する私の所見を述べてきました。

(文責:寺戸順司)