<テーマ217>夫婦という人間関係~親(11)

<テーマ217>夫婦という人間関係~親(11)

(217―1)送られてきたラインを読んでほしい
(217―2)送信者のタイプ
(217―3)援助とケンカ、教えます
(217―4)条件と制限
(217―5)質問


(217―1)送られてきたラインを読んでほしい
 この事例は4人のクライアントから合成されています。2人を軸に、その他の2人のエピソードを交えて作成しています。本項では、この事例のある特定の事柄に焦点を当てていくことにします。
 実は、この4人の男性クライアントたちは、それぞれの状況や性格は違えど、私に対して同じ行為をしているのです。それは何かと言いますと、彼らの親や義理の親から送られてきたラインを私に見せているのです。
 彼らはそれを読んでほしいと私に頼むのです。私はあまり人様のラインやメールを見ることを好まないし、他人のケータイなりスマフォなりを触ることにも抵抗感があるのです。それで、クライアントに読んでほしいをお願いしたこともあるのですが、その人は声に出して読むのも耐えられないと言って、この願いを聞き入れてくれませんでした。それで、私の中に抵抗感があるにも関わらず、私はそれを拝見させていただいたのです。まあ、彼が声に出して読むことに耐えられないと言う気持ちも分かるものでした。けっこうエゲツない内容のものだったのです。
 送信されてきたラインを、彼らは私に読んでほしいと頼む時、彼ら一人一人の期待や感情があるものです。大抵の場合、そのラインに不快感があり、そして、それをどう解釈したらいいのか、どう応じたらいいのかで困惑されていることが多いようです。
 本項では、そうしたラインやメールについて考察し、どう考え、どう応じるかといった点を主題にして考察することにします。

(217―2)送信者のタイプ
 通信機器が便利になればなるほど、それを利用して、新たな問題が生まれたりするものです。ラインやメールは、相手の生活時間にお構いなしに送信できることが特徴で、面と向かって物を言わなくていい分、ある種の人たちにとっては、電話よりも使いやすい道具であるようです。
 これのいい所は、送信の日時がすべて記録されていることです。彼らからラインを読んでほしいと頼まれる時には、いつもその時間に私は注目するのです。
 それにどう応じるかの前に、私は送信者のタイプを考えてみることにしています。このタイプは大きく二つに分けることができます。
 一つ目のタイプは、「一気爆発型」とでも言いましょうか、あるいは「景品交換型」「水道管破裂型」と言ってもいいかもしれません。ある日、いきなり大きな爆弾を落としていくというタイプであります。それまで音沙汰もなかったのに、ある日、いきなり長文のラインをドカンと送信してくるというものです。
 事例の基になった4人のうち、一人がこのタイプのラインを受け取っていました。後の3人はもう一つのタイプのものでした。
 もう一つのタイプは、「水漏れ型」と言いましょうか、「機関銃型」と言いましょうか、短時間に繰り返しチョロチョロと送信してくるタイプであります。
 これら両タイプは、送信者の自我構造の違いを表しているものと私は考えています。「一気爆発型」は、ある程度まで抱えることのできるだけの自我の強さを持っています。別の言い方をすれば、忍耐があるということになるでしょうか。「水漏れ型」は、抱えることのできない人であり、より自我が脆弱な人であるように思います。
 もう少し丁寧に説明すれば、「水漏れ型」は完全主義的であり、そのために不全感を残すのだと思います。つまり、言いたいことを何か言う、でも言い切った感じがしなかったり、言い残した感じに襲われたりして、さらに何かを言わなければならないのです。「大体」とか「ある程度」がないのです。何かを伝えても、言いたいことを言ったというような満足も残らないのです。
 そして、この種の人は、これは間違いなく言えると私は信じているのですが、その人自身の生活から満足や充足を獲得する度合いが極端に低いのです。常に不満足な人なのです。
 こうした相手のタイプに応じて、対応も考えていかなければならないのです。この対応は、援助的な方向に進むか、ケンカの方向に進むかで、さらに異なってくるのです。まずは、彼の事例に基づいて考察してみることにします。

(217―3)援助とケンカ、教えます
 一人暮らしを始めた彼に、義母は繰り返しメールを送っています。一人暮らしになってからの方が、義母の攻撃が激しくなっているように感じます。
 彼は義母から送られたラインを私に見てもらいたいと頼んでいます。私は見るまでもないと思ったのですが、彼が頼むので拝見させていただきました。案の定、そこは言葉の暴力のオンパレードで、暴言、恐喝、侮蔑の羅列でありました。
 こういうものを拝見させてもらう時、私が特に注目するのは、その内容よりも、送信されている時間なのです。見ると、義母は早朝であれ、深夜であれ、一日のあらゆる時間帯にラインを送信していることが分かります。時には数分置きに送信されている箇所もありました。
 彼は一週間分を見せてくれたのですが、それは膨大な量になっていました。正直に言って、こんなものが昼夜を問わず送られてくるのに、彼はよくそれに耐えているなあと感心したくらいでした。
 あらゆる時間、繰り返しそういったラインを義母は彼に送るのですが、これは言い換えれば、義母がその行為に「耽溺」しているということになると思います。もはや義母自身の何かのためにそれをせざるを得ないのだということがはっきり見て取れるのです。
 さて、この義母のような人に対して、どのように対応するべきでしょうか。先述のように、私の考えでは、こちらがどのようにしたいかによって、対応は別れると思います。一応、それを援助の方向での対応と、ケンカの方向での対応というように分けておきましょう。
 義母に援助的に対応するなら、その怒りに反応しないということです。例えば、あまりに激怒した文面であるなら、「あなたはとても怒っているようだ。そんな状態ではお互い建設的な話し合いはできないでしょうから、落ち着いてから連絡ください」と伝えるということであります。
 そこで、もし、相手が「そんなことを言って逃げる気か」などと言い返してくれば、「そうお思いになるのでしたら、どうぞ」と伝え、「落ち着いて話し合えるのでなければ、私は応じません」と言えばいいのです。
 これがなぜ援助的なのかと言いますと、義母の怒りに制限を加えているからです。想像に難くないのですが、義母にはそういう制限をする人がいないのです。怒りを感じたら、とことんまで怒り続けるしかないという生き方をしてきたのだと思います。そして、不全感を残す、つまり自分の中でそれが完結しないのです。だから、外側からそれを与えることが援助的になり得るということであります。
 このような制限は、初めのうちは義母をさらに激怒させることは必至でありますが、長い目で見れば、その怒りが徐々に小さくなっていくのです。時には、このような制限をしてくれたことに感謝する人さえ現れるのです。
 ここの見極めが難しいところであります。相手が怒りを噴き出している状態なのです。ある程度、噴出させた方がいい場合もあるかもしれませんが、速やかに蓋をした方がいい場合もあるのです。
それが現実的なものであれば噴き出しをさせるのもいいかもしれませんが、それが幻想的なもので、尚且つ、エンドレスに続きかねないものに対しては、速やかに蓋をした方がいいでしょう。
現実的とか幻想的というのは、前者の怒りの内容は現実に根差した主題ということであり、後者の怒りの内容はその人の心的な事柄に根差している主題であるということです。後者は、非論理的であり、極度に主観的で非現実的であり、妄想的な内容のものということであります。従って、前者は現実的な何かが動けば収束する方向に向かうのですが、後者は現実の何かに根差していないがために、現実的に動いていくことがなく、「耽溺」「嗜癖行為」に向かうことが多いと私は考えています。つまり、不変のまま延々と繰り返されるということです。
 そのために、ここで受け取り手は論理的であることが求められるのです。不思議に聞こえるかもしれませんが、事例の基になった4人のうち、3人が理数系の方面で仕事をしているか、理数系の学部を卒業した人でした。本当なら論理的な思考が十分できる人たちなのに、送信者との関係では論理性を失うのです。
 もし、こうしたラインを受け取って、どうしていいか分からない場合、論理的に考えることのできる第三者に相談してみることはいいことだと思います。感情的に考える人は、この場合、あまり助けにならないと私は考えています。

(217―4)条件と制限
 もう一つ重要なことは、落ち着いて話し合うのであれば応じましょうという一つの要求を出しているわけであり、それは相手に一つの条件を提示しているという点です。こちらが条件を出すということで、一つ相手より優位になるのです。これを相手に呑ませるということであり、その条件を相手が破るようなことを少しでもすれば、即座に話し合いを中断して、あくまでもお互いにその条件を守り通すということをするのです。だから、こちらが条件を破ってしまった場合には、相手に中断する権利が同じようにあるわけです。
 そして、相手に付き合い過ぎないということも肝要だと思います。ひっきりなしに送られているラインにいちいち応じなくてもいいのです。一言、「仕事中は返事が送れないから、毎日、仕事後に返事することにします」ということを伝えればよく、それ以外の時間に送られてくるものに対しては、極端な話、無視してもいいのです。もし、「そんなこと言って逃げる気か」などと言ってこようものなら、「すみません。私には私の生活があるので、すべてあなたに合わせることができないのです。悪しからずご了承ください」と伝えておけばいいでしょう。
 そして、その時間以外にいかなる接触も相手と取らないようにするのです。相手にこちらの時間を守らせるわけであります。
 時には、「たいへん長文のメールをいただき恐縮です。できましたら、落ち着いて、簡潔に要点を述べるようにしていただけると、たいへん助かるのですが」と求めてもいいでしょう。それで相手が「あんたに要求する権利などない」と言おうものならしめたもので、「私の権利が認められないのですね。それは人権侵害ということでしょうか」と話をそちらに持って行っても構わないし、あるいは「これは権利とは別の話ではないでしょうか」と持って行ってもいいでしょう。さらに、あるいは、「あなたが私の権利を認めて下さらなくても構いませんが、私は一日の限られた時間しかあなたの相手はできません」と片付けてもいいでしょう。
 これは接触の時間を制限するという方向であります。怒りの表出の制限と接触の制限を相手に課すわけであります。送信者は、これをされると非常に不愉快な体験をするのですが、長い目で見れば、これが双方を守ることになるのです。
 このことを別の表現で言えば、相手と接触し、話し合いをする際の枠組みを固めるということであります。その枠内での話し合い、接触に限定するということであります。

(217―5)質問
 この種の送信者と相手をする場合、私の場合は面接の場でということになるのですが、とにかく相手に質問するというのも有効な場合があります。相手は、こちらが分かっていて当然だという感覚で迫ってくるかと思うのですが、質問してあげると、相手は自分の感情が相手には自明のことではないということに気づいてくれることもあるのです。まあ、事例の義母のような人には望みが薄いかもしれませんが、無意味でもないと考えています。
 義母が激しい調子でラインを寄こしてきます。それに対して、「お義母さんがそんなに怒っているわけが僕には分からないのですが、どういうことでしょうか」と尋ねてみてもいいということです。
 義母はそれに対して、「あんたが何も考えていないから分からないのだ」と言うかもしれません。「分からないから、分かろうと思って、こうして尋ねているのです」と応じてもいいでしょうし、「僕はお義母さんの怒りをお尋ねしたのに、答えてくれませんでしたね。どうして僕の問いには答えてくれないのですか」とさらに質問で応じてもいいでしょう。多くの場合、こちらの質問をこの種の人ははぐらかすのです。でも、そのことは、話の矛先を向け変える場合に有効であるということも意味するのです。
「一気爆発型」の相手に対しては、これがやりやすいのです。この型の人は、その日、限界に達するような出来事や、堪忍袋の緒を切らせるような何かが起こっているかもしれないので、それを訊いてもいいのです。「いきなりどうしたんですか。なにかあったのですか」と質問していけば、相手を激怒させた出来事が聞き出せるかもしれず、その出来事に関しての話し合いを続ければいいのです。
 肝心な点は、どちらのタイプであれ、話し合いの主題を一つに絞ることです。相手はそれを広げようとします。そうすると収拾がつかないので、一つに限定して、そこを丹念に尋ねていくわけであります。

(文責:寺戸順司)