<テーマ212>夫婦という人間関係~親(6)

<テーマ212>夫婦という人間関係~親(6)

(212―1)妻の一回目の面接
(212―2)妻の二回目の面接
(212―3)母親の完全主義

(212―1)妻の1回目の面接
 「母親の冷酷な一面を見てしまって、さぞ、怖かったでしょう」
 半ばパニックになり、怯えている彼女に私はそう語りかけます。彼女はこくりと頷き、
 「でも、それだけじゃないんです。あの母の血がわたしにも流れているかと思うと・・・」自分でも耐えられないということでしょう。彼女のこの発言は、彼女が母親との過剰な同一化から抜け出なければならないという観念の、彼女の中では漠然とした観念であるかもしれませんが、そうした観念の萌芽を示しているように私は思いました。また、母親が失格とみなしたカウンセラーの所に訪れたことにも、その萌芽が感じられました。
 私は話題を変え、「それで、私にどうしてほしいのでしょうか」と尋ねます。彼女が何を求めて私の所に来たのかを明確にしておくことが先決だと考えました。
 彼女は、「何とか知恵を貸してほしい」と頼みます。
 私は「では、あなたはこの事態をどのように収束させていこうとお考えでしょうか」と尋ねます。私のこの発言は、かなりの直面化を含んでいます。敢えてそうしているのです。彼女は苦しそうでした。これは、つまり、彼女たちが彼に対してしたことを、敢えて私が彼女にしているのです。
 「分かりません。先生はこうなることを予測していたでしょうか」
 こうなることと言うのは、彼が病院に入ることになった事態のことでした。私はその恐れが常にあったと答えました。彼の報告した夢があったからでした。あの夢はあきらかに恐ろしいものが彼の中に侵入していることを示しており、彼が生きられる領域が極小化されていることを示していました。
 「彼がこうなったのは、私の責任でもあり、この件に関係しているすべての人に責任があるのです」と私は彼女に伝えます。要するに、これに関係のある人は誰も傍観者の立場ではいられないということを彼女に示しているのです。
 このことは彼女にとってとても苦しいことでした。彼女にとってそれがとても苦しいことだということが私にも分かっています。そんなことを言わなければならない私も辛い気持ちになっています。それでも、そうしなければいけないと感じていました。
 この事例で、一番の問題は彼も彼女も決断をしなかったという点であります。義母たちのことなんて放っておいて、自分たち二人で暮らしますと、早いうちにそう決断していればもっと違った展開になっていたことでしょう。しかし、彼の方は罪責を担い過ぎて弱体化し、自己主張もできなくなっていきました。彼女の方は、そんな彼を見て、とても決断ができなかったという感じだったようでした。
 今になって、彼女は振り返ります。彼と交際して、良かったこともあったし、結婚してこのような事態になったけれど、彼なりによくしてくれたこともあったと。
どうしてそれに満足していないのでしょうと私は尋ねます。
 彼女は、何かが違うと感じていたと答えます。それはきっと、彼女が本当に求めていることを彼が与えてくれなかったということであり、彼が与えてくれるものは、それは良かったものではあれど、彼女の本望から外れているということなのでしょう。では、彼女は本当は何を与えてもらいたかったのでしょう。
 私が尋ねると、彼女は「分かりません」としか答えませんでした。彼女も義母も、自分が本当に求めているものが彼から得られないということで立腹していたのだと私は考えていますが、二人とも同じ種類の何かを求めていたはずなのです。
 私は彼女に「それは救済のようなものではなかったでしょうか」と、思うところを述べてみました。彼女は、そんな感じもするけど、よく分からないと言います。そこで時間が来て、終了したのですが、彼女の中で何かが落ち着いたという感じが残ったという感想を述べられました。
 私は、もう少し心の中を見てみようと思うのでしたら、お手伝いはしますが、よく考えてくださいと伝え、彼女を見送りました。

(212―2)妻の2回目の面接
 二週間後、彼女は再び来談しました。以後、三回、面接は続きます。
 まず、彼女は「前回、救済と言われて、思い当たることがあったのです」と打ち明けました。
 彼女は母親から救い出してくれる誰かを求めていたのです。本当は母親が憎いのだと、そう話しました。でも、母親は有無を言わせぬような勢力があり、彼女はいつもそれに負けてしまうということでした。
 彼女には過去に数人の男性と交際した経験がありました。ある男性は、「君と付き合うのはいいけど、あの母親を何とかしろ」と言い、別の男性は「まるでお母さんと交際しているようだ」と言いました。何があったのか、想像に難くないというものです。
 一つだけはっきりしたのは、彼だからこういう問題が生じたということではないということです。彼女が他の男性と結婚していても、やはりこの種の問題が起きていたことでしょう。そして、大抵の場合、男性の方が辟易して彼女を「捨てる」のです。彼だけが彼女を「捨てない」でいたのです。でも、その彼は「自分を持っていない」人間だと見做されているわけなのです。無茶苦茶な話ではないかと、そう私は思うのです。
 私たちは、今回の件のそもそもの発端の場面を見なおしてみることにしました。結婚前の、双方の家族が顔を合わせた時のことです。
私は彼女に何が起こったのかを彼女に尋ねました。彼女は「彼の父親がひどいことを言ったのです」と、案の定の答えをしました。私は「あなたの外で何が生じたかではなくて、あなたの中で何が生じたのでしょうか」と問い直します。
彼女は傷ついたと答えました。そう、確かに傷ついたのだと思います。では、彼の父親のその一言は誰に対して言われたものだったのでしょう。それは彼女の母親、彼の義母に対しての一言だったのです。この一言で、義母が傷つくというのは分かるのですが、同じように娘も傷つくというのは、少し理解し難いのです。そのことを彼女に伝えると、「なんだか同じように傷ついたのです」としか答えられないのでした。
 ここで、注目したいのは、母親と同じように娘が傷ついているということです。母親の痛みを娘も体験しているのです。そして、あの時、仲裁に入らなかった彼に責任があると、母も娘もそう信じているのです。同じ体験をして、同じ見解、思考を有しているのです。
 彼はケンカをさせるために双方の顔合わせをしたと思いますか、私はそう彼女に尋ねます。意外にも、彼女はそんなことはないと答えました。確かにそうでしょう。お互いに顔合わせをして、挨拶をして、今後ともよろしくと言ってお別れするものだと、彼もそう信じていたでしょう。ところがそうならなかったのです。本当にそれが彼の責任なのだろうか、私は彼女に考えてもらいます。そして、彼も「被害者」だと思わないでしょうかとも尋ねてみました。
 彼女は「そんなこと考えたこともなかった」と答えます。そして、「冷静に考えれば、それも分かるはずだったのに」と話します。それもそうでしょう。それは母親の見解なのです。その母親の見解を彼女は無批判に自分のものにしているのです。母親との過剰な同一視とはそういうことなのです。
 私は彼から伺う範囲のことしか分からないのですが、母親と娘がまるで同じ物の見方をして、同じ考えを持っているように見えていたと彼女に話します。彼女自身、それは認めていました。そんなふうにまったく同じというのはおかしなことだとは思わないだろうか、そう彼女に尋ねます。つまり、いくら仲の良い親子であっても、認識や見解に多少の違いがあって当然ではないだろうかと、彼女に尋ねたのです。
 彼女は、それはタブーだと答えました。つまり、少しでも母親と意見を異にすることは許されないのだと、彼女はそう信じていたようです。言い換えれば、母親との関係において、彼女は自分を持ってはいけなかったのです。
 こう考えると、彼が彼女のような女性を相手に選んだのは頷けるのです。彼は二者関係を十分に経験したことがありませんでした。でも、自分を「しっかり持っている」人との二者関係は彼には辛いのだと私は思います。彼のような人にとって、そのような二者関係は、自分に欠損を見出してしまうというような体験をもたらすことが多いからです。

(212―3)母親の完全主義
 これから自分はどうしていけばいいのか分からない。彼女はそう訴えます。
 私は、やはり彼に対して行ったのと同じように、何が母親のもので、何が彼女自身のものであるかの区別をつけていきたいと提案しました。母親の体験と彼女の体験の区別、母親の思考と彼女の思考の区別を、一つ一つにおいて見ていきたいと伝えました。自分がどうしていけばいいかが見えないということは、余計なものが前景に立っているからであり、本心とか本当の気持ちとかいったことはその背後にあって見えなくなっているだけであることが多いからです。
 彼女はそれはとても恐ろしいことだと言います。確かにそうだと思います。自分が母親と異なっているということを受け入れること、それを見ることは彼女にとって恐ろしいことのはずです。なぜなら、それは母親を裏切ってしまうような行為として体験されてしまうでしょうからです。
 もし、そんなことをすればどうなると言うのでしょうか、私は彼女に尋ねます。母親と違った人間になっていくこと、時には母親の期待を裏切るということをしたとしたらどうなると言うのでしょうか。彼女は、要するに、そういうことをすれば母親からの厳しい懲罰が待っていると、そう信じているのでした。
 彼女はそれをとても恐れているようです。一体、彼女は母親から何をされたのでしょう。この母娘の間で何があったのでしょう。彼女にとって、何か恐ろしいこと、繰り返したくないと思う何かがあったのだと思う、私はそう伝えてみました。
 彼女は具体的には話してくれませんでした。ただ、母親が怒る時は、たまらなく恐ろしいということを彼女は述べました。きっとそうでしょう。あまりに恐ろしいので、彼女は母親に従うしかなかったのです。そして、その恐れに今でも囚われているのです。
 だから、母親との間で経験したことは、とてもここでは話せないと、彼女は言います。話したくないものを無理矢理に話させようとは僕は思わないと、私は彼女に伝えます。そして、恐れる気持ちがあるのは事実だし、それも否定しているわけではないと。でも、もしかすると必要以上に恐れていることだってあるかもしれない、あなたが安心できるに従って、それを話せるようになるでしょう、と、そのように私は彼女に伝えました。
 恐ろしいエピソードを無理に話さなくてもいいと聞かされると安心したのか、彼女は少しだけ話し始めました。母親は規則づくめだったと、彼女は話します。門限も、起床時間も就寝時間も、彼女の一日のスケジュールは母親がすべて決めるのだと。遊びに行く時でも、誰と一緒なのか、何をして遊ぶのか、しつこく聞かれたと。要するに、彼女の生活は母親の基準に従わなければならないものであり、彼女がプライバシーを持つことは許されていなかったのです。
 そして、こうした基準を守れなかった時には、厳しい叱責が加えられると彼女は言うのです。時には、母親が手を上げることもあったそうです。「ずいぶん、理不尽な話ですね」と私が合いの手を入れると、彼女は素直にその見解を受け入れました。ちなみに、こうした合いの手は、基礎固めをしているようなもので、こうした何気ない合いの手に力を得て、話せなかったことを話せるようになる人も多いのです。彼女にもそうなって欲しいと、私はそう思い始めていました。
 恐ろしい体験から解放されていくに従って、その体験から距離を置くことができるに従って、人はそれを語れるようになるのです。それに囚われているうちは、それに対して自分がとても無力だと感じていたり、とても人には話せないと信じ込んでいたり、彼女のようにそれが裏切り行為として体験されたりするのです。この囚われを解きほぐしていくことから始めて、それから母親との自我境界を明確にしていく方向で進めていこうと私は考えていたのでした。
少しだけこの母親のことを見てみましょう。母親が厳密に基準を設け、娘がそこから少しでも逸れることを許さないというのは、この母親の強迫性であります。完全主義的で、予定外のイレギュラーなことが一つでもあれば途端に対処できなくなり、混乱してしまうのだと思います。後に取り上げることになるのですが、この母親が彼に送りつけ続けたラインを見ても、こうした傾向がよく窺われるのです。

 さて、本項も長文となりましたので、一旦、ここで筆を置くことにします。次項にて彼女の3回目、4回目の面接を記述します。それ以後、この事例に再度振り返りながら、いくつかの問題点を取り上げる予定をしております。

(文責:寺戸順司)