<テーマ195>DV関係~コミュニケーション~やりとり分析(3)

<テーマ195>DV関係~コミュニケーション~やりとり分析(3)

 前項に引き続き、あるDV夫婦のメールやりとりの考察を続けます。

11・妻「途中で話を止めたらよかったわね」(X~55)
12・妻「ごめんなさい」(X~55)

 同僚のM君に聞かれていて話し辛かったという夫の発言を受けての妻の返答です。
 妻は罪悪感を高めてしまっています。まるで長時間電話で話し合った責任が自分にあるように体験しているようです。
 ここも境界が不鮮明であることが分かります。近くにM君がいるので、夫が途中で話を止めたらよかったと言うのが本筋だと思うのです。夫が言うべき内容を妻が言ってしまっているのです。夫の体験している感情が妻のものになってしまっているのです。
 そして妻がそれに対して謝っています。妻は自分にほとんど責任のない部分で謝らなければならなくなっています。「Mさんがいるなんて、わたし、知らないわよ」とも言えなくなっています。妻は自己弁護できなくなっていて、夫の認識に適合してしまっていることが窺われます。
 ここでメールが二つに分かれているということに注目しておきます。11の発言をして、即座に12が付加されています。9・妻の発言(「わたし、あなたが外出中だとは知らなかった」)の時点よりも、妻の罪悪感が深まっていることを示しています。そして、これ以降、両者の発言が小刻みになる場面が増えてきます。次の夫のメールはこれに反応してのものかもしれません。

13・夫「やっぱり会社の中では(噂が)広まるから」(X~56)
14・夫「俺も幹部だから」(X~56)
15・夫「責めてないから」(X~56)
16・夫「ごめん」(X~56)

 一分以内に4件、打ち込んでは送信してということを夫が繰り返しています。どうして送信が小刻みになるのかということは後々考えていきます。
 この一連の夫の発言はどのように読むことができるでしょうか。夫の発言に非難の色合いが濃くなってきているように思います。13では「お前のその行為は迷惑だ」というニュアンスが伝わってきます。そして14にて「俺の立場上、それは困る」と伝えています。15では、「でも、これは非難ではない」と自分の何かを打ち消そうとしています。もしくは、「これを非難と受け取ってはいけない」という禁止を含んでいます。そして、16において「(こんなことを言って)ごめん」と、さらに15の打消しをしているように思われます。
 つまり、責めるような内容の発言をした後で、でも責めているわけではないからと打消し、その後で、責めるようなことを言ってごめんと二重の打消しが行われているのです。
 この種の発言がなされるには二つの可能性が考えられると思います。
 一つは両極端に引き裂かれてしまっているような人、葛藤を抱えている人がこうしたスタイルの話し方をされることがあります。例えば、「妻を責めたい夫」と「妻を責めてはいけないと思う夫」が、夫の中で衝突していて、両者が交互に現れてしまうというような場合であります。
 もう一つの可能性としては、夫が自分の中だけで収束させようとして、妻に介入させないという場合です。責めるようなことを言って、即座に弁解し、即座に謝るということを立て続けに行い、妻に割り込ませる隙を与えないのです。
 私は二つ目の可能性が高いと思っています。一つの文章が完成されないまま送信されると、妻の方も送り返しにくくなったのではないかと思います。もちろん、夫が意識的にそうしているというわけではなくて、そうせざるを得なかったのだと思います。夫もまた混乱していたのだと思いますし、混乱している時に妻から介入されることが負担に感じられていたのかもしれません。
 そして、妻に介入する隙を与えないということは、夫は自分の見解をより確かなものにできるのです。これを受けての妻の返答は、妻が夫の見解を積極的に支持していることを示しているように思います。

17・妻「不敏かけてるって思う。辛い気持ちにさせて、ごめん」(X~59)
 私は最初にこれを読んだ時、「不敏」がおかしいと思いました。「不敏」というのは「如才の乏しいこと」を意味する言葉なので、「ふびん」と打ち込んで、誤変換したのだと思います。誤変換でなかったとしたら、「如才の乏しい」のは何を、あるいは誰を指して言っているのでしょうか。
 これが誤変換で、本当は「不憫」と表記したかったのだとすれば、なぜ「不憫」を妻は間違えてしまったのでしょう。私は興味を覚えます。妻は「不憫」と打ち込もうとして、結果的に「不憫」を否定してしまっているのです。この「不憫」は夫に対しての感情であるのでしょうが、妻がそれを受け入れることができないということになるのではないでしょうか。
 つまり、「わたしがあなたを不憫にしてしまっている」という認識は、妻には受け入れることができず、また、その認識は妻の本心にそぐわないということになると思うのです。どこかでその認識を否定したいのだと思うのです。それが誤変換として、失錯行為として表面化したのではないかと私は思うのです。
 これが誤変換だと仮定して話を進めているのですが、こうした変換ミスがここで初めて生じているということは、妻の側に何らかの精神的な動揺や混乱が生じていた可能性が考えられそうです。それは、自分ではない型に自分がはめ込まれていくような、あるいは、自分の観念ではないものを言わされているような、そのような体験を妻がしていたことを示しているのかもしれません。
 その後の「~かけてる」があるので、ここで妻は「不便」を言おうとしたのかもしれません。「不憫」であれ「不便」であれ、妻はそれを受け入れられないのだと私は考えています。
 後半は妻が再び謝っています。「辛い気持ちにさせて」と妻は言いますが、辛い気持ちを体験しているのは夫の方だけなのでしょうか。

18・夫「いいよ。今度からは時間を決めて話をしような」(X~59)
 読んでいて混乱してきそうです。夫の方が最初に時間を決めて、その夫が決めた時間を破っておいて、今度は時間を決めて話をしようと夫が提案しているのです。自分が守らなかった提案を妻に課しているのです。
 ここからも、少し前の体験が夫の中ではすでに切り離されてしまっていて、少し前のその体験は今現在の夫の状況や感情によって歪められたり、違ったものになっていたりしてしまうことが窺われるのです。
 夫の記憶は、今現在の、その刹那の感情によって変わってしまうのだと思います。もし、そうだとすれば、受け手は夫の言うことに矛盾を感じ、混乱してしまうでしょう。しかし、夫の中ではそうした矛盾が生じていないのです。過去が自我に統合されていないので、そうした矛盾が感じられないのです。
 夫にそのような事態が生じているとすれば、それは夫がたいへんな危機状況にあることが理解できるのです。なぜなら、夫の自我は時間軸において統合されていず、体験が断片化し、保たれている記憶力のために回想はできるのですが、その回想は現在の色調を帯びて違った体験として想起されるからです。支離滅裂になる手前のように私には思われるのです。
 ところで、17・妻の発言で、妻は夫の認識に同調してしまい、夫に謝るという行為をしています。それに続いて、「今度から時間を決めて話をしよう」という別話題が持ち上がっています。「妻が謝る、あるいは同調する―夫が別の話題を出してくる」というパターンがここで始まります。

19・妻「そうだね。そうしようね」(X~60)
 夫の言っていることの矛盾に気づいていたかどうかはわかりませんが、妻は夫の見解や認識に適合しています。「それ、おかしいわ。今日だって時間を決めて話をするはずだったじゃないの」とは言えなくなっています。これは言い換えるなら、妻はすでに主体性を喪失してしまっていて、夫の主体性の中に生きているということになると思います。
 そのように私が思う理由の一つが夫の次の発言に求められるのです。

20・夫「夫婦が離れ離れなのは良くないね」(X~61)
 夫の「夫婦が離れ離れなのは良くない」という観念はどうしてここで出てきたのでしょうか。私には初めのうちはそれが理解できませんでした。夫に何が生じていたのか、本当のところは彼にしか分からないのですが、私の見解を述べることにします。
 妻はすでに夫の主体に呑みこまれていました。夫からすると、妻と自分との一体感として経験されていたかもしれません。そこで、「これだけ一体感のある夫婦なのに、どうして離れ離れにならなくてはならないんだ」という観念が生じているのかもしれません。それでこの発言が出てきたように私には思われるのです。
 しかしながら、この夫婦は当時別居中でした。この別居の契機は夫側の暴力にあったのですが、それには一切触れられていません。夫の中ではそこは切り離されているのでしょう。

(文責:寺戸順司)