<テーマ184>結婚・恋愛・性~序論

<テーマ184>結婚・恋愛・性~序論

(184-1)はじめに
(184―2)人格的な体験
(184―3)ハウ・トゥの排除
(184―4)今後の展開


(184―1)はじめに
「結婚・恋愛・性」というページを設定しました。本項はその概要を記すものであります。
 まず、結婚に関して、すでに離婚やDVなど特定のテーマで綴ってきていますが、それら以外にも結婚に関する様々な面を取り上げて考察していこうと考えています。ちなみに、ここで言う結婚とは、結婚に至るまでから結婚後の夫婦生活をも含めて指しています。
 大抵の場合、結婚に先だって恋愛という感情や行為があります。結婚と恋愛は別だと考える方もおられるのですが、それでも夫婦生活を営んでいくためにはなんらかの愛情が必要だと私は考えています。従って、個人の愛情に関する能力や成熟の度合いは、その人の結婚や結婚後の夫婦生活にとても影響するものと私は考えています。
 性に関しては、これには二つの要素が含まれています。一つはセックスに関するものであり、もう一つはジェンダーに関するものであります。両者を含めて考えていこうと計画していますが、こうした性に関する事柄で問題を抱えていたりすると、恋愛や結婚にも深く影響することもあるので、併せて取り上げることにします。
 結婚・恋愛・性、便宜上それぞれ個別に論じていくことになりますが、実際はこの三者は切り離せないものであるということをここで指摘しておきたいと思います。もっと正確に述べれば、この三者はそれ以外の領域の事柄とも密接に関係していることなのです。
 例えば、このような人もおられます。性に関しての問題とか悩みを抱えていて、それが自分のジェンダーにも影響していて、そのために恋愛はいつも不毛に終わり、結婚の可能性を断念しているという人もあります。また、結婚はしたものの、改めて自分の愛情能力の欠如に気づき、それが性行為にも影響してしまっているという人もあります。性にひどく没頭してしまい、そこから恋愛の可能性が閉ざされ、結婚なんて信じられないという人もおられました。こうした事例に関しても述べることができればと思いますが、この三者が相互に関係し合っているという観点を見失わないようにしていただければと願います。

(184―2)人格的な体験
 また、結婚も恋愛も性に関する事柄も、すべて人格的な行為・体験であるということもここで強調しておきます。それらはすべてその人の人格全体が関与する事柄なのであります。
 私の考えでは、性体験も恋愛体験も、結婚することも、その人の人生に彩りと広がりをもたらし、人格的に豊かになる体験であります。
 ところがそのようにならないという人も少なからずおられるのを私は知っております。例えば、異性に恋愛感情を抱いた途端に人格が崩壊してしまったような人もおられました。著しい精神病的症状をその人は呈してしまいました。また、性的成熟の一段階に固着してしまって、ある特定の性行為しかできず、且つ、その段階から抜け出すことができないでいたために、人を愛する能力が阻害されてしまい、精神的にも貧困な人もおられました。
 恋愛や性体験のショックに耐えられず、心理的にまいってしまうという例もよく耳にするのですが、そのことはそれらが人格に及ぼす影響の少なくないことを如実に示しているのだと思います。
 人格全体が関与するということは、徹底的に自分が問われてしまうという体験につながるものです。性に関する体験も、恋愛体験も、結婚ということも、その都度、自分が問われてしまう経験になりうるのです。そのために苦しみを伴うことも少なくないのです。
この苦しみを回避しようとしてしまう人たちもおられます。その気持ちは私にも分からないことではないのですが、一方で、そうして自分の可能性を閉ざしてしまう人たちに何かしてあげたいという気持ちも私の中にはあるのです。
その人たちは恋愛や結婚、あるいは性に関する行為を嫌悪したり忌避したりして、それをする十分な理由を述べることもできるのですが、本当に彼らを恐れさせているのは、自分自身がそれによって問われてしまうということに耐えられないのだと私には思われるのです。
確かに自分自身が問われてしまうということは苦しいことであります。自分の在り方、これまでの生き方などに向き合うことになり、自分がこれまで避けていたことに再び直面することにもなりうるのです。場合によっては、これまでの生き方全体が変わっていかなくてはならなくなることもあります。恋愛も結婚も性体験も、その契機になる体験なのです。

(184―3)ハウ・トゥの排除
 次に指摘しておきたい点は、私の記述に何か「ハウ・トゥ」的なものを期待されない方がいいということです。性や恋愛に関して、あるいは結婚に関して、「こうすれば上手く行く」的な記述は一切得られないことでしょう。私がそれをすることに反対しているからなのです。
 恋愛とかセックスに関しては実にさまざまなハウ・トゥ本が出ています。困ったことに心理学者や精神科医もその手の本を書いていたりします。これが読者をどのような困った状況に追い込んでしまうかをあまり考えていないのではないかと私は案じています。
 例えば私がパートナーとセックスをするとします。私は自分のセックスに自信がないとしましょう。そこで「相手をものすごく満足させるセックス術」なる本を読んで勉強したとしましょう。
 そうして私はパートナーとのセックスに臨みます。行為の最中、私の頭の中では「次はこれをして、その次にこんな風にして」というようなことを考えているでしょう。そして行為が終わると、私はパートナーに「満足してもらえましたか」と尋ねることでしょう。そして相手の返事がイエスであれば、私はこう思うでしょう。「あの本に書いてある通りだった」と。これはその本の評価をしていることになります。
 分かるでしょうか。私は常に自分が上手くやっているかどうか、その本の通りに実践できているかどうかだけを考えているのです。上手くできたという自信は得られるかもしれませんが、その自信は自分の体験に裏打ちされていないので自分のものにはならないでしょう。また、私はその時のパートナーとのセックスから何一つ経験していないし、何一つとして自分が豊かになるような体験をもたらすことができていないのです。ただ、専門家の言葉を実勢して、その通りにできているかどうかを確認して、常に頭で考えているだけなのです。
 極論を言えば、ハウ・トゥは個人から豊かな体験を奪う、もしくはその機会を失わせるものだと私は考えているのです。だからそのような弊害をもたらすようなものを述べる気にはならないのです。
さらに言えば、その道の専門家によるハウ・トゥが説かれれば説かれるほど、受け手の不安は却って増大するものだと私は考えています。つまり、そのハウ・トゥが優れていればいるほど、その通りにできない自分の不安がますます増大するわけであり、また、その通りにしても上手くいかない場合、更なるハウ・トゥを求めなければいられなくなるのです。
 だから私にそのようなものを期待されないようにお願いしたいのです。ハウ・トゥ的な記述は排除していくつもりでおります。

(184―4)今後の展開
 さて、今後の展開ですが、結婚、恋愛、性に関してそれぞれ私の考えているところのものを記述していくことになるでしょう。他のページ同様、体系的なものは書けそうにないと思っています。断片の寄せ集めのようなページ、項になるだろうと思います。
 前述の通り、結婚・恋愛・性と個別に論じていくことにしますが、相互にかかわりのある領域であります。特に結婚と恋愛に関しては、相互に重なるテーマでもありますので、興味をお持ちの方はその両方に目を通していただければと思います。
 性に関しては、こういう話題に対して嫌悪感を催される方もおられるかもしれませんが、ご自身の責任でお読みいただければと思います。特に、「性倒錯」の領域にも踏み込んで行く予定をしておりますので、この領域が苦手だと感じられる方はお読みになられない方がよろしいでしょう。

(文責:寺戸順司)