<テーマ181>I氏の事例(6)

<テーマ181>I氏の事例(6)

(181―1)DV夫婦の離婚パターン
(181―2)離婚後のI氏の高揚気分
(181―3)I氏の子供の夢
(181―4)離婚後の動揺気分


(181―1)DV夫婦の離婚パターン
 I氏の離婚が成立しました。不本意なところもあったとは言いますが、とにかく妻と縁を切ることができたI氏でした。
 DVの問題には離婚が伴うことが多いのですが、ここで一つ述べておくことがあります。DVの問題で私のカウンセリングを受けに来たクライアントの大多数は離婚を決意されます。なぜ、関係を修復することではなく、離婚を選んでしまうのかに関して少し述べておくことにします。また、離婚したからと言って、その援助が失敗だったとは言えないということもここで主張しておきたいのです。
 離婚するかしないかは当事者たちが選択することです。私は何一つ示唆していないつもりでいるのですが、「加害者」を送り込んだ「被害者」側の人からすると、私が別れさせたかのように映っているかもしれません。その誤解も解いておきたく思います。
 DV関係のような関係に陥ったカップルが、その関係を修復していくことは、訣別してお互い別々の人生を歩んでいくよりはるかに難しいことだと、私は考えています。その関係を修復していくということ、また、その後もその相手と一緒に生きていくということは、常に過去の忌まわしい関係の記憶を伴って生きることでもあります。そして、今の関係が過去のものに近づいていないか、常に確認し合わなければならないことになります。私はDVの「加害者」も「被害者」もそれに耐えられるとは思えないのです。
 I氏のように離婚を決意される時には、いくつかのパターンがあるように感じています。これは決して相手が嫌になったから離婚するという意味だけではないのです。
 パターンの一つは、カウンセリングを受けていく過程において、クライアントの人格的な部分に変化が生じてくることによります。そうして相手に対しての見方、体験が以前とは違ってくるのです。
 クライアントは相手を以前ほど魅力的に思えなくなったり、本当は相手とは釣り合っていないということに気づいたりするのです。また、I氏のように、相手から全然愛情を感じ取っていなかったということに改めて気づくということもあります。
 もう一つのパターンとして、クライアントは自分の生をもう一度やり直したいという気持ちになっていくという事情を挙げることができます。
 カウンセリングを通して自分自身に取り組んでいくうちに、クライアントの中には、もっと違った生き方ができるのではないかという気持ちが生じてきたり、相手のことで自分の人生が蕩尽されることに耐えられないという気持ちになったりすることがあります。この時、クライアントは相手のために生きること、相手のために自分のいろんな部分を切り捨てて生きていく生き方を放棄し始めるのです。この感情が後に離婚として結実していくこともあるのです。
 後者のこのパターンは、例えば、相手のために犠牲を払うのが嫌になったとか、相手に奉仕していくのが辛くなったとか、言いなりになるのに耐えられないとか、そういう意味ばかりではないのです。要は一人の人間としての「個」を確立したくなっているということなのです。ここにクライアントは相手から「自立」したいという気持ちになっているのに、相手の方は「融合」しようとしてくるという状況が成立してしまうのです。この状況を打破するためにも離婚が求められることがあるのです。
 さて、I氏の事例を続けていきますが、上記のことを踏まえた上で離婚後のI氏に生じた動きを見ていかれると、より理解が深まるのではないかと思います。

(181―2)離婚後のI氏の高揚気分
 離婚成立後のI氏のカウンセリングは、第3期に突入することになるのですが、この間をさらに細分化することが可能です。高揚―落ち込み―安定といった流れとして見ることができると思います。
 まず、離婚後のI氏というのは、とにかく元気そうでした。解放されたような、晴れ晴れとした表情で毎回訪れていました。
 これからは仕事を今まで以上に一生懸命にやっていく、そして、もっと上を目指していく。そうI氏は決意されていました。
 I氏によれば、入社当時はそんな気持ちでいっぱいだったそうです。妻と離婚してから、その気持ちを思い出したと語ります。妻はそれに反対していたそうです。妻の観点では、仕事はそこまで熱心じゃなくてもいいから、夫には家庭に居てほしいと願っていたそうです。I氏はいつしか妻の願いに従っていたと振り返ります。
 また、もっと上を目指そうとすることさえ妻は反対していたと、I氏は語りました。これも妻によれば、I氏の母親の影響だということで、悪いことだとされていたのでした。でも、今ではI氏はそれが間違いではないということに信を置いています。親も望んでくれていたことを自分も目指していって、どうして間違いなのかと、そんなふうに思うと彼は語ります。
 いささか行き過ぎなのは、彼は休日でも仕事や仕事に関する用事を入れてしまうことでした。私にはI氏が何かを払拭しようとされているようにも見えました。
 また、恐らく彼の元妻からでしょうが、身に覚えのない請求書がI氏のもとに届くということがこの時期に何回かありました。I氏はそれらを一切無視しました。元妻には規定の慰謝料と生活費を渡しているのだから、それでやっていけばいい、いつまでも夫婦時代のままの感覚でいられても迷惑だと、あっさり切り捨てるのでした。
 その他にも元妻からの迷惑行為などが見られましたし、尾行とか張り込みの類も続いているようでした。それは元妻にとってはあなたと離縁していくための儀式のようなものだと捉えてほしいと私は頼みましたが、I氏も強いもので、「なんぼでもやったらええ」という意気込みでした。
 そうした元妻の言動は、最初のうちこそI氏の内面を掻き乱したりしたこともありましたが、やがて、彼は自分を律するようになり、元妻からの影響を一切受け付けなくなっていました。

(181―3)I氏の子供の夢
 I氏の生活は仕事一筋という観を呈していましたが、一方では一人暮らしをけっこう楽しんでおられるようでもありました。
 そんなある日、彼は珍しく夢を見たと報告しました。夢では、妻と子供と三人でハイキングに行っていて、子供が川に転落し、そのまま流されていくのです。I氏は子供を助けようと走り出しますが、流されていく子供にどうしても追いつくことができなかったのです。そのような夢をこの時期に見られたのでした。
 けっこうストレートな夢を見られるのだなと思いながら、私は「やはり子供のことが気になるんですね」と伝えました。
 I氏は、とにかく元妻と元義母のタッグから抜け出ることしか考えられなくて、子供のことはどうでもいいという感じになっていたと話します。夢は、どうでもいい存在になってしまった子供が、自分の存在をI氏に思い出させようとしているかのようです。
 少し先取りしておきますと、I氏が子供のことを気にするようになるのはもう少し後の話なのです。後になって振り返ってみると、この夢はそれを予想していたようにも捉えることができるのです。ただ、少なくとも離婚後のこの時点においては、I氏は妻と離縁できたことで気持ちがいっぱいで、子供のことは、言葉は悪いですが、どうでもいいかのように考えられていたのです。
 この時期においては、I氏は子供を諦めようとしていました。しかし、後に子供の事柄は彼の関心事としてカウンセリングの場面に持ち込まれるようになり、「落ち込み」の時期における中心課題の一つとしてI氏にのしかかってきます。

(181-4)離婚後の動揺気分
 しかし、いくら高揚していた時期とは言え、I氏にまったく動揺が見られなかったわけではありません。
 もし、仮に「10年以上一緒に暮らした相手と離婚して、清々して、これからは前向きに生きよう」ということが安易にできるとすれば、その人は限りなく「精神病的」であります。自分の歴史に関して、そこまで断絶することは、通常では、できないことだからです。
 I氏にも動揺がありましたが、I氏はそれを過小評価していました。つまり、「ちょっと以前のことを思い出しただけだ」と捉えて、片づけてしまうのでした。
 彼がそこまで高揚して、ハイテンションで仕事と生活に打ち込んでいる背景には、やはり何かを払拭したいという願望が働いているのだと私は考えていました。ただ、彼は、少なくとも今はそれを取り扱う気持ちにならないでいるようでした。私は時期を待つことにしました。
 元妻は事あるごとに彼にお金を請求してくるようでした。彼は子供の養育費以外のものは一切払わないと決心していました。彼に言わせると、この養育費も少し多い目の額に設定してあり、その上、自分に何が起きても必ずこれだけは欠かさず支払うということを彼は自分の義務にしていると述べました。
 さて、I氏の話では、元妻はほとんど就労経験がありませんでした。アルバイトの経験があるくらいで、若いうちにI氏と結婚して、その後はずっと専業主婦で生きてきました。今、彼女は自分で生計を立てていかなければならなくなっているのです。
 I氏はそれを元妻の自業自得だと言い切り、そして、いかにしてお金を請求するかを考えるよりも、少しでも就労に馴染んでいく方がいいのに、愚かだと元妻を評します。子供が成人したら養育費もなくなるのに、それでも彼女は生きていかなければならないのに、そういう準備をまったくしようともしていないということなのです。
 しかしながら、時には、元妻が自分で生計を立てなければならないのが彼女の自業自得であるとは言え、彼女にそれができるだろうかと、I氏の心配するような口ぶりも見られました。
 本当は、そこは彼が気に掛けなくてもいい部分ではあります。彼女がそういう人生を選び、実現してきたのだから、彼女の課題は彼女に帰すべきだと思うのです。むしろ、彼はその他の部分を見なくてはならないのです。自分のその部分を見ようとしないので、相手の部分がよけいに見えてしまうのです。I氏自身のそれを見るようになって、次の「落ち込み」の時期が訪れるのですが、それは次項に回しましょう。
 さて、本項の最後に、離婚後の動揺について述べておきます。
 望んでいた離婚であっても、離婚成立してからしばらくは当人たちは動揺したり不安定になったりするものです。そして相手に対して、また相手とのこれまでの生活などに対して、非常にアンビバレントな感情に陥り、揺れ動いたりします。
 そうした離婚後に相手に対して感情が揺れ動くという現象は、離婚経験者にはよく見られるものです。離婚に限らず、失恋においてもそのような体験をする人も少なからずおられるだろうと思います。私の経験した限りでは、それは相手と心的に訣別するための一段階として位置づけられるように思います。
 特に、相手と「濃い」関係にあった場合にはそういうことがよく起きるように私は感じています。「濃い」というのは、親密という意味だけでなく、一体感とか、「部分的自己対象関係」と呼ばれる関係なども含んでいます。
 つまり、そういう相手と訣別するということは、自分のこれまでの歴史を失うだけでなく、自己の一部をも失うような体験として経験されてしまうのです。一方でこの喪失を受け入れようとしながら、他方ではこの関係を失うことに抗う気持ちが、少なくともこの段階では共存しているのです。それがそのようなアンビバレントな感情として表出されているのだと考えられるのです。

(文責:寺戸順司)