<テーマ177>I氏の事例(2)

<テーマ177>I氏の事例(2)

(177―1)I氏と親との関係
(177―2)I氏、書籍を持参する
(177―3)再燃される感情
(177―4)不鮮明な境界


(177―1)I氏と親との関係
「このカウンセリングで何を最初に取り上げたいですか」
 I氏との2回目のカウンセリングの冒頭で私は彼に尋ねます。I氏には取り掛からなければならない課題がいくつもあることを述べ、その上で、何が今のI氏にとって最優先させたい事柄であるかを尋ねたのです。
 「親とのこと、特に母親とのことについてなんとかしたい」
 I氏はそうお答えになられました。
 I氏と彼の親との関係は、私の中では二番目に重要なことだと考えていましたが、彼はそれを一番に持ってきたのでした。私はI氏の意向に従います。
 私は彼に話してもらいます。I氏のご両親はとても厳しかったらしく、特に学業に関しては妥協しないところがあったそうです。両親もまた高学歴だったのですが、それでも上の立場との格差を経験しているそうです。成績2番は、3番よりも優位ではあるけれど、1番には開かれている門戸が2番では閉ざされているということを両親は身に染みて体験してきたとのことでした。
 そうした両親の体験は子供だったI氏の教育に深く影響を及ぼしています。友達と遊ぶことよりも、塾を優先させなければならず、I氏は寂しい子供時代を送ってきたようでした。
 中学も高校も、大学までも、親が選んできました。中学受験はそれなりに成功したのでしたが、高校受験の際にI氏は一つの失敗をしてしまいます。大切な受験日に風邪をひいてしまい、彼は実力を出せなかったのでした。
 そうして第1志望の名門校に合格できず、第2志望だった高校へ行くことになったのでした。両親、特に母親は激しく失望したとI氏は回想します。
 私はI氏のこの高校受験のエピソードに興味を覚えます。受験日に限って風邪をひいてしまうというのは、I氏なりの無意識的な抵抗だっただろうと思います。第2志望で合格しているというのは、それがI氏にとって親の価値観との葛藤において受け入れることのできる妥協点だったのだろうと思います。
 そのことは言い換えると、母親の目標は同時に彼の目標でもあったということが既に窺われます。もし、彼自身もそこに価値を置いていなかったなら、彼は、第2志望の高校に限らず、すべての受験で失敗していただろうと思われるからです。
 高校ではかなり勉強をされたようでした。その後、大学、大学院へと進んだI氏でしたが、その頃にはすでに母親の影響下にはありませんでした。彼は自分のために勉学に励んでいるのでした。
 ちなみに、この学生時代にアルバイト先で出会った女性とI氏は交際するようになり、彼女とはその後結婚しています。その女性が今の彼の妻なのです。
 「それで母親が問題だというのは、どなたのご意見なんでしょう」
 そうしたいきさつを聴いた後、私はI氏に尋ねます。
 「妻です」
 と、I氏は答えます。I氏は現実認識をしっかりされていると私は思いました。
 「奥さんはそれについてどうおっしゃているのでしょうか」
 「わたしがこんなふうになってしまったのは、母親のせいだと言うのです」
 「Iさんはそれを素直に受け入れることができているのでしょうか」
 この質問はI氏を困惑させたようでした。彼はすぐには言葉がでませんでした。
 「実は」と、I氏は最初のうちはそういう考え方に反対していたと答えたのです。夫婦間の問題であって、お互いの両親は関係ないと彼は主張してきたのでした。私から見ると確かにその通りだと思えるのですが、それに対し、彼の妻はそれはI氏の価値観を押し付けているのだと反論するのでした。
 I氏は懸命だったと思うのですが、妻の反論に抵抗せず、自分にはそれが母親と関係があるようには思えないのだ、分からないのだ、だからその根拠なり理由なりを示してほしいと妻に頼んだのでした。
 それに対する妻の応答は、I氏に本を数冊手渡すということでした。主にAC(アダルトチルドレン)関係の本だったようです。妻はとにかくそれを読んでほしいとI氏に頼むのです。
 I氏は、不承不承ながらそれらを読みます。書かれていることのいくつかは自分に当てはまるように感じられ、何となくではあれ、妻の言っていることも正しいことが含まれているように感じられていたのでした。
 ただし、注意しておかなければならないのは、I氏は妻との関係を良くしたいという思いで、別居も受け入れ、妻の言い分に従い、且つ、こうした読書もされてきたということです。このI氏を安易にDV「加害者」と呼んでいいものでしょうか。

(177―2)I氏、書籍を持参する
 I氏のカウンセリングはいくつかの時期に分けることができるのですが、初回から最初の3か月頃までを第1期として区分することができます。これは「別居期」と呼んでも差し支えないのですが、この時期について記述しているわけです。
 初回からおよそ1か月ほど経過したある回で、I氏は妻から推奨された本を持参してきて、私に見せてくれました。案の定AC関係の本でした。
 「私はそれは読んだことはないのですが、どんなことが書かれていますか」
 と、私は尋ねます。
 I氏は答えます。親が間違ったことをしてしまうことで子供をどれだけ歪めてしまうかということを。
 あなたもそうだと思いますかと、さらに私は尋ねます。
 I氏は自分はそこまでとは思わないと言います。それは事実でしょう。
 手渡されたその本をパラパラと繰って、くだらないとばかりに私は彼に返しました。彼は驚いたようでしたので、私はその理由を尋ねます。彼は、「心理学を専攻している人はみんなそのように考えるものだと思っていた」と言います。
 「それよりも、この本をカウンセラーに見せたらいいというのは、誰の考えだったのですか」
 と私は尋ねます。I氏は義母、それにおそらく妻も一緒だろうと答えます。そんなことだろうと思っていました。
 彼がいろいろ本なんかを読んで勉強してきたことは初回から話されていましたが、現実にこうして本を持参してくるからには、何かの意味、あるいは誰かの意図があるはずなのです。
 妻と義母が共謀して彼に本を提示させたということは、妻や義母からすると、このカウンセラーは今一つ分かっていないという体験されていたのだろうと思います。そして、自分たちの見解が正しいということをカウンセラーに示そうとされているわけであり、その証拠として本を持参させているのです。疑問を感じている義母や妻が直接現れず、I氏に代行させているようなものなのです。
 私はI氏に率直に尋ねてみます。なぜ、義母はそんなことをするんでしょうねと。
 その時、I氏は毎回カウンセリングのことを義母に報告しているということを話されました。この件には、I氏個人だけでなく、妻と、そして間接的に義母も関係していることだから、我々も知る権利があるなどと言ってI氏を説得したそうでした。I氏もまた律儀にその要望にお応えになられていたということなのです。繰り返しますが、I氏はそれで妻との関係、状況が少しでも改善するのならという思いでそうされていたのです。
 「Iさんは個人的にはそういう報告を義母にしたいと思いますか」
 「自分たちも関係者だと言うので、そうしなければいけないのかなと思っていた」
 「それは義母や妻の側の気持ちですね。Iさん自身の気持ちとしてはどうでしょうか」
 「できることなら、このカウンセリングの報告はしたくない」と、それはやはり義母や妻に知られたくないことも話題にしているからだと、その理由も付加しました。
 I氏はやはり頭がいい人だなと感心するのですが、こういうやりとりを通して、いくら自分に非があるからと言われても、自分がしたくないと思うことを強制される筋合いはないのだということに気づかれました。ここではまだ小さな気づきだったのでしたが、後々、この気づきが生きてくるのです。

(177―3)再燃される感情
 Iさんは、それでも、その本に書かれていることは自分にあてはまるように感じられていると言います。確かにそうでしょう。人間に関する学問はどんな理論であれ、それが人間に関する理論であれば、私たちの誰にでもあてはまるという一面が必ずあるものです。それは私たちが人間だからです。逆に、そういうものがまったく感じられない理論は人間に関する理論とは言えないのです。肝心な点は、自分に当てはまるからと言って、安易にそれにしがみつかない方がいいということです。
 それはさておき、私はI氏に次の点を指摘しておきました。例えば、ある人は8歳の時に親に関してひどい経験をしたとします。その人は8歳の自我でその経験を受け止めているのです。今、38歳になったその人は、その経験を38歳の自我でその経験を見直し、再体験することをしなければならないのであって、8歳時の自我のままでそれをやってはいけないのです。そこには30年の開きがあるのです。
 私の個人的な見解と言いますか、偏見と言いますか、AC理論にはそうした時間差、成熟の観点が乏しいというように感じています。
 この説明を聴くと、I氏は何かに気づいたようです。目を見開き、ハッとされたのです。何か思うところがあるのですかと、私は尋ねます。
 彼は、私の話を聴いていて思い当たることがあると言います。妻との関係が悪くなってから今まで、母親に対する嫌悪感情が強まっていたけれど、この感じは小学生時代に体験していたものであって、今体験するものではないのだということに気づいたと言います。
 私はそれを具体的に聴いていきます。確かに小学生の頃の母はとても怖くて、嫌いだったけれど、高校生頃にはそういう感情はすっかりなくなっていたとI氏は話します。それから大学、大学院、就職と続く彼の人生において、母親をそれほど嫌悪することはなかったと言います。彼の中では和解されていたと感じられていたようでした。
 妻と結婚する頃、一度だけ両親、特に母親と険悪になったことがあると言います。母は妻と結婚することを反対していました。I氏の結婚は願っていたのですが、妻のような女性ではよくないと、母親は反対したのでした。
 母親の反対を押し切って結婚したI氏でしたが、その後は母も諦めたのかあまりそれを言わなくなっていました。I氏の両親と妻の両親との折り合いの悪さということは後に述べようと思いますが、要は、I氏には母親に対する嫌悪感情はすでに過去のものになっていたということです。それを妻たちは再燃させてしまっているのです。
 彼は述べます。小学生の頃の母に対する感情は、小学生の自分にとっては確かに真実だった、今の自分の母に対する感情もまた、今の自分にとっては真実なのであって、それを間違っていると指摘されるのはおかしいということに気づいたのです。

(177―4)不鮮明な境界
 この頃、I氏は次のようなことも経験しました。
 彼は週末だけ帰宅を許され、子供と会うことができました。ある時、居間で妻と子供が会話しています。I氏はその側にいました。妻が子供に「また旅行に行きたい?」と訊いています。I氏は咄嗟に「俺も入れてや」とその会話に割り込んでいくと、妻はキッとなって「だれもあなたを無視していないでしょう!」と言いつけるのでした。そして「自分が無視されたなんて感じるのがおかしい」と彼を非難するのです。I氏は、確かにそうだなと納得されたのです。妻と子供が話しているだけで、自分が特に排除されたという確固たる証拠はなかったなと思い、納得されたのです。でも、これは本当でしょうか。彼は無視、あるいは排除されていないと本当に言えるでしょうか。
 妻と子供が会話しています。I氏は単にその会話に自分も加わりたいと言っているだけであり、彼は「無視するな!」などと言っているのではないのです。でも、妻にはそう聞こえているようなのです。そもそもI氏を抜きにして子供とそういう会話を交わしていたのは妻だったはずです。
 これは発端となった車内の位置関係にも通じているように思います。夫が運転して、妻と子供は後部座席に一緒にいます。この状況では、夫は運転するしかなく、妻と子供が後ろで会話していても、なかなか介入しづらい位置にあるのではないでしょうか。
 私はI氏に、「それで、実際、無視されているかのように体験していたのでしょうか」と尋ねます。
 I氏は無視されているように感じていたとは言えないようだと答えます。ただ、妻と子供だけで旅行の話を進めていくように思えて、そこで自分も中に入れてほしいという気持ちにはなったと言います。自分の存在を抜きにして、妻と子供だけで話が進んでいくということに、ある種の腹立たしさとか、あるいは何らかの危惧を覚えたという可能性はあるかもしれません。しかし、「I氏が無視されたように感じている」というのは、どちらかと言えば、妻の側に属していた観念であるようです。
 I氏と妻のエピソードにはこのような話がとても多いのです。すべてを網羅することが控えます。丁寧に考えていくと、それは妻の側にある観念なのですが、その観念が妻によってI氏に属しているもののように言われ、I氏がそれを受け入れてしまい、それを自分の観念であるように体験してしまうという構図のものが多いのです。I氏と妻との境界が不鮮明であることが窺われるのです。

 本項も長文となりましたので、続きは次項に委ねたいと思います。

(文責:寺戸順司)