<テーマ169>H氏の事例(1)

<テーマ169>H氏の事例(1)

(169―1)「加害者」という言葉は人格を含まないということ
(169―2)H氏と「暴力」の問題
(169―3)経緯と現状
(169―4)不利な立場
(169―5)最初の報告書
(169―6)持ち越されるDV関係


(169―1)「加害者」という言葉は人格を含まないということ
 本項より、DV「加害者」としてカウンセリングに訪れたH氏の事例を掲載しようと思います。
 その前に、これは幾度となく強調してきたことですが、この「加害者」という言葉についてここでも再度強調しておくことにします。
 DVは、主に二人の人間の間で展開されるものであり、両者には一応の役割を認めることができます。一方が「加害者」であり、他方が「被害者」という役割です。
 この役割というのは、その関係におけるある一場面において特定されるものであります。従って、「加害者」はどの人間関係において常に「加害者」であるとは言えず、また、「被害者」との関係においてもあらゆる瞬間で「加害者」として特定できるものではないのです。
 両者を区別するために、便宜上、私はその言葉を用いるのですが、「加害者」という言葉にはその当事者の人格的な要因を一切含まない言葉なのです。これはとても大事なことなのです。また、同じことが「被害者」という言葉にも該当します。
 これらの言葉、「加害者」「被害者」といった言葉が、単にその場面における役割の名称に過ぎず、人格的な要因を一切含まないということは、「加害者」「被害者」の人間像を描くことはできないということも意味します。「加害者」とはこのような人である、というように、臨床像、人間像を概念化することができないということなのです。「被害者」についても事情は同じなのです。
 もし、DVの「加害者」とは、これこれこういう人格の人がなりやすいというような一般化は、不可能ではないにしても、それをした途端に私たちから多くのものが見失われることになってしまうと、私は考えています。
 一般化をするよりも、個々のケースを検討し、それぞれのケースにおいて見られる現象を通して理解を深めていく方が有益であると思います。これはDVに限らず、「心の問題」に関わる現象はすべてケーススタディであることが望ましいと考えています。
 本項より、一人の「加害者」男性、ここではH氏という名称を用いますが、H氏の事例を通して考察してみることにします。なお、事例のH氏はモデルになったクライアントが二人おり、随所に他のクライアントのエピソードなどを交えています。これは個人が特定されないようにという配慮からしていることです。
 さて、H氏の体験したこと、カウンセリングの場や関係の場において生じた出来事などを検討して、いろいろ考察を重ねていくことにするのですが、「DV関係」ということ、並びにDVという枠構造から抜け出ることがいかに困難であるかということを中心にして考察する予定でおります。

(169―2)H氏と「暴力」の問題
 H氏が面接で話されたことを要約して記述することにします。
 H氏は20代後半の若い男性でした。彼の述べるところでは、彼は昔からケンカっぱやいところがあったとのことです。学生時代から、ことあるごとにケンカをしていたと言います。また、不起訴処分になったとは言え、傷害事件を起こしたことも過去にはあったそうです。
 H氏の事例に際して、なぜこのことを一番に述べるかと言いますと、彼はDV以前から「暴力」の問題を抱えていたということを知っておいてもらいたいからです。このことを念頭に置いていないと、後の記述、特に「反省」に関しての記述の意味が理解できないかもしれないと、そう思うからなのです。
 DVの問題を取り扱う際に、私は「暴力」の問題の有無を考えることにしています。「暴力」の問題があるかないか、あるとすればどの程度その人が抱えているだろうかということを一番に考えるようにしています。
 DV「加害者」とされる人たちの中には暴力とほとんど無縁な人もあれば、H氏のようにそれを抱えてしまっているという人もあります。また、「被害者」の側がそれを抱えているという例も少なからずあるのです。だから、これは個別に考察していかなければならないことなのですが、決して無視してはいけないことなのです。
「暴力」の問題があるということは、そこに憎悪の問題が含まれていることを暗に示しています。その人の生においては、生活が憎悪に彩られていたり、いくつもの場面で憎悪が活性化し、表面化してしまっているというエピソードに満ちています。
 そのような背景を有するDV問題は、DVだけではなく、その背後にある憎悪の問題も対象にしていかなくてはならないのです。困難な点は、そこに当人が気づいていくことなのです。しばしば、H氏もそうでしたが、自分の憎悪が親和性を帯びていて、それが自然なことであるかのように体験されていることも多いのです。そのことは後の「暴力の正当化」の項目で取り上げることにします。ここでは事例を続けることにしますが、取り敢えず、H氏にはそうした「暴力」の問題があるという点を記憶に留めてもらえればけっこうです。

(169―3)経緯と現状
 H氏がカウンセリングを受けに来るまでの経緯を要約して提示します。
 まず、H氏は3年ほど前に結婚しています。結婚前の交際時期からすでにDVがあったと「被害者」である妻は述べています。H氏もそれは認めています。
 結婚後も、たびたびH氏の暴力が見られました。妻はついに耐えきれなくなり、昨年、DV被害者のためのシェルターに駆け込みました。今でもそのシェルターにて、同じような目に遭っている被害者たちと生活を共にしています。
 それから妻は弁護士を雇います。H氏は妻と直接交渉することができない状態にありました。この弁護士を常に間に挟まなければならなくなっていたのです。
 ここに至って、ようやく問題意識を覚えるようになったのか、H氏は自分のDV問題を解消するために援助を求めるようになりました。
 興味深いことに、彼は最初に精神科を受診したのでした。しかし、H氏はその精神科ではそのような問題を扱っていないということを知っただけでした。
 結局、精神科では扱ってもらえず、それからカウンセリングを探し始め、私の所へ来られたという次第なのです。
 H氏が始めに精神科医を訪れたということは、少し興味を覚えました。彼は自分の中に「異常」な何かを体感していたのかもしれません。自分自身に対する違和感のようなものが意識されていたのかもしれません。もし、そうであれば、H氏には「治療」の可能性が開かれているということになるのです。

(169―4)不利な立場
 カウンセリングの中身に移る前に、どうしてもH氏の置かれている立場について述べておく必要があります。
 妻側の弁護士は、H氏がカウンセリングを受ける場合、毎回報告書を提出するように求められていました。
 私は報告書を作成するのはいいけれど、条件が二つあると伝えました。一つ目の条件は、私の作成した報告書にH氏が目を通すことでした。その上で報告書を弁護士に送るという形にしたかったのです。そうでなければH氏に対して不公平だからです。
 二つ目の条件は、前回分の報告書をH氏に渡すという形にしたいというものでした。これは単純に報告書を作成する時間も必要だという理由です。
 一つ目の条件はいいとしても、二つ目の条件は相手側の弁護士からは拒否されました。弁護士は、毎回、その回の報告書を翌日に渡してほしいと言ってきたのです。
 これはどういうことかと言いますと、例えば月曜日にH氏のカウンセリングを実施したとします。面接後、即座に報告書を作成し、それをH氏にも目を通してもらい、訂正箇所があれば訂正し、そうして完成した報告書を火曜日には寄こせと向こうの弁護士は要求しているわけなのです。しかも、毎回それをしなければならないので、相当な忙しなさになるのでした。
 ところで、「被害者」側の弁護士から「加害者」がカウンセリングを受けているということの証明を求められることはあります。細かい報告を求められることもあれば、ただ「加害者」が通っているということが分かるもの(例えば領収書のコピー)を提示してくれればそれでいいというものまでさまざまなのです。
 H氏の場合、そういう領収書のコピーのようなものでは済まされていないのです。報告書を求められており、尚且つ、最低限の猶予しか与えられていないのです。このことは何を意味しているでしょうか。
 私はその弁護士が報告書にどういうことを求めているのか分かりません。その意図も分からないのです。ただ、H氏はそれに従うしかないのです。私の直感では、彼は相当「危険人物」視されているということでした。
また、H氏は「カウンセリングを受けていますと」証明するだけでは済まされていないわけです。これはつまり信用されていないということではないでしょうか。
 さらに言えば、H氏は自分の妻に会うこともできません。弁護士の監督下に彼も置かれているようなものです。彼にはもはやこの問題に関して、自由がなかったのです。
 H氏は自分のそういう立場が見えていただろうかということに関しては甚だ疑問でした。それは後の事例の記述によって自ずと明らかになることで、ここでは詳述しませんが、彼は自分がどれだけ不利な立場に置かれているか理解できていなかったのです。
 H氏のDVははっきりとした暴力の形を取っています。そして、妻に怪我をさせたこともあるのです。今後の彼の運命は妻が握っています。妻が刑事訴訟を起こせば、彼は前科者になってしまうのです。妻がまだそこまで実行していないので、彼はまだ救われているわけなのです。しかし、この一線は私には非常に危ういものに感じられていました。すぐにでもその一線を越えてしまうような危機感を覚えていたのです。

(169―5)最初の報告書
 相手の弁護士がどういうものを求めているのか不明な中で、私は初回面接分の報告書を作成しました。私はそれをH氏に目を通してもらいます。
 それを読んで、H氏は大体はこれでいいと述べました。でも、暴力のきっかけを作ったのは妻であるということを報告書に書き加えて欲しいと要求しました。
 私は少し考えましたが、それは言わない方が賢明だろうとH氏に伝えました。もし、それを言ってしまうと、「あの暴力は正当なものだった」という意味合いのことを相手側に伝えてしまうからです。それはH氏の立場をますます危うくしていくだろうと思われたのです。
 不承不承ながら、H氏はその文言を含まない報告書を受け取りました。彼は不服そうでした。分かってもらえなえないことは苦しいことだと改めて感じました。彼は今、自分の言い分を相手に主張することよりも、このカウンセリングで彼が何に取り組もうとしているのかを相手側に知ってもらう方が得策なのです。私は今でもそう考えています。
 彼の欲求したことは、彼にとっては真実な事柄だったでしょう。しかし、自分の主張をする機会はどこかでやってくるものであり、今すぐそれを主張しなければならないと感じている点は、彼のもう一つの問題点と関わるものでした。それは後に述べることにして、彼の立場を考慮して、その立場を今以上に悪化させないようにすることが先決だったのです。

(169―6)持ち越されるDV関係
 さて、話が前後したので理解しづらいところも出てくるかと思いますが、ここでH氏の初回面接について述べておきます。
 H氏はこれまでの経緯とか現状を話されます、そして、妻に手を上げたのは事実だと打ち明けました。それも一回や二回ではないということ、妻がそれによって怪我をしたこともあるということも隠さず話してくれました。
 H氏は妻ともう一度やり直すことを望んでいました。そして、このカウンセリングもそれを目標にして進めていくことにしました。
 その一方で、H氏は「こういう問題には双方に改善すべき点があると先生は書いていますよね」と、私のサイトの一文を取り上げたりします。
 私は「おやっ」と思いました。なぜH氏はそこに着眼しているのだろうと、そういう疑問が浮かんでくるのです。
 確かにDV問題は双方に改善すべき点や取り組むべき課題があると私は考えています。ただ、第三者がそれを言うのは構わないのですが、当事者、特に「加害者」はそれを口にしない方がいいのです。
「加害者」がその見解を積極的に主張するとなると、それは自分のDVを正当化しようとしているというように受け取られがちだからなのです。言い換えれば、「双方に問題があるのだから、わたしだけの問題ではない」ということを主張しようとしていることになるのです。H氏はその立場にしがみつこうとしています。
 こんな風に述べると、私が冷たい言い方をしているように思われるかもしれません。でも、「加害者」の言い分もあるということも私は一方では認めているのです。ただ、私は「加害者」はまずその段階から離れなければならないということを申し上げたいのです。
 H氏に限らず、「加害者」は、自分に非があるということを認めていながらも、自分だけが責められていると体験していることがよくあります。そこでどうしても自分の正当性を打ち出したくなるのかもしれません。相手にも悪い点があるということを言いたくなるのです。そうでないと自分があまりにも苦しいからです。
 しかしながら、これはDV関係を持ち越しているだけなのです。自分が責められ、相手にも悪かった点があると言い返すことは、彼がまだ相手との「闘争」関係に留まっているからなのです。「加害者」は、辛くても、ここから出る必要があるのです。
 また、この関係から出るということは、後の「反省」や「罪責感情」と関連することなので、再度取り上げることになるでしょう。
 本項はここで終え、次項につなげることにします。

(文責:寺戸順司)