<テーマ164>DV「被害者」の粘着性(1)

<テーマ164>「被害者」の「粘着性」(1)

(164―1)関係と人格的要因
(164―2)「粘着性」とは
(164―3)なにがなんでも得ようとすること
(164―4)「粘着性」に関するいくつかの例


(164―1)関係と人格的要因
 DVとは二人に人間関係において生じる現象であり、そこでは「関係」という視点が欠かせないと私は考えています。そして、「関係」とは、それに関わる人間双方が抱えているもの、それが望ましいものであれ望ましくないものであれ、が投げかけられる場であると考えています。従って、ある関係に生じる「問題」は双方がそれに関与しているという立場を私は取っています。
 この辺りのことは、別の項にて述べる予定をしております。ここでは詳細に入らないことにします。簡潔に言えば、人間関係で生じる問題は双方に改善すべき何かがあるということであります。そして、この関係は双方の人格が持ち込まれる以上、双方の人格的な要因そこに絡んでくるということなのです。
 DVの問題に関しては、私は「加害者」の地位にある人とお会いすることの方が圧倒的に多く、「被害者」側の人とお会いする機会はむしろ少ないのです。恐らく、DVは双方に問題があるという私の考え方は「被害者」側の方々には受け入れがたいことだからだと思います。
 考えてみれば、それも頷けないことではありません。「被害者」側の人は、確かに痛みや苦しみを経験してきたのであり、そういう人に対してあなたにも改善すべき点があるなどと言われたら、それこそ追い打ちをかけられたかのように感じてしまうことでしょう。その点は私も認識しているのですが、やはり双方に目を向けなければ、この問題の本質が見えてこないようにも思うのです。それで、本項では、「被害者」側の抱えているある種の傾向を取り上げようと思うのです。
 あらかじめ申し上げておかなければならないことは、おそらく、本項で述べることは「被害者」側の人にとってはとても不愉快なものになるだろうということです。
 確かに、私がお会いする「被害者」というのは、「加害者」側の人と比べて、数の上では少ないのです。少ない例においてですが、私なりに「被害者」の方とお会いした時に共通して経験することがありますので、それを述べることにします。もちろん、「被害者」の立場の人によっては、こういう傾向がまるでないという人もおられるかもしれません。少なくとも、私がお会いした範囲で述べることであるということを念頭に置いていただきたく思います。

(164―2)「粘着性」とは
 さて、「被害者の粘着性」というタイトルを本項では付していますが、この「粘着性」なる概念を説明する必要があるでしょう。
 私は適切な表現を知らないので、一応「粘着性」と述べているのですが、これはある種のしつこさと言いますか、独特の粘り強さとか諦めの悪さなどを意味していると考えていただければけっこうであります。後に述べるように、この傾向は、「被害者」の欲求とか完全主義傾向とか強引さとも関連します。
 ひどく手を焼いたクライアントのことを思い出します。彼女はDVの「被害者」側の人でした。初回の一時間の面接を終え、次回につなげることにしたのですが、彼女は帰ろうとしません。
「何か言い残したことでもあるのでしょうか」と、彼女の様子を見て私が尋ねます。彼女は「私はまだ答えを伺っていません」と答えます。彼女の「答え」なるものが何かを聴いて、「それは私の中にあるのではなく、あなたの中にあるものなのです。それをお互いに見出していこうとしているのです」と私は伝えます。彼女は「納得できません」と言う。
 初対面のクライアントと一時間の話し合いをして、私なりに思うことや憶測などもあるのですが、仕方なしにその時点における私の見解を彼女に伝えました。彼女は「それは分かります。でも、それは私の求めているものではありません」と言い、頑なにその場に留まり続けます。
「今日のこの一回で求めているものが完全に得られるとは限らないということは初めに申し上げています。回を重ねる必要があるということにも了承していただいております」と私は彼女に思い出させ、「今、ここでどれだけ粘っても、何も出て来ないですよ」と伝えました。それでも彼女は「答えを得るまでは帰りません」と粘るのです。
 結局、この人にお帰りいただくまでにさらに40分ほど時間を要したのです。「粘着性」とは「被害者」のこうした行為のことなのです。
 この方一人ではありませんでした。DV「被害者」のクライアントはしばしばこれをするのです。この人ほど極端ではないにしても、少なからず見受けられる傾向で、特に終了時にそれが発揮されるという印象があります。
 一方、「加害者」側の人でこれをする人は稀なのです。「加害者」側の人は、時間が来たらそれなりにきちんと終えられ、次回に期待したり、次回まで伸ばすことをしてくれるのです。この辺り、「被害者」と「加害者」とでは、ひどく対照的だなと私は感じています。

(164―3)なにがなんでも得ようとすること
 上記の女性「被害者」を例にすると、彼女の「粘着性」とはどういう性質のものだったでしょうか。彼女には彼女の求める「答え」なるものがあります。その「答え」は彼女の中にあるのではなく、私の中にあるものとして考えられています。そこまでは理解できることです。
 しかし、彼女が自分の求める「答え」を得るためにしていることに「問題」を感じるのです。何が何でもそれを得ようとする態度と言いますか、それを得るまで梃でも動かない態度が見られるわけです。これが「粘着」的な性質を有しているということなのです。
 言い換えれば、自分の欲求が満たされることに対して執拗なのです。どれだけ粘っても、それを得なくてはいられないということなのです。これは、さらに言い換えれば、求めているものが即座に得られないことに対して耐えられないでいるということになるかと思います。
 恐らくですが、その態度に対して「加害者」は我慢できなくなるのだろうと思います。私も、彼女に対しては、怒りたくなる気持ちが隠せませんでした。なかなか帰ろうとしない彼女を叱りたくなるのです。「しつこいな」というのが、正直な感想でした。
 彼女のもとめている「答え」というものは、彼女が悪くないということ、そして「加害者」である夫の方に「問題」があり、「病気」であるという証明を得ることだったと私は思います。でも、その「答え」は、いくら妥当性があろうとも、彼女の助けになる類のものではないと私は考えています。
 彼女はそれが得られないので、それが得られるまで根競べしているのです。もう一つ重要な点は、それを今すぐ、あるいは彼女が求めているその時に絶対に得なければならないということになっている点です。この辺りがある種の完全主義的な部分でもあるわけです。
 人は誰でも欲求を持つものです。この欲求に対して、ある程度の満足で許容できる人もあれば、その満足を先延ばしにすることに苦を感じないという人もあるでしょう。「被害者」にはあまりそういう傾向が感じられず、欲求を満たすために、ある時には強引に押し通そうとする場合もあるようです。

(164―4)「粘着性」に関するいくつかの例
「被害者」のこうした傾向は、「被害者」当人から観察できることもあれば、「加害者」の話の中から浮かび上がってくることもあります。いくつかの例を述べましょう。

 先述の「被害者」女性とは別の「被害者」女性でしたが、面接の場で、彼女が夫から暴力を受けた場面を例示してもらいました。こういうことがあったそうです。
 夫が家に居るので、彼女は夫に家事を頼みました。夫は仕事中だからこれが終わったらすると約束しました。夫の勤める会社はいわゆるフレックスタイムを採用していて、夫は家に居る時間がけっこうあったのですが、その分、家でしなければならない仕事というのもあるのでした。
 ちなみに、この夫は結婚してから転職して、その職場に就いたのでした。転職の理由は、彼女から「仕事仕事でちっとも家にいない」と何度も言われ続けてきたからで、彼は残業や休日出勤の多い前の職場を辞め、今の職場に入ったのでした。
 さて、しばらくすると、彼女が「まだ、やってない。早くしてよ」と言ってきます。夫は翌日までに用意しなければならない書類の作成に追われていました。彼はこれが済んでからやると答えるのですが、次第に彼女の催促が頻繁になってきて、数分おきに「まだやってない」と言われるようになります。彼はついに頭に来て、「だまれ」と一喝して彼女に手を上げたのでした。
 彼が手を上げたら上げたで、彼女は「あっ、また暴力振るった」と彼を責め、喚きたてるのです。
 最終的にこの二人は離婚したのでしたが、彼の言い分では「妻と一緒では仕事ができないし、振り回される」ということでした。

 また別の夫婦です。彼らはすでにDVを理由に離婚していました。カウンセリングに来たのは「加害者」とされていた夫の方で、自分のこれからの人生を考えたいということでした。
 この夫婦、離婚の際に、親権は妻が取り、一人息子は彼女が育てることになったのです。そして、夫婦はあるペットを飼っていました。二人ともそのペットを大事に育てていました。妻はこのペットも引き取ったのでした。
 彼は、子供の養育費に加えて、このペットの世話代も少し加算して毎月仕送りしていたそうです。
 離婚して、すでに二年近く過ぎようとしており、彼は自分の人生を踏み出そうとしているところでした。そんなある時、元妻から電話があり、ペットが死んだということを知らされます。そして、そのペットのこれまでの世話代と供養のために要した費用を彼に請求し始めたのです。しかも、ペットが死んだのは一年前の話だというのです。
 彼は、ペットを引き取ると主張したのは向こうなので、必要な費用は向こうが負担するべきなのにと主張します。そして、ペットの世話代として養育費に加算して仕送ってきたのに、さらにこれまでの世話代を払えっていうのはおかしいと憤慨しておられました。確かに彼の言い分の方が正しく聞こえます。供養の費用も、彼に負担する義務があるかどうかわかりませんが、それでももし彼が払うとなれば、半分だけ負担するというのが筋だと私は思うのです。ところが全額要求してくると彼は言うのです。
 この請求はひっきりなしになされたようです。彼はうんざりして、引っ越しをして、携帯電話も替えて、元妻から連絡を取れないようにしました。そうして新天地にて人生をやり直そうとしていると、元妻の親族の姿をちらちら見かけるようになったと言うのです。つまり、彼の言い分では、彼の居場所を突き止めようとしているということなのです。
 彼は嘆きます。離婚も妻が言い出したことで、養育費のことも、ペットのことも妻の要求を受け入れてきたのに、おまけに息子との面会権を認めないという妻の要求にも従ったのに、何がまだ不満なのだと、自分はもう人生をやり直そうとしているのに、なんでいつまでもついて回るのだと。厄介なことになったなと私も正直、そう思いました。

 ある夫婦は離婚の際に慰謝料でもめました。「被害者」である妻の方が離婚を言い始め、「加害者」の夫は、最初こそ反対していましたが、最後には不承不承ながら離婚に応じたのです。
 妻は、夫から身体的な暴力を受けたことを盾にして、慰謝料を請求します。ただ、その金額がべらぼうな額だったのです。弁護士を間に挟んで調停を試みます。弁護士の話では、妻は慰謝料を請求することはできるけれど、相応の金額しか要求できないということであり、また、妻の請求額は、夫の所得から計算して妥当な額をはるかに超えているということでした。
 恐らく、妻は納得できなかったのでしょう。法律的に見てもそれは妥当な請求額ではないということが言われても、諦めずに「これだけの額を払わなければ離婚に応じない」と頑張り始めたのです。離婚すると言い出したのは妻のほうなのに、請求した金額を支払うまでは離婚に応じないということを言い出しているわけです。
 結局、半年くらいもめにもめたのだと記憶しています。最終的に、妻の言い分は通らず、法的に妥当な慰謝料を彼が支払うことで離婚は成立しました。もちろん、その後も、これこれこういう事情で金が必要だから、あなたには支払う義務があるというような請求が元妻から彼に送られるのでした。もらえなかった取り分を取り戻そうとしているかのようです。彼は応じませんでしたが、時に、その請求が執拗だったということもありました。

 法律よりも自分の欲求の方を押し通すという傾向は次の例でも見られます。
 やはり夫のDVを理由にして離婚した夫婦がいました。離婚の条件として、月に一回、夫が子供と面会することを許可するという条項がありました。
 離婚後、数か月は、彼女はこの約束を守っていました。ある時、彼女は私に言いました。「もう子供を前の夫とは会わせない」と。何があったのですかと私は尋ねましたが、特に何かがあって会わせたくなくなったというのではなかったようです。ただ、彼女が不快だからだということなのでしょう。
 私は彼女に尋ねます。離婚の条件として子供との面会を彼に認めたではないですか、と。そして、あなたの方から約束を破るとあなたの方が不利になってしまうかもしれませんから、それはお勧めできないということを彼女には伝えました。彼女はそれでもやりますと言いました。
 それで彼女が何を始めたかと言いますと、子供に父親がどれだけひどい人間だったか、悪人だったかということを吹き込むようになったのです。彼女が暴力を振るわれて、子供が泣き出したという場面をいくつも子供に思い出させるのです。そうして、子供が怯えているから前の夫とは会わせられないという状況を作ろうとしているのです。本当は彼女の方が彼に会うのを拒んでいるはずなのに、子供が嫌がっているという条件に変えようとしているわけなのです。

 以上の例は、個人が特定できないように多少は曖昧にしたりアレンジを加えた部分もあるとは言え、すべて私が見聞してきたものです。まだまだこのような例を挙げることはできるのですが、これくらいにしておきましょう。
 DV「被害者」側が抱えている「問題」というと、怪我人をさらに苦しめるような響きが感じられるかもしれませんが、私はその部分、つまり「被害者」側の粘着的な性質、をとても問題視しています。これが、もしかするとDV発現の一つの契機になっているかもしれず、また、「被害者」をして生きにくくさせてしまっているのではないだろうかと、そう思うからです。
 本項では、この「粘着性」という傾向がどういうものであるかをいくつか例示しました。私の述べている「粘着性」という概念がどういうことを指しているのか、多少とも感じ取っていただければけっこうです。
 本項もすでに長文となりましたので、一旦、ここで終えるつもりですが、次項、「被害者の粘着性(2)」より、もう少しこの傾向について踏み込んで考えていきたいと思います。

(文責:寺戸順司)