<テーマ163>褒めること(2)

<テーマ163>褒めるということ(2)

(163―1)してはいけないこと
(163―2)再び、褒めるということ
(163―3)危険な定義
(163―4)自己表現としての賞賛


(163―1)してはいけないこと
「褒める―褒められる」ことについての話を続けようと思います。
 最初に述べることは、前項で述べたことと一見すると矛盾しているように聞こえるかもしれません。
 まず、前項の最後で、「あいつには褒めるところなんてどこもない」というような人は、世界地図を広げて大阪の高槻市なんて存在しないと言っているようなものだと述べました。じっくり付き合う中で相手の中の「良さ」が見えてくることもあれば、顕微鏡で見て回ることによってそれが見えてくることもあるということを述べました。
 ここで取り上げるのは、相手の「良い」所は探してはいけないということなのです。
 よく、人を褒めて伸ばそうと考える人は、相手の良い所を探すということをされます。これは正しいことのように見えますが、私の考えでは、そこは探してはいけないのです。相手の「良い所」を探さなければならなくなっている時点で既に、その人は相手には「良い所」なんてないという確信を表明しているようなものなのです。
 良い所を無理に探し出して相手を褒めたとしても、褒められる側にはどこか「無理な感じ」が伝わるものだと思います。褒められても居心地が悪いような気持ちになったり、「無理して褒めてくれているようで、なんだか悪いことをしているようだ」と感じてしまったりしてしまうと思うのです。褒められてこういう感じを体験した時は、相手が無理をして褒めてくれたのだなと私は理解しています。
 意図的に、しかも無理をして相手の良い所を探し出して褒めようとすると、どうしても相手の「良い所」と「良くない所」を分けて、つまり各要素についてそれぞれに価値判断を行って、ふるいにかけるようなことをしなければならなくなるものではないでしょうか。こうして褒められる側の人間は分断されてしまうのだと思います。後に述べようと思いますが、それは個人を非人間化する行為に等しいと私は考えています。
 従って、相手の「良い所」をどうにかして探すという行為は、相手を分断し非人間化している行為につながるものだと私は考えているのです。
 もし、こうして生まれた褒め言葉は、受け手は拒絶したくなるかもしれません。そして、受け手から拒絶されたことで褒め言葉を送った人が不快感情を体験したとすれば、その人の褒め言葉は別の目的に沿ってなされたものだと私は思います。この不快感情はその目的の挫折によって引き起こされたものだと思われるからです。

(163―2)再び、褒めるということ
 私が厳しいことを言っているように聞こえるかもしれません。と言うのは、相手を褒める時には、相手の「良い所」を探してもいけないし、ここは「良い」とか「悪い」とかいう価値判断をしても、相手を分断してもいけないということを言っているわけですから。
 では、どうしたらいいのかという問いが出てくるかと思いますので、私の考えるところの「褒める」を述べようと思います。
 あなたが、誰か他の人と接していて、相手のことで「いいなあ」と感じた部分があるとすれば、それをそのまま「それ、いいなあ」と伝えることなのです。褒めるとはそういうことなのだと私は考えています。それが相手の価値を置いている部分とうまくマッチすればそれは幸運なことです。しかし、マッチしていなくても、言われた相手は不快な感じはしないだろうと思います。なぜなら、あなたの言葉には余計な目論見や意図が含まれていないからです。褒めて相手を操作しようなどという気持ちがないからです。あなたはただあなたの感情を表現したまでなのです。
また、あなたは純粋に自己を表現しただけなので、相手がそれを拒否したからと言ってあなたが傷ついたり不快に感じたりすることもないのです。
 このように述べると、私がこれまで述べてきたことも理解していただけるのではないかと思います。褒めようとすること、そのために相手の「良い部分」を探すこと、そして相手を伸ばそうと試みること、そうして自分の利益にもつなげようと打算すること、これらは全部頭の作業なのです。頭の体操をしているようなものなのです。そして、その人の心においては、相手のことで少しも「いいなあ」と感じることがないのです。
 従って、相手を褒めて伸ばそうと考えるよりも先に、その人は自身のことでしなければならないことがあるのです。それは、他人の中の「良い所」を感じることのできる心を育てるということです。人の人格や行為、作品などに感動することができるということが大切なのだと私は考えております。
 このことは「人を褒めるということがまるでない」という人と付き合ってみればよく分かるのです。私にもそういう知人がいました。彼が他人を褒めるところを私は見たことがありません。その彼はよく言ったものです。「コーヒーなんて何を飲んでも一緒」とか、「芸術なんて何がいいのか分からんわ」とか、「あの映画、どこがいいんだ」とか。個々の違いを感じ取るほど感受性が優れているわけでもなく、映画や芸術作品が何かを訴えかけてくるという体験をできるわけでもないようでした。
 前項で述べたことと総合すると、相手を褒めるには、相手と良好な関係を築いており、自分自身が高い自尊感情を有しており、尚且つ、物事に感動できる心を有しているということが一番だということです。それらが欠けているからこそ、相手を褒める時には懸命に頭で考えなければならなくなるのだろうと思います。

(163―3)危険な定義
 私には、あたかも、「人は褒められて伸びる」とか「人を褒めて伸ばそう」とか、そういう言葉というか定義だけが一人歩きをしてしまって、法則のように信仰されているという印象があります。そして、この定義はとても危険な定義だと私は考えています。もっと本質的な部分に目を向ける必要があるのではないかという思いもこれを書く一つの契機になっています。
 なお悪いことに、「褒める」ということが他者を操作するための手段として用いられてしまっているという印象も私にはあるのです。私の個人的な印象に過ぎないかもしれませんが、こうした風潮には警鐘を鳴らしたいという思いもあります。
 前項の冒頭で述べた部長さんのように、自分の目的とか利益のために部下を操作する目的で褒めようとされている人も見かけます。もちろん、この部長は次のことを意図していたわけではありません。つまり、彼が部下を褒めるためにしていたことが、部下を分断し非人格化しているということです。結果的にでもこういう事態が生じてしまうことは、できる限り防ぎたいと思いますので、及ばずながらこの場で論じてきた次第なのです。
分断化するというのは、相手の良い所を探し出し、そこにのみ言及し、あとの残余部は無視してしまうというようなことであります。また、ここは良いけれど、ここはダメというように、相手を分類するような作業のことです。本人に悪意があるわけではないにしても、こうした行為は受ける相手にはひどく辛い体験ともなるのです。それなら初めから褒めない方がどれだけ相手にとって良かっただろうかと私は思うのです。
 こうした分断化は、人間関係においては頻繁に体験されるものではあります。多少、そういうことをされたからと言って、個人が潰れてしまうということはないでしょう。しかし、常にこれをされるという関係に引き込まれると、いつかそこから逃げ出したくなるものだと思います。それは、この関係によって自分がこれ以上非人間化されてしまわないための防御でもあると思います。
 分断化とか非人間化とかいう概念がいきなり出てきたので、読まれている方は混乱するのではないかと思いますので、これ以上深めないことにします。それに、これは別テーマに関わっているので、いずれ別の機会にて記述していくことにします。

(163―4)自己表現としての賞賛
 最後に前項と本項のおさらいをしておきましょう。
 これまで見てきたように、「褒める側―褒められる側」という関係においては、褒める側に多くの事柄が要請されると私は考えております。
 理想的な賞賛は、相手の何かで「いい」とか「すごい」とあなたが感じたことを、そのまま相手に「それ、いいね」とか「それ、すごいな」と言うだけなのです。実に裏表のない賞賛だとお思いになりませんか。
 この時、あなたは相手を褒めたのではないのです。あなたが感じたことを、あなたはそのまま自己表現しただけなのです。あなたにとってはその自己表現自体に意味があるのであって、相手がそれを否定しても、あなたは苦にならないのです。
そのためには、「そこ、いいな」とか「それ、すごいな」とか、そのように感じることができる自己を育てていなければならないし、伸ばしておくことが求められるのです。さらに、それ以前に、良好な関係を相手との間に築いて、じっくり付き合うということも求められるのです。
ところで、人を褒めるという前提から考え始めるからおかしな方向に行ってしまうのかもしれません。先述のように、相手への褒め言葉というのは、純粋にあなたの自己表現であることが望ましいと私は考えています。この自己表現自体に喜びを感じられれば、あなたは無理に相手を褒めようと努力する必要もなくなるし、賞賛を表現することそのものがあなたにとって快い体験となるでしょう。
 また、相手のことを取り上げているのではなく、あなた自身の何かを素直に表現しているということなので、相手が非人間化されたり分断されたりということも生じないのです。相手を非人間化したり分断するのは、相手を操作しようと目論んだり、相手をふるいにかけて価値判断するようなことをしてしまうからであり、自分のことを抜きにして相手だけを取り上げるとそのようなことが生じてしまうのだと私は考えています。
 さらには、自己表現の能力も伸ばしていなければならないでしょう。何かを感じ、それをそのまま言葉にするという経験をしていくことも大切だと私は考えています。
 こうしてみると、前項の冒頭の部長さんは、部下をやたらと褒めちぎるよりも、「この企画には俺のクビがかかっているのだ、協力してほしい、みんなの力を貸してほしい、みんなの力を最大限に発揮してほしい」と素直に言う方が部下の方々に対しても良かったのではないかと、そう思えてくるのです。

(文責:寺戸順司)