<テーマ160>薬について(2)

<テーマ160> 薬について(1)

(160―1)我々はどれだけ薬について啓蒙されているだろうか
(160―2)薬がしていること
(160―3)薬は「治癒」をもたらさない
(160―4)「治療」作業の一部としての薬
(160―5)本項のまとめ


(160―1)我々はどれだけ薬について啓蒙されているだろうか
 薬について述べようと思います。私は医師でもないし、薬剤師でもないので、本来なら薬に関して述べる権利はないのです。ましてやその方面の専門家でもない人間が述べることなので、間違っている箇所もあるかと思います。でも、私の個人的な見解として、述べておきたいこともあり、このようなページを設けました。
 私には持病がありまして、それで薬を毎日服用しなければならないのです。そういう人は案外多いのではないかと思います。そういう常用している薬以外にも一時的に服用する類の薬があります。頭痛薬だの風邪薬だの胃腸薬だのといったものです。人によっては、さらに、サプリメントや栄養剤の類を服用している人もあるでしょう。飲む薬以外にも、塗ったり張ったりする薬もありますし、注入する薬もあります。
 私たちの生活において、私たちは薬とともに生活しているといってもいいくらいです。私たちの生活になくてはならないものだと言ってもいいでしょう。
 それだけ身近な薬でありながら、私たちは驚くほどわずかにしか薬に関して啓蒙されていないのではないかと、私は個人的にそう思うのです。そういう思いからこの項を綴ることにしたのです。私たちの生活に密着していて、馴染があり、身近なものであるからこそ、薬についての知識は必要だと思うのです。
 それを専門外の私のような人間がやるというのだから、読む方もある程度その点は差し引いて読んでくださることを願います。

(160―2)薬がしていること
 薬というものは一体何をしているのか、そこから始めようと思います。
 どんな薬であれ、それは例えば、多すぎるものを排出したり、足りないものを補ったり、働き過ぎるものを抑制したり、働かないものを促進したり、大きすぎるものを小さくしたり、小さい物を大きくしたり、高いものを低くしたり、低いものを高めたりと、そういうことばかりしているのです。どんな薬であれ、やっていることはそういう作業なのです。
 これはどういうことかと言いますと、状態を整えてくれていると言えるのではないかと思います。薬は心身を望ましい状態に近づけようとしているわけであります。この点はまず押さえておきたいところです。
 薬を服用して、その薬が効いてくると、状態が良く感じられるのは、それが薬の働きだからです。薬が身体を望ましい状態へと整えてくれているわけであります。後に述べるように、それはあくまでも状態の話でありまして、「治癒」という意味ではありません。

(160―3)薬は「治癒」をもたらさない
 ここで「治癒」ということとの関連を述べておきます。薬が状態を整えてくれると、当人にはあたかも「治癒」したかのように体験されるものです。本当は状態が整えられているということだけなのですが、実際、「治癒」している場合もあります。でも、押さえておきたいことは、それは薬が「治癒」そのものをもたらしたのではないという点です。この理解はとても重要だと私は考えていますので、頭の片隅にでも置いてほしいと思います。
 さて、薬を服用すると、状態が良くなるのですが、その薬の効用が切れると、再び前の状態に戻るということも私たちは経験します。そのために継続的に薬を服用しなければならないのです。そのような体験は多くの方が経験されているものと思います。
そして、この体験は、取りも直さず、薬というものが実は「治癒」をもたらしているのではないということを私たちに証明してくれているのです。
 薬が効いて、状態が良くなって、それで「治癒」したという場合、それは薬が効いている間に、つまり状態が良好な間に、心身の治癒力が働いたおかげで現実の「治癒」につながっているということなのです。もし、そこで治癒力が「治癒」に至るほどに働いていなければ、薬の効果が切れれば、再び元の症状に悩まされているはずなのです。
 症状や病気が治癒したり快復するのは、人間の有する治癒力のおかげなのです。薬は常にその治癒力が発揮できるような条件や環境をもたらしてくれるだけであり、薬そのものが「治癒」しているのではないのです。ここを誤解する人が多いように思うので、特に強調しておきたいと思います。
 そもそも医療行為というものは、すべてそれを目指しているものだと思います。どんな治療行為も、基本的には、患者の治癒力が発揮できる環境と条件を整えているものとみなすことが可能なのです。
 風邪というような誰でも経験のある病気を例にしてみましょう。冬になると、私たちはしばしば風邪をひきます。それでお医者さんに診てもらったとします。薬が処方されますし、点滴なんかを打ってくれるかもしれません。そして、温かくして休息します。そういうことをしていると風邪が治るのです。私たちは経験的にそのことを知っています。
この時、何が風邪を「治癒」したのかということを見る必要があるのです。薬が治癒をもたらしたのでしょうか、点滴が良かったのでしょうか、温かくして眠ることが治癒したのでしょうか。おそらく、どれが「治癒」をもたらしたかを特定することはできないでしょう。
 風邪はウイルスが体内に入ったために生じるもので、私たちの有する抗体がこのウイルスと闘うわけです。薬も点滴も温かくすることも眠ることも、すべて、この抗体が十分に働くために役に立っているわけであります。この治癒力が発揮されるための条件と環境を整えてあげているわけであります。それが医療や医療行為、もしくは援助や援助行為の本質だと私は考えています。薬もまた、その一環として価値があるものだと考えています。

(160―4)「治療」作業の一部としての薬
 従って、薬が効いている間に私たちが何をするかということが、「治癒」に関して、とても重要なのだという見解が導かれるのです。
 仮に風邪薬を飲んでも、薬さえ飲んでいれば大丈夫だと言って、寒い戸外で活動しているとすれば、その人の風邪はなかなか治らないことでしょう。決して、薬さえ飲んでおけば大丈夫という発想はしない方がいいと私は考えるのです。
薬が効いて、身体の状態を整えてくれている間に、その人がどういうことをするかで治癒というものは大きく左右されるものなのです。むしろ、その人が何をするかということは、薬を服用するということ以上に「治癒」に関係するものだと私は考えています。
このことは、例えば、薬を服用して、それだけで安心しきってしまって、自分自身や自分の抱える病を丸投げしてはいけないということなのです。余計なお節介かと思いますが、その点は強調しておきたいのです。
 なぜ、そこを強調しておきたいのかと言いますと、精神科で処方された薬を服用している人たち、私のクライアントにもそういう人が何人もおられますが、その人たちの中には「薬では治らない」と言って服薬を始めから拒否したり、「薬のおかげで生きていられる」と薬を信仰している人がおられるのです。どちらも薬に対して正しい態度であるとは言えないのです。
後者の場合では薬が「治癒」してくれていると信じているわけであります。一方、自分自身の治癒力を一切信用していないのです。そして、前者も後者もどちらもある意味では薬物依存なのです。私はそう考えています。
「薬では治らない」と服薬を拒否する人が、どれだけ薬のことで頭が占められているか、秘かに「治る薬」の出現をどれだけ期待しているか、話を伺っているとよく分かるのです。
 こうした薬に対する態度に関しては次項で取り上げる予定をしていますので、ここではそれに触れないでおきます。
 私の考えるところの理想を言えば、薬の働きを理解して、薬に拘泥しすぎない方が望ましいと私は考えていますし、薬を信用するよりも自己の治癒力に信頼を置く方が望ましいと思うのです。薬はあくまでも全体の「治療」作業の一部と捉える方が賢明だと思いますし、過剰に信仰することも、頑なに拒絶することも、あまり好ましいことではないと思います。

(160―5)本項のまとめ
 話を先へ進めるのを止めて、本項で述べたことを少しまとめておきましょう。
 薬に関して述べてきました。薬は、その人の治癒力が発揮できるように、心身の状態を整えてくれるというのが、その働きであることを述べました。
「治癒」に関しては、病気が「治癒」することの第一の条件はその人の治癒力にあり、その他の治療行為とともに、薬はそれに準じる条件であるということも述べました。
 従って、薬は「治癒」そのものをもたらすものではなく、また薬さえ飲んでいればいいという態度も望ましくないということも述べました。
薬の効用が続いている間に、その人がどのようなことをするかでその後の「治癒」が左右されるということを、風邪の例を挙げながら、述べてきました。
 最初にお断りしておいたように、私は薬に関しては専門外であり、述べたことの中には間違っているものもあるかもしれません。あくまでも私一個人の見解であるという点を再度強調しておきます。
 次項において、薬に関するより心理的な側面について述べる予定をしております。薬を投与する側と服用する側の関係、薬に対しての服用者の心的態度なども取り上げることができればと考えています。

(文責:寺戸順司)