<テーマ157>ベテランの就労(8)

<テーマ157> ベテランの就労(8)

(157―1)動揺がもたらしたもの
(157―2)無防備な心
(157―3)心の緩衝地帯
(157―4)アルバイトの開始

(157―1)動揺がもたらしたもの
 カウンセリングの第1ラウンドを終えてから、Fさんには非常に動きが見られています。これを簡潔に述べることに私は困難を感じていますが、いくつか振り返っておこうと思います。
 まず、彼は誰からも見放されたような経験をしています。両親とも妹とも、皆から見放されてしまったかのような体験をしています。私やハローワークの職員さんたちに対しては、彼が自ら離れていったとは言え、彼は本当に孤立した状況に陥ったのでした。
 この孤立は、彼にとって、彼の基盤になる部分を喪失してしまったかのような体験になっていたのだと思います。そして、基底の部分が喪失してしまうということは、彼のそれまでのわずかな安定性をも揺さぶり、感情的にパニックに陥らせています。感情の激しい移り変わりはそうしたパニック状態を表しているとも考えられます。
 同時に、この感情の動揺は、今まで彼が活用してこなかった部分に対しても揺さぶりをもたらしているのです。彼は、恐らく、初めての体験だったと思いますが、本当に「寂しい」という感情を体験したのだと思います。
 この孤立感から自らを救い出す必要が彼に生じました。それが他者を希求する感情として表面化しているのです。「女の子がたくさんいる職場がいい」とか、携帯電話を欲しいと求めたりしたことは、この他者希求の動きとして理解できるのです。
 また、この時期の彼の変身行為も、他者を自分に取り込もうとする意味合いの濃い作業として理解してきました。こうして、彼の内面に他者の存在が重要な位置を占めるようになったのです。また、彼のこの作業は自分自身を確認するという意味合いもありました。自己を確立する時期にはこうした行為が見られるのが普通なのです。
 感情体験の方は、それは今まで眠っていたようなものなので、最初のうちこそ激しい形を取りました。これは彼にとっては苦しい体験となりましたが、感情の回復は彼に人間らしさを取り戻すことにもなったのです。
 彼にとっては苦しいことをいくつも体験した時期でしたが、彼は確かに成長の方向へ向かって踏み出していることが分かります。回り道をしながらも、彼は何者かになろうとしているのです。
 こうした過程を経て、アルバイト探しを再開したのでしたが、彼は、以前と違って今度は、採用されるようになっているのです。受け入れてもらえているのです。

(157―2)無防備な心
 Fさんの就労過程を続けましょう。彼は2,3のアルバイトで採用が得られました。以前のような「キツさ」が薄れてきたことが、彼の採用とも関係があるのは、彼は否定しようとも、事実であるように私には思われるのです。
 採用された中から、Fさんは一つに絞りました。「女の子がたくさん働いている所」という彼の基準に合わせて、彼は選びました。この選択はすべてFさん自身がしたものです。私が何か示唆したり、指導したりしたものではありません。このことは押さえておきたいポイントです。
 さて、アルバイトの初日がありました。数日後、彼は顔を輝かせて来談しました。彼の話では、バイトの初日に「カノジョ」ができたと言うのです。意外な展開に私も驚きました。彼はそのいきさつをウキウキした感じで述べましたが、簡潔に述べると、次のような場面に遭遇したのです。
 アルバイトの初日、彼は店長に職場を案内されて、そこで働く人たちに紹介してもらったそうなのです。その中で一人、愛想のいい女の子が彼に「よろしくお願いします」と挨拶したのです。その瞬間、彼はその女性のことを好きになったということなのです。
 簡単に言えば、それは「一目ぼれ」のような体験なのです。Fさんは、当然恋愛経験なんてないだろうし、おまけに対象希求が強かった時期だから、出会った女性をすぐに好きになってしまうのだと理解できるのですが、それは現象のごく一部しか捉えていないように思います。ここにはもう少しFさんの抱える深刻な問題と関連があるように私には思えるのです。
 Fさんのこの時の体験をもう一度見てみましょう。彼は職場に案内され、そこで働く一人の女性から挨拶されたのです。ただ、それだけのことなのですが、彼の恋愛感情を刺激しているのです。実際はそこで挨拶を交わしただけの関係なのですが、彼にとっては、あたかも運命の人に出会ったかのような体験をし、すでに相思相愛で交際しているかのような話しぶりを彼はしています。ものすごく飛躍してしまっているという印象を受けないでしょうか。
 私が彼の立場だったら、その女性と挨拶を交わしても、「感じのいい人だな」とか「愛想がいいなあ」くらいには思うかもしれませんが、いきなり恋愛感情のような深い感情が揺り動かされたりはしないだろうと思うのです。
 これはどういうことかと言いますと、あまり適切な喩えではないかもしれませんが、例えば、刃物で自分の体を切ってしまうという場面を思い描いてみましょう。この時、刃物と皮膚の間に衣類があれば、身体に受ける傷は、生身で受けるよりも浅くなります。間の衣類が多ければ多いほど、厚ければ厚いほど、刃物は皮膚に届きにくくなります。それはいわば衣類が防御の役目をしてくれているからです。もし、地肌が剥き出しであれば、私たちはどんな小さな切り傷でも傷を受けずには済みません。彼の体験していることはそれと同じようなものだと思います。
 比喩的にしか述べることができず、理解しづらいかもしれませんが、もし心が「健康」で「健全」であれば、私たちは外界に対して自分を防御している層を身にまとっているのです。こういう層のおかげで、私たちは外界からの刺激に守られていると言えるのです。外界の出来事が心の深い部分にまで突き刺さるのを防いでくれているのです。
 この観点に立てば、Fさんの心はあまりに無防備すぎると言えるのです。ただ、一人の女性が彼に挨拶をしたというだけのことなのです。その人が彼の好みのタイプであろうとなかろうと、それは関係がないのです。ただそれだけのことで、彼の心の深い部分の感情が揺さぶられているわけなので、彼がいかに自分を守る術を持たずに外の世界に出ていこうとしているのかが、改めて理解できるのです。

(157―3)心の緩衝地帯
 Fさんが無防備であるということは、外側の世界と内面との間に、いわゆる「緩衝地帯」のような部分がないということです。そのため、外側で生じる些細な事柄でさえ、彼には大きな脅威となってしまうのです。Fさんには自分にそのような傾向があるということは知っていませんでした。むしろ、彼の自己理解、自己像においては、彼はその正反対の人間だと信じていたようで、外側のことは自分に何も影響しないと思っていたそうなのです。
 さて、彼の心が無防備すぎる、「心の緩衝地帯」を欠いているという傾向は、これまでのエピソードにも、この後のエピソードにも繰り返し見られるものです、決して、この「一目ぼれ」のエピソードに限ったことではないということに注目しておきたいと思います。
 例えば、私が最初に「アルバイトから始めたらどうだろう」と提案した場面のことを思い出してほしいのです。私のこの言葉自体は何ら脅威を与えるようなものではないのですが、彼は過剰なほど反応、しかも防衛的な反応をしています。
「資格を取るといい」と話した時の彼の反応もまた、彼のこうした緩衝地帯のなさを感じさせるものです。妹さんの結婚式後のエピソードでも同様です。後に述べる「残業エピソード」でもやはりこの傾向が見られるのです。
 こうした無防備な心でもって外側の世界に飛び出そうとしているわけですので、Fさんはかなりの苦労をそこで経験してしまうことになるのです。その話は後述するとして、もう少し「心の緩衝地帯」について、Fさんの事例からは外れるのですが、述べていくことにします。
 よく、精神的に強いとか弱いとか、打たれ強いとか打たれ弱いとか表現される現象がありますが、私の考えでは、それはその人の有する「心の緩衝地帯」の差にあるということになります。同じ刺激を受けても、それが心の深層に達するか否かの違いがそこで生じるものだと思います。
 このことは、同じような経験をしたのに、人によって違った現象がその人の身に生じるという例を説明します。例えば震災を私たちは経験します。現地で被害に遭った人の中には、深刻な精神症状に悩まされるようになり、なかなか立ち直れないという人もいれば、苦しい経験だったけれどどうにか生活を再建できているという人もあります。震災の模様を遠方にてテレビニュースで見たというだけでひどく不安に襲われるようになった人も私は知っています。これらはその人の「心の緩衝地帯」にどの程度守られているかの差異を示すものだと思われるのです。
 しかし、こうした守り、「緩衝地帯」というものは、初めから有していたものではないということも知っておきたいところです。新生児は、そういう意味では、たいへん無防備なのです。徐々にそれを形成していくのですが、子供はまだそれが十分に育ってはいないのが普通なのです。
 この緩衝地帯がどのようにして形成されていくかということは、ここでは詳述しないのですが、それには対象との関係とか個人の体験といった要因が不可欠だと私は考えています。そして、こういう緩衝地帯が完全に出来上がっているという人もいなければ、まったくないという人もいないもので、私にたちは、それがより形成されているか、形成がより不十分であるかの違いしかないものだと思います。
 カウンセリングや心理療法における「技法」というものは、すべてではないにしても、これに役立つものであると私は思います。解釈投与であろうと、共感的理解であろうと、感情の反射であろうと、そうした対応はクライアントの緩衝地帯を徐々に形成していくことになると私は考えています。
 この理解がないと、カウンセリングなんて意味がないと考えたり、あるいは、ただ鍛錬すればいいという強迫的な思考に陥ることになると私は思います。こうした緩衝地帯は、決して、知識や技巧だけでは形成されないものだということも、私は強調しておきたいと思います。
 Fさんに限らず、クライアントの中には緩衝地帯が不十分だという人もおられますし、ひきこもりのベテランになるとこの傾向はかなり強くなるようです。また、緩衝地帯が不十分であるという人は別の問題を抱えることもよくあることです。
 例えば、ストーカーというような現象を見てみましょう。ある人はこういう傾向を強く有していました。彼は、ある女性の何気ない親切が彼の深い層のものを刺激してしまい、その女性から離れられないようになってしまったのでした。
 心の緩衝地帯の形成が不十分であることの、もっとも分かりやすい問題は、「傷つきやすい」という傾向であります。相手のちょっとした言葉や振る舞いに物凄いダメージを受けてしまう人です。過剰に外側の影響を受けてしまう人たちです。対面している相手の視線がわずかに動いたというだけで、たやすく崩れてしまったという人も私は知っています。こういう人は自我が脆弱だとか評されることが多いのですが、それは正しくないように思います。私たちの自我は誰でも脆弱なものではないかと私は考えているのです。ただ、その自我の守りの部分、緩衝地帯の部分に差異があるだけではないだろうかと思うのです。

(157―4)アルバイトの開始
 Fさんの事例に戻ります。アルバイトの初日でそういう経験をしたFさんでした。確かに、これまで不遇だったアルバイト探しが好転し始め、さらには対象希求的になっている状態で人の中に入っていったものですから、それなりに「浮かれ」気分のようなものが生まれたことは仕方がないのかもしれません。
 そうした条件を考慮に入れても、私はそこにFさんの守りのなさ、緩衝地帯の不十分さを感じ取っているのです。
 なぜ、Fさんにはこうした緩衝地帯が不足しているのだろうか、そこは疑問なのです。それを知るためには、Fさんのそれ以前のこと、つまり小学校時代までのことも知らなければ何も考えられないのです。
 それで、案の定と言いますか、Fさんの浮かれ気分は最初だけで、以降、アルバイトがいかにたいへんであるかを、彼はカウンセリングの場で語るようになっていきます。それが語れるようになるということも進歩の一つなのですが、アルバイトではギリギリの適応しかできていないようでした。
 彼のアルバイトは、主に午後から夕方までの間の三時間から四時間といったシフトで、それを週に二回か三回のペースで始めたのです。一回が三時間程度の勤務でしたが、Fさんには精一杯だったようです。毎回、心身ともに消耗しきってしまうのです。カウンセリングでは繰り返し「アルバイトがしんどい」とか「仕事がキツい」ということを連呼するようになっていきました。
 確かにキツかったことでしょう。それこそ中学生がいきなりアルバイトを始めるようなものです。彼がそのようになることは、私には明らかなことでした。毎回、彼を支持する方向でカウンセリングを重ねていきました。この状態にある時、彼は自分自身を見ることには耐えられず、外側の世界がいかに冷たい所であるかを切々と語っていきます。私はそれを拝聴し、その体験を共有しようと務めていったのです。

 本項も長文となりましたので、ここで項を改めることにします。次項において、Fさんがアルバイトで体験した事柄をもう少し深く掘り下げるつもりでおります。

(文責:寺戸順司)