<テーマ151>ベテランの就労(2)

<テーマ151> ベテランの就労(2)

(151―1)克服すべき幾多の課題
(151―2)労働には段階がある
(151―3)経験のなさと万能感
(151―4)輪郭づけ
(151―5)本項の要点


(151―1)克服すべき幾多の課題
 ひきこもりの「ベテラン」の就労に関して、一人の男性クライアントFさんの事例を通して考察しています。前項では彼の家族のことを中心にしましたが、本項より本題である就労について、並びに、彼とのカウンセリング過程について述べていくことにします。
 それを述べるに先立って、あらかじめ申し上げておくことがあります。彼の就労の過程にはいくつもの困難や不成功がありまして、それを述べていくことは心苦しいような思いをしています。でも、強調しておきたいのは次の一点です。それぞれの「ベテラン」の方々には、人並みに、あるいは、人並み以上に優れた能力はきちんとあるということです。もし、この事例を読んで、クライアントが能力的に欠陥があるように見えたり、無能力者のように見えたとすれば、それは私の記述の拙さによるものであります。
 ひきこもりをされている方々には、生きていく上で必要な能力は持っておられるものです。ただ、彼らは自分の持っている能力以下のところで生活しているのです。はるかに能力以下の生活を送ってこられているのです。その点を押さえておきたいのです。
 また、次の点もここで述べておく必要を感じます。ひきこもりの「ベテラン」が就労するには、いくつもの段階を達成しなければならないという点です。もし、「ひきこもりの人なんて甘えているだけなんだから、無理矢理にでも外に引っ張り出して、お尻を叩いてでも仕事をさせたらいいんだ」とお考えの方がおられるとすれば、私は次のように申し上げたいのです。そのようなやり方では、一時的には彼らは働くでしょうが、それはあなたに対する恐れからそうするだけであって、あなたの影響力がなくなれば、間違いなく、労働を放棄するでしょう。その労働は当人に機械人形になることを強いているだけであり、生きた人間であれば、必ずそれに反抗することでしょう。
 とにかく、彼らを外に連れ出して、何でもいいから働かせるという類の問題ではないということをご理解していただきたいのです。そんなに単純な問題ではないのです。そこには彼らが克服しなくてはならない外的、心理的な問題がいくつもあり、援助するに当たっては困難な道程を共に歩まなければならないのです。
 何よりも、彼らは関係性を回復しなければなりません。それから児童期における自律性と勤勉性を獲得することが求められます。さらに自己愛の成熟、同一性の獲得へと進んでいく必要があるのです。また、適切な偽りの自己を形成し、内面において外界との間の「緩衝地帯」を形成していくことも求められます。これらを順次達成していくことが求められているのです。
 上記の点を知っておかないと、本事例を読む際に、その都度、私とクライアントが共に何を達成しようとしているのかが見えなくなると思いますので、あらかじめ提示しておく次第です。


(151―2)労働には段階がある
 前項で示したように、勤勉で仕事一筋の父親から、皮肉にも、一度も就労経験のないひきこもりの息子が生まれているのですが、Fさんが就労へと動き始めたのは父親が敗北を認めたとFさんに感じられたからでした。
 従って、正直に申し上げるのですが、彼には労働意欲も、労働ということの意味もまるで分かっていないという状態でカウンセリングに来られたのです。
 取りあえず、彼は職に就きたいと望んでいます。きっかけは何であれ、彼のこの感情は潰してはいけないことでした。この感情が維持されているうちに動き始めた方がいいと私は考えましたので、内面的なカウンセリングよりも、外的な事柄に焦点を当てていくことにしました。
 中学生の時に不登校になり、その後、学校に行くことのなかった彼ですが、当然、アルバイトやボランティアの経験もありませんでした。これから働く経験を積んでいこうと誘いかけて、私は彼に何か一つ、家事を手伝うことを初回の段階で彼の課題にしました。
 翌週、二回目の面接にて、彼は家族の分の洗濯をすることに決めたと報告しました。理由は分からないけれどカウンセラーからそのように指示されたと母親に説明し、母と協議した上で、洗濯を担当することになったそうです。そして、翌朝から、それは彼の仕事となり、母親に教わりながら、今の所、毎日欠かさずやっているということでした。
 少し本題から外れますが、ここで労働には段階があるということを述べておきます。
 人は、成人して、いきなり外の世界で働けるようになるわけではありません。それまでにしておかなければならない経験があると私は考えています。
 おそらく、それ以前の段階は省きますが、最初は家の手伝いとか身辺の事とか、そういうところから始まるのでしょう。学校に通うようになると、学校の委員を務めたり、行事ごとに参加したり、あるいはクラブで役割をこなすという経験をします。大学生頃になると、アルバイトなんかを始めるでしょうし、ボランティア活動に参加したりすることでしょう。通常では、その先に就労ということがあります。これらは連続的で段階的な過程であり、前の段階のことをきちんとしていないと、次の段階がうまくいかないと私は考えています。この就労の後には、いわゆる第二の人生というものが来るのでしょうが、ここではこれ以上話を広げないようにします。
 私のこの考えでいきますと、アルバイトをちゃらんぽらんにやっていた人が、正社員になった途端にきちんとし始めるということは、まずあり得ないということになります。また、そういう人は、つまり、アルバイトをちゃらんぽらんにやっていた人は、おそらく、その前段階の学校の委員や行事ごとにも身を入れてこなかったことでしょうし、さらにその前段階である家の手伝いとかもきちんとしてこなかった人でしょう。前の段階のものを疎かにしておいて、次の段階のものがきちんとできるという道理は私には信じられないのです。
 これを「怠け」とか、その人の性格だと評する人がいるかもしれませんが、私はそれは正しくないと思います。「怠け」と言うと、あたかも生まれつきそうであったかのような印象を与えるし、その傾向が不変であるかのように思われるかもしれません。でも、単に、前の段階をきちんと経験して消化していないのに、次の段階のことが次々にその人に課せられてきているというのが現実なのだと思います。前のものがまだ消化できていないのに、次のものが課せられて、手に負えない状況になっていると言ってよいと思います。
 Fさんにしても、他の「ベテラン」にしても、「自分は怠け者だ」と自己評価されていることが多いのですが、決してそういうことではないのです。事実、彼らは自分が価値を置いている事柄に関しては、普通以上に熱心に取り組まれているのです。そこはむしろ「勤勉」でさえあるかのように見えることがあります。
 私は彼に家事を手伝うように指示しました。指示に従うかどうかは彼次第であり、また、何を手伝うかも彼に任せたのですが、この指示の目的は、最初の段階をきちんと経るということにあったわけです。
 ところで、なぜ洗濯ということが選ばれたのか、私は彼に尋ねました。彼は、母がとてもきつそうに見えるからと答えました。立派な答えであります。また、母親とは関係性が維持できていることが窺われます。
 その母親から、ある日、洗濯してくれてありがとうと感謝の言葉をいただいたそうです。Fさんは少し嬉しそうでしたが、労働とはそういうものであり、彼は今それを学び始めているのです。
 洗濯の手伝いは、また、副次的な効果をFさんにもたらしました。晩には洗濯物を取り入れる必要から、どうしても午前中には洗濯を終えなければならず、彼の生活に洗濯をする時間というものが持ち込まれたのです。
 それまでの彼の生活と言えば、好きな時に起き、好きな時に食べ、好きなだけ起きているという生活でした。つまり無秩序な生活だったのです。そこに一つの秩序がもたらされたことになったわけなのです。彼の一日が一つ構造化されたのでした。


(151―3)経験のなさと万能感
 就労への意識と意欲が高まっているうちに、彼はいくつものことを始めましたし、私もいくつか提案したりもしました。母親や妹さんからの応援もいただき、彼は非常に熱心に就職活動を始めたのです。この間に父親からも励まされたそうです。父親を嫌悪している彼でしたが、その父から励まされるということは、彼にとっては満更でもないようでした。父に対して両価的であることが窺われます。
 彼は求人の広告やフリーペーパー、ならびに求人サイトなどに目を通すようになりました。ハローワークにも行くようになりました。
 4回目の面接時に、彼はいくつか応募しようと思う企業を見つけたと述べました。もしよろしければと前置きして、私はその企業の名前を尋ねました。すると、案の定と言いますか、そこには大手や一流企業の名前がずらりと挙がったのです。その中には優秀な大学卒の人でもなかなか入れないような所もありました。
 私の本心を言えば、もう少し身の丈に合った所で探した方がいいのではないかと思うのですが、これを伝えてしまうと、彼の士気を剥いでしまうように感じたので、やるだけやってみようという方向で行きました。
 彼ら「ベテラン」には、自分は何でもできると信じている節があり、自分の限界とか現実の制約とかいう観念がまったくないかのような印象を受けることがあります。幼児的万能感の段階で留まってしまっているように私には思われるのですが、自分が何でもできると信じているのは、単に彼らに経験がないだけなのかもしれません。経験がないこと自体は人格的な欠陥であるとか病理であるとは私は考えていません。経験をすれば、彼らはその段階から脱すると私は信じています。ただ確実に言えることは、その経験は当人にとってはとても辛いものになるだろうということです。
 彼の万能感は、彼の履歴書にも反映されていました。Fさんは企業に送付する履歴書を私に見せてくれました。当然、空白だらけの履歴書です。中学卒業以後の経歴がほとんど真っ白けなのです。
 私はどんなことでもいいからこの20年の間にしてきたことを記述してみようと提案しました。でも、彼はその空白だらけの履歴書で十分通用すると信じているようで、頑として私の提案を退けました。企業側からすると、どんな経歴を有しているのか、どういう適性があるのかがまったく見えない人というのは、雇うにも雇えないものでありますが、彼には企業側の視点に立つということが困難なのです。これはつまり、自己中心性の視点から彼が抜け出せていないことを意味するのです。
 彼は自信満々で、あたかも私に口出しするなといわんばかりの態度でした。その履歴書を何か所かの企業に送付したのでしたが、当然、どこからも相手にされませんでした。この結果は火を見るよりも明らかなことでした。こうして彼の就職活動における最初の「不成功」時期に突入していったのです。
 連続して舞い込む不採用通知は彼にはけっこうな打撃であったようです。Fさんは、おそらく強がりでしょう、何も堪えていないとおっしゃるのですが、内心ではひどくダメージを受けているようでした。自分が何でもできるわけではないし、外の世界は自分の思うようにはいかないということをFさんは痛感していたと思います。
 この体験は、彼の自己愛を深く傷つけただろうと思うのですが、こういう傷つきの経験を通して、自分の限界が見え、外の世界が意味を帯び、さらには他者の存在が入り込んでくるものなのです。彼にとっては苦しい体験だったということは察しますが、一方では望ましいことを経験してもいるのです。


(151―4)輪郭づけ
 カウンセリング開始から3か月ほど経ちました。応募した企業からは、不採用の知らせしか届きませんでした。彼の「数撃てば当たる」式の作戦は物の見事に粉砕されたのでした。
 彼も相当ショックを受けたのでしょう。徐々にですが、自分の一方的なやり方、つまり、他者の意見を排除して自分のやり方でやっていくという方針を改め始めてきました。私や家族、ハローワークの職員たちの意見や提案に、最初の頃から比べてですが、彼は耳を傾けるようになりました。
 世の中は自分の思い通りにはならない、そのことを彼は身を持って体験し始めています。挫折や傷つきを経験することによって、彼の内面に他者の存在がもたらされ始めています。傲慢さは影を潜め、幾分、謙虚な態度も見られるようになりました。
 最初に応募したものは全滅でした。彼は企業の「ランク」を下げることで打開しようとしましたが、私はまず方向を決めた方がいいのではないかと提案し、初めて私の提案が彼に受け入れられたのでした。
 Fさんが応募する職種は実に多種多様でした。一貫性がないのです。これは、彼自身のアイデンティティが不明確であるためでもあり、自分が何をしたいのか、どういうことに向いているのかといった自分の資質をまったく無視しているためでもありました。私の提案はその部分に目を向けるためのものだったのです。
 彼には一体何ができるのでしょう、どんな資産を持っているでしょう。私たちは一緒に模索します。彼はパソコンや家電には詳しいようです。アニメにも造詣が深いようです。また、手先が器用で、イラストを描いたり小さなものを造ったりするのが上手です。企業の名前や規模で決めるのではなく、こうした条件に基づいて就職先を選ぶ方がよいのではないかと私が提案したわけであります。
 この「方向を決める」というのは、闇雲に応募することを禁じ、もう少し彼の今の時点での「輪郭」を明確にしようという試みなのであります。この「輪郭」とは、後に彼の同一性へと寄与することになるものです。彼が何をできるか、どんな人間であるかの部分を輪郭づけていくための一つの試みであったわけなのです。


(151―5)本項の要点
 分量が多くなりましたので、ここで項を改めることにします。
 本項では、ベテランのクライアントであるFさんが就職活動を初めて、最初の「不成功」時期に突入し、いくつか方法を改め、方向を決定し始めるまでの期間を記述してきました。いくつか、本項で述べたところのポイントを列記しておきます。
 労働には段階があり、前の段階のことを消化していることが必要であるということ。
 経験が欠如しているために、彼らは万能感を有していることが多いということ。この万能感が粉砕されるという経験をどこかでしてしまうであろうということ。
 その経験は当人をしてひどく傷つけるものですが、それは必要な傷つきでもあり、この経験によって、自己の限界、現実の観念が生まれ、他者の存在が内面に入って来るようになるということ。
 自分自身の能力や資産を見直し、方向を決めるということが、職業的同一性の獲得への一助となるということ。
 本項ではこうしたポイントについて考察してきました。

(文責:寺戸順司)