<テーマ75>さまざまな夢(3)

<テーマ75>さまざまな夢(3)~テーマの変容と心の変容


(75―1)夢の解釈について
(75―2)夢の実例
(75―3)自我が距離をつくる
(75―4)新テーマは旧テーマから派生する


(75-1)夢の解釈について
 前項(テーマ58)では「追われる」というテーマの夢を、三人の実例を通して考察してみました。同じテーマの夢であっても、見る人によって内容がとても異なるものだということが理解していただければそれで結構なのです。夢はそのように個人的なものであり、その個人が現在置かれている状況と無縁ではないのです。
 また、夢の解釈も夢見手が自由にしていいものだと私は考えております。ここは精神分析系の夢解釈と私が意見を異にする部分です。夢は常にその夢見手に素材を提供するものであり、その素材をどう扱うかは夢見手の自由であると捉えていただいて結構です。
ただ、その素材を読み解く際に、英文を日本語に訳すようなやり方は私は望ましいとは思いません。つまり「夢事典」のような本を参照して、あたかも英単語を日本語に置き換えるだけの翻訳をするように、夢を翻訳するのは望ましくないし、それをする必要はないということです。
むしろ、夢に対して、自由に連想を広げていけば、そこから何か見えるものや掴めるものが出てくるものなのです。たとえそれが「夢事典」からかけ離れた理解であっても、夢見手の中から生まれてきたものの方がとても大事なのです。
そもそも、そうした「夢事典」は個々の夢見手の状況を考慮せずに編まれているものです。だから、事典に載っている解釈をそのまま当てはめるのではなく、状況に応じて、その意味を斟酌し、変えていっても構わないことなのです。その英単語の意味が日本語訳で英和辞典に載せられていても、その英単語が使用されている状況に応じて、日本語の訳語を変えても構わないのと同じであります。英和辞典に掲載されている日本語訳しか使ってはいけないというルールがないのと同じで、夢事典に説明されている解釈をどんな場合にも使わなければならないというルールはないのです。私はそのように考えます。
 このような誤解をされるのは、夢には一つの意味しかないといった誤った信念を抱いてしまうからだと私は考えています。現実には、夢の意味は一つとは限らず、さまざまな解釈が可能であり、一つの夢には複数の意味があるのです。そして、そのどれが正しいとか正しくないとかも言えないものなのです。

(75―2)夢の実例
「追われる」というテーマで、もう一つ夢の実例を掲げることにします。

(夢)
「不良の団体に目をつけられて、走って逃げる。彼らは追いかけてくる。だいぶん逃げたところで振り返ると、彼らはもう追ってこなかった。彼らはとっくに追いかけるのを止めていたようだった」

これはある男性クライアントが報告してくれた夢で、私は聞いていて嬉しく感じた夢でした。
 まず、この夢もやはり「追われる」というテーマであり、誰もが経験したことがある典型的なテーマの夢です。
ただ、このテーマの典型的なパターン以上のテーマがこの夢には含まれていることが窺われます。それは「そこまで逃げる必要はなかった」というテーマです。つまり、「追われる」というテーマ以上に、「逃げる必要がない」というテーマをこの夢から読み取ることができるように思われるのであります。
 このタイプの夢は、とにかく追われるのです。追われるから逃げるのです。そうして逃げて、最後がどうなったかということを覚えていないというような夢も多くあります。
最後にどうなったかを覚えていても、例えば、逃げて断崖から落ちるとか、逃げていて車に轢かれるといったような、さらに大きな事件が起きているというような夢も珍しくありません。
上記の夢では、そのような惨事は起きていません。むしろ、追う側が追うのを止めていたという点が特徴的なのです。ここにこの夢のもう一つのテーマがあるということでした。ここの部分をこれから考えていくことにします。
 この夢を見た彼は、何もそこまで逃げることはなかったのだという認識を夢の中でしていたようだと報告しました。
それを聞いて、私は一つの提案をしたのです。不良の団体に出会った地点を0として、彼が逃げるのを止めた地点を10とすると、彼らはどこまで追ってきたのだろう、あなたはどこまで逃げる必要があったのだろうということを彼に考えてもらいました。彼の答えは「7くらい」ということでした。つまり7くらい逃げていれば彼は十分安全だったのです。7の地点までしか、彼らは追って来なかったわけでありますから、彼は追っ手よりも過剰に逃げているわけです。
彼は7ではまだ不安であり、10まで逃げないと安心できないと感じているということなのです。恐怖をもたらす対象に対して、きっと、7くらいの恐れが彼には現実的であり、適切なのでしょう。そこを彼は10心配しているわけです。彼は必要以上に逃げ、心配しているのです。そこまで逃げて、心配するのは適切ではなく、現実的ではないのだと、彼の夢はそのことを教えてくれているようでした。

(75―3)自我が距離をつくる
 また、この夢は前項の「ジェイソンに追われる夢」とも共通しているものがあります。あの夢、ジェイソンに追われる夢においては、ジェイソンは何も悪いことをしていないのでした。それは常に夢見手について回るのだけれど、一定の距離を保ち、決して夢見手に追いつかない存在なのでした。この距離が、夢見手が恐れている対象と一緒にいることができるぎりぎりの間隔だったのだろうと私は思います。あるいは、夢見手が恐怖の対象を直視できるのに最低限の必要な距離であると言ってもよいかもしれません。それより間隔が狭まると、夢見手の恐れが強くなりすぎて、恐らく追う者の姿も確認できないくらいになってしまうのだろうと思います。ちょうど、最後に屋上から突き落とされてしまうという前項の女性の夢のように、この距離があまりに近すぎると、追う側の姿がはっきりしなくなっていただろうと思います。
 追う側の姿が明確になっているということは、夢見手とその対象との間に、適切な距離が保てているからだと私は考えています。その距離を生み出し、保つのは、夢見手の自我なのです。言い換えると、夢見手の自我は、脅威の対象に対して、適切に距離を取り、自身を守ろうとしているわけです。
そして、その距離を保つことができている範囲において、夢見手は対象を直視し、対象と関わることができていると考えられるわけなのです。

(75―4)新テーマは旧テーマから派生する
 本項の夢に戻りましょう。この夢を見たのはある男性のクライアントでした。カウンセリングを受け始めてから数か月後にこの夢が報告されたのでした。
彼は会社の中で常に誰かの視線を気にしていました。周囲の人たちは常に彼にとっては恐怖の対象だったのです。その彼が、そこまで逃げなくてもよいという夢を見たということですから、この夢の意義はとても大きかったのです。私がこの夢を聴いて嬉しく感じたと述べたのはそのためなのです。
 彼は、それ以前においても、「何かに追われて、ひたすら逃げる」というテーマの夢を見ていました。状況や場面に違いはあっても、そのテーマは繰り返し見られたのでした。
「そこまで逃げなくてもよい」というテーマは、この夢で初めてみられたものでした。基本的に以前のテーマを引き継いでいるのですが、そこに新たな別テーマの萌芽が見られたのです。
 人間や心が変容していくのは、大体このような感じで進行していくものです。ここはよく誤解されている方もおられるので、少し強調しておきたいと思うのです。
 今まで抱えていたテーマが基本的に繰り返されており、それがやはり全体を占めているのですが、かすかに以前にはなかったテーマが芽を出しています。夢が純粋に心の状態を表しているという前提に立てば、この萌芽は心の状態の変化を示していることになります。でも、それはまだわずかの部分なのです。
 十中八九は以前と変わらず、ほんの微細な部分で以前にはなかった変化が見られ始めたという場合、この変化は見過ごされてしまうことが多いのです。そして、何も変わらないと言って嘆く人もあるのですが、その場合、この人は変化の萌芽ではなく、以前と変わっていない部分だけを見ているのです。変わっていない部分に目を向けて、そちらに意識が向かう限り、その変わっていない部分が前面に出てきてしまうでしょう。変化の方に意識が向かない限り、それは発展していかないのです。仮に発展していっても、同じように無視されてしまう可能性を高めてしまうのです。
 私はこれは事実だと個人的に考えているのですが、変化の方に目を向けない人は変化していかないのです。同じことを繰り返してしまったという部分だけを見ている人は、そういう自分が自分なのだと信じてしまい、それ以外の可能性を閉ざしてしまう傾向が強まるようだという印象も受けるのです。
 どちらに目を向けるとしても、最初はわずかな萌芽なのです。そこを育てるか、それとも台無しにしてしまうかで、その人のその後の経緯も変わってくるように思われるのです。そして、この萌芽は、以前とはまったく別なところから生じてくるのではなく、以前から抱えているテーマから派生するような形で生じてくるのです。ここがもう一つの誤解点なのです。けっこう多くの人が、変化とか変容は、現在抱えているものとは別の領域からもたらされるものだと信じているように思うのですが、それは正しくないことが多いのです。
 さて、この夢を報告したクライアントのことに戻るのですが、彼はこの夢に新しいテーマが生まれているということに気付いていませんでした。私に指摘されて初めて気づいたようでした。彼もまたせっかく生じた変化の萌芽を見落としてしまうところだったのです。
そして、彼の報告してくれた一連の夢の中で、「そこまで逃げなくてもよい」というテーマはこの時初めて見られたものだったと記憶しています。彼がこの夢を見た頃から、彼は会社への適応がより容易となっていったのです。彼は今まで通り同僚や上司の視線を恐れていましたが、その恐れはより適切な範囲に収まって行ったのです。7割の恐れで良いわけなので、3割の余裕が生まれることになり、この3割の余裕が徐々に好循環をもたらしていったのです。
 
(文責:寺戸順司)