<テーマ56>心の活動と夢

<テーマ56>心の活動と夢


(56-1)感覚遮断の実験より
(56-2)心は対象を志向する
(56-3)夢は心の活動そのものである
(56―4)夢を見ることの意義
(56―5)どうやって夢を見るようになるか
(56-6)実例と夢に対する態度


(56-1)感覚遮断の実験より
 心理学を勉強された方の中には「感覚遮断の実験」というのをどこかで耳にした覚えがあるかもしれません。
 それはどのような実験かと言いますと、被験者の感覚を一切遮断した上で、その被験者にどういうことが生じるかを観察するという実験でした。被験者は、視覚を遮断するために目隠しをし、聴覚を遮断するために耳栓をし、皮膚感覚を遮断するために防水スーツを着て、そうして外部の刺激から一切を遮断するのです。被験者はそうして外界から完全に切り離された状態に置かれるわけであります。
 この実験において、私が興味深いと思ったのは、あらゆる感覚を遮断されたにも関わらず、被験者はなんらかの感覚刺激を体験していたという結果でした。被験者は、視覚を遮断されていたにも関わらず、何かを見たのでした。何も聞こえない状態だったにも関わらず、何かを聴いたのです。
 簡単に述べれば、一種の幻視や幻聴を体験していたということなのですが、私はここに人間の心の動きを見る思いがするのです。
 被験者は外部に関わる対象を喪失しています。景色も音もない世界に身を置いています。それでも、その人の心はその人に見ることのできる景色を生み出し、聞くことのできる音を作り出し続けているのです。そして、その人はそうして生み出された景色や音と関わりを持つようになっているのです。

(56-2)心は対象を志向する
 ブレンターノ心理学、フッサールをはじめとする現象学派の人たちは、意識(心)は対象を志向するという表現をします。意識はそれ単独に存在しているのではなく、常に「~についての意識」という形で存在しているということなのです。
 上記の感覚遮断の実験結果は、もしその人の心に志向する対象が存在しない場合には、心はそれを作り出してまで対象と関わろうとすることを示しているのです。
 そうなると、心は対象を志向するという命題だけでは不十分だという気がしてきます。心は対象を志向するだけではなく、心は対象を必要としており、その対象に関わらなければいられないし、それだけでなく、もしそのような対象が存在しない場合には、心はわざわざそのような対象を作り出して、そこまでしてでも対象と関わろうとする、ということになるのではないでしょうか。
 心はどうして存在しない景色や音を作り出すのでしょうか。そのメカニズムはよく分からないのですが、それでも心はそこまでして自らの活動を維持するのだというように理解できるのではないかと思います。
 言い換えるなら、心にとって一番苦しいのは、活動が停止することであって、外的な刺激の有無ではないということになるのかもしれません。

(56-3)夢は心の活動そのものである
 さて、このような話を最初に持ち出したのは、私たちが夜眠っている間に見ている夢というものも同じような性質を有しているのではないかと私が思うからです。
 眠っている間、私たちは外的に関わる対象を有しているわけではありません。そのような刺激を意識していません。しかし、そのような状態にあっても、私たちの心は夢を生み出し、夢の中で、光景や人や出来事に私たちは関与せざるを得ないのです。夢はそうして心の活動を維持し、関わる対象となるのです。
 従って、夢とは純粋に心の活動であり、そこで展開される世界や物語はその時の夢見手の心そのものであると私は考えています。
 夢をまったく見ないという人もあります。そういう人に対しては、夢はぜひ見た方がいいですよと、夢にもう少し関心を払うといいですよと、私は伝えることにしています。
 もし、その人の見る夢がその人の心そのものであるという前提に立つならば、自分の見る夢に関心を向けるということは、自分の心に関心を向けるということと同義なのです。自分が見た夢について考えてみることは、自分の心について考えてみることと同じなのです。
 同様に、自分の夢に無関心な人は、自分の心に対しても無関心なのです。自分では考えてみることをせずに、夢の意味だけ心理学者や占い師などに尋ねるのは、自分の心を他人任せにしているのに等しいのです。

(56―4)夢を見ることの意義
 いろんな方とお会いしていると、その人の自分の夢に対する態度と自分自身に対する態度とはけっこう関連しているという印象を持つことがあります。あくまでも私の個人的印象かもしれませんが、事実、このことがとてもよく該当するような人も少なくありません。
 例えば、「うつ病」と診断された人や、周囲に過剰適応してしまっているといった人に「夢は見ますか」と尋ねてみますと、まず「夢はまったく見ません」という答えが返ってくるのです。このような人の中には、自分の内面よりも外側のことに意識が過剰に向いているという人も多く、心が自分自身との接点をほとんど有していない状態であったりするのです。だから彼らが夢を見ないと返答されるのも当然なのです。
 その人たちのカウンセリング過程において、できれば夢を見るようにしてもらうのですが、夢を見るに至るまでがとてもたいへんなこともあります。しかし、そのような人たちもやがて夢を見るようになるのです。どのようにして彼らが夢を見るようになるのかは次節にて取り上げることになるのですが、そうして彼らが夢を見るようになって、その夢を報告し、私と一緒に考えていくに従って、彼らに変化が見られるのです。いつかそのような事例を挙げたいと思うのですが、しばしば夢はその人の状態を先取りして見せてくれたりもするのです。その人が現実にできるようになる以前に、それができている夢を見たといった例もけっこうあるのです。
 一つ肝心な点をここで押さえておくと、夢を見ないという人ほど夢を見ていくことが有益であるということです。夢は心の状態を示してくれたり、指針になったりすることもあるからです。

(56―5)どうやって夢を見るようになるのか
 これをお読みの方の中にも自分は夢を見ないという人がおられることと思います。そのような人からすれば、どうやったら夢を見ることができるのだと、そう問いたくなるかもしれません。次にこの点を取り上げることにします。
 正確に述べるなら、私たちが夢を見ていないということはあり得ないのです。どの人も眠っている間に夢を見ているのです。ただ、それを覚えていないということなのです。
 従って、問題は、夢を見るかどうかではなく、どうすれば見た夢を覚えていられるかということなのです。
 私の経験では、起床してすぐに何かの活動を始めてしまうと、大抵の場合、夢は忘却されてしまうのです。起きて、すぐに外側のことに意識を向けてしまうので、それによって夢が忘れられてしまうのです。そのため、起床しても、夢のための時間を取るようにすることが大切なのです。
 私は、朝目覚めると、すぐには起き上がらないで、そのまましばらく布団の中でじっとして、何か夢を見ただろうか、見たとすればどんな夢だっただろうか、ということを思い出してみることにしています。それはほんの数分でいいのですが、そういう時間を取るのです。
 そこで見た夢を思い出せればそれでいいし、思い出せなければ諦めればいいのです。夢は一つのテーマについて繰り返し夢見手に提示してくれるものなので、今回は思い出せなくても、またいつか違った夢として見せてくれるはずなのです。
 毎朝、そういうことをしていると、夢を見ないという人でも、何かの夢を見たということに気付く段階が来ます。どんな夢であったかは思い出せないけど、夢を見たという事実に気付かれるわけです。
 次に、やはり内容は思い出せないけれど、夢の雰囲気であったり、おぼろげな一場面が記憶に残ることもあります。夢の全体は覚えていないけど、暗い雰囲気だったとか、こんな場所に居たとか、断片的にでも記憶に残るようになります。
 さらにこれを続けていきますと、やはり断片的な場面が思い出せるのですが、より細部まで記憶しているといった段階が来ることもあります。
 初めの内は難しいかもしれませんが、夢の一場面でも覚えていると、そこから芋づる式に記憶が蘇ってくることもあります。わずかな断片であれ、それが糸口になって、関連する他の場面のことが思い出されたり、より細部の展開が思い出されたりするのです。
 そうして徐々に記憶に残る部分、思い出す部分が増えて行くものなのです。
 しかし、どうしても思い出せないという場合は、前述のように、諦めてもいいのです。重要なテーマであれば、後日、夢は再びそれを見せてくれるからです。夢を信用していると、きっと見せてくれるものだと私は考えているのです。
 ここまで綴ってきたような感じで、クライアントは夢を見るようになり、夢を覚えていられるようになるのです。忘却してしまったり、抜け落ちてしまったり、把握し損ねても構わないのです。一生懸命になりすぎても夢は逃げていくものだと思います。自然な態度で接していれば、夢は自然に現れてくるものなのです。

(56-6)実例と夢に対する態度
 起きて活動を開始する前に、夢に注意を払う時間を取るという私のやり方を実践された方によると、最初はうまくできないとおっしゃられます。これまで夢をほとんど見ないという人が、これから夢を見ようとされているわけですから、最初はうまくいかないのが当然なのです。最初は夢を「見なかった」と報告されるのが常なのです。
 しばらくすると、その人は夢を見たという事実に気づくようになります。夢の内容は覚えていないけれど、とにかく夢は見たとおっしゃられるようになるのです。「週に二回くらい夢を見たのを覚えている」と語ったクライアントもおられましたが、「まったく見ない」に比べると、これは大きな進歩です。
 これが更に進むと、夢の内容は把握できなくても、夢の雰囲気がつかめるようになります。「どんな夢だったか覚えていないけど、なんか楽しい夢だったような気がする」というような形で報告されるのです。
 さらに進むと、わずかに内容に関する事柄が記憶に残ります。例えば「夢に父親が出てきたことだけは覚えている」とか「何か旅行のようなことをしていたな」といった報告をされるのです。これがそのうち徐々に記憶している事柄が増えていくのです。そうして一場面だけだった夢の報告が、流れや展開のある夢の報告へと発展していくのです。
 夢を見ないという人でも、取り組んでいけば夢を見ることができるようになりますし、大体、上に述べたようなプロセスで夢が把持できるようになっていくものです。
夢を見ようと思っても、夢は私たちの思い通りにはなってくれないものでもありますので、最初はなかなかうまくいかなくて普通なのです。それでも続けていけば、夢を見て、覚えているようになるのです。
 夢は、心がそのような形で私たちに贈ってくれる贈り物であり、大切にしようという気持ちで接すれば、夢の方から自然と現れて来てくれるものです。そして、夢に関わってみると、夢が多くの事柄を私たちに伝えてくれているということが分かるのです。
夢を疎かにしないで大切にする気持ちは、自分の心に対して大切にするということにつながるものであり、それがひいては自分自身を疎かにしないで大切にしていくということへとつながるものであると、私はそう考えております。

(文責:寺戸順司)