<テーマ28>カウンセリングの間隔

<テーマ28> 間隔

(28-1)どの立場であれ間隔が空けられている
(28-2)間隔が短すぎることと長すぎることの問題
(28-3)間隔があき過ぎると現在性を失う
(28-4)ギャップを埋める作業のもたらす不利益
(28-5)変化や気づきはどこで生じているか
(28-6)本項の終わりに


(28―1)どの立場であれ間隔が空けられている
 先述したように、カウンセリングにおける時間のテーマには三つの側面があります。一回の面接時間、面接と面接の間隔、初回から終了までの全体の期間という三つの側面です。これまで、一回の面接時間とその時間における「守り」の意味合いについて述べてきたので、今回から間隔のテーマに移ることにします。
 間隔というのは、継続的なカウンセリングにおける頻度のことであります。カウンセリングと次のカウンセリングの間をどれくらい空ける必要があるかについて本項では述べていくことにします。
 頻度、並びに間隔は、どの立場のカウンセリングや心理療法であれ、ある程度設定されているのが常です。例えば、標準的な精神分析では毎日、つまり週に五日通うことがクライアントに要請されます。簡易的な精神分析でも週に二回から三回の面接を組むことになります。
 面接を受けて、次の面接までの間に時間が設けられているということは、グループワークや宿泊式のワークショップなどにおいても同様なのです。必ず間隔が空けられており、ぶっ続けで実施されるものではないものなのです。
 カウンセリングのおいては、あまり厳密に決められていないとは言え、大体において週に一回から二回のペースで面接を重ねていくことが一般的であるように思います。

(28-2)間隔が短すぎることと長すぎることの問題
 私自身の希望としては、週に一回の割でクライアントと面接をしていきたいと思っています。クライアントの状態によっては週に二回組む人もあれば、二週に一回の頻度で組んでいく場合もあります。ただし、それよりも密にすることも、それ以上に間を空けることも、あまり望ましいことではないと私は個人的に考えています。
 週に一回でも負担が大きいと感じられている人もあれば、毎日でも来たいと言うクライアントもおられます。後者の場合、私はお断りすることにしています。せめて週に二回のペースでやっていきましょうと持ちかけるのです。なぜ、毎日受けてはいけないのかという点に関しては、次節で事例を通して見ていくことにしますが、ここでは取り敢えず、間を空けるということにも意味があるのだなということをご理解していただければ結構であります。
 それとは逆に、月に一回のペースでやっていきたいと希望される方もおられます。本項では主にこちらの間隔が空きすぎることにまつわる問題点を考察することにしますが、私はやはりそれもお勧めしないのです。ただし、例外的にその条件で実施したクライアントもおられます。これはクライアントの生活事情によるもので、あるクライアントは海外勤務のため月の半分以上を海外で生活しているという人でした。その人は月に一回の本社への報告のために帰国した際にカウンセリングを受けていたのです。また、別のクライアントは、仕事に加えて親の介護が急遽のしかかってきたために、途中から月に一回のペースでやっていかざるを得なくなったのです。
 上記のクライアントたちはどうしても月に一回のペースで続けざるを得なかった人たちですが、最初から月に一回のペースでやっていくとなると、クライアントにも不利益をもたらすことになります。私はそれでも構わないとは言え、クライアントにはそのことを伝え、クライアントにそれを承知してもらった上で月に一回くらいのペースでやっていった例がこれまでいくつかありました。

(28-3)間隔が空きすぎると現在性を失う
 なぜ、間隔が空きすぎるとクライアントの不利益になるのか、私なりの見解を述べようと思います。
 カウンセリングにしても、その他の方法による心理療法にしても、そこにはプロセスがあるのです。このプロセスとは、前回までの事柄を常に引き継いでいくということであります。そのようにして進展していくという意味であります。
 初回の面接というのは、お互いに初対面の状態で開始されます。ここではお互いの間で何一つ共有されているものがない状態で始まるのです。私はその人のことを一から理解していくことが求められ、クライアントは私に自分自身について一から話すことを求められます。そのため、一回目の面接というのは、主に状況の説明が多くなったり、広く浅い内容の話し合いで終わることが、私の経験の範囲では、多いように感じられます。
 二回目においては、初回で共有された事柄の上で話し合いが展開していくものです。従って、初回よりもテーマがより明確になっていたり、前回はそこまで見えていなかった事柄がお互いに見ることができたりするのです。
 以後、面接は前回までの面接の上に組み立てられていくことになり、話し合いの領域が広がっていったり、無関係に見えていた事柄につながりが見えてきたり、テーマが深化してさらに奥のテーマを取り上げるようになったりしていくのです。面接を積み重ねていくにしたがって、クライアントにもそのように広がりが体験されることもよく生じることなのです。
 追々述べていくことになりますが、クライアントは自分自身を理解していく必要があり、そのためにはお互いの間で作業のプロセスが展開していくということがどうしても不可欠なのです。
 このようなプロセスが展開していくためには、前回のことがあまり過去の事柄になっていない方が望ましいのです。私の個人的な経験では、その限度が二週間であると捉えています。二週間後であれば、前回の面接の現在性がかろうじて保たれているように思われるのです。
 それ以上の間隔を空けるとなると、前回の面接の現在性が失われていくのです。現在性を失うとは、要するに、それが過去の事柄に属し始めるということであります。
 前回の面接が過去にものになるということは、前回と今回の間につながりが持てなくなるということを意味するのです。それは、一回一回が分断されて、毎回独立した面接となってしまう傾向が強まるのです。そして、面接が毎回独立してしまうということは、同じ部分を繰り返し反復し続けることになるのです。つまり、深化や進展が見られないので、毎回同じ段階のところのものが話し合われるという停滞傾向が強くなるのです。こうして話し合いが深まっていかない、進展していかないということが、クライアントにとって不利益となるという意味なのです。

(28-4)ギャップを埋める作業のもたらす不利益
 間隔が空きすぎることの不利益は私の方にもあります。
 例えば、月に一回の間隔で来られている人がいるとしましょう。その人はあまり意識していないことの方が多いのですが、その一か月の間に多くの変化がみられたりすることもよくあることなのです。前回、お見えになられた時と比べて、環境に変化が生じていたり、クライアント自身の内に以前とは違った何らかの変化や傾向が生じていたりすることもあるのです。
 クライアント自身は、それが彼の日々の生活の中で体験されていることなので、そうした自分の変化に気づかないかもしれませんが、一か月ぶりに会う私にはそれがよく感じられたりするのです。
 そのような時、私はクライアントの変化についていくことができていない自分を感じるのです。私がその人について有している情報は一か月前のものであり、それ以来、云わば、更新されていないという状態なのです。私がその人について有している情報、印象、見立てなどは、今の彼にとっては既に古いものになっているのです。そこで、私はこの一か月のギャップを埋めるという作業をしていかなければならず、それには少なからずクライアントの協力も得なくてはならないのです。このこともまた不利益をもたらしているように私には思われるのです。

(28-5)変化や気づきはどこで生じているか
 最後に間隔を空けることの意義を述べておきたいと思います。
 カウンセリングを中心に眺めてみると、クライアントには(A)カウンセリングを受けている時間と(B)それ以外の時間があるということになります。変化とか、変容、成熟などは、常に(B)の時間帯で経験されるものなのです。もう少し丁寧に述べますと、(A)の時間で得た知見や理解、経験は、(B)の時間において体験されるということです。
 継続的に行っている事柄はすべてそのような現象を秘めていると私は考えています。
 例えば、何か病気に罹って、病院に行ったとしましょう。病院では治療や処置をしてくれます。でも、その病気からの治癒や回復を実感するのは、病院内ではなく、ましてや治療時間内でもなく、むしろ私たちの日常場面においてなのです。
 楽器の練習などでも同じことが言えると思います。ピアノを練習します。その練習時間では上達は感じられないけれど、次の練習時には前回よりも弾くことができているということを私はしばしば経験します。おそらく、スポーツとか勉強などでも同じようなことが起きていることでしょう。私たちはそれに気づいていないだけかもしれません。
 物事に上達するには、ぶっ続けでそれを延々と練習し続けるよりも、間隔を空けた方がうまくいくようです。この間隔期間中にどういうことが個人の中で生じているのか、私には分かりません。でも、何となくですが、心身がそれを処理していく、あるいはそれを自分のものにしていく過程が生じているという印象を受けています。
 私もうまく説明できないのでこの問題には深入りしないようにします。それでも、カウンセリングはクライアントの心の何かを促すでしょうが、クライアントが現実にそれを理解したり体験、実感したりするのはその人の生活場面においてであるということは間違いなく言えることであります。
 あるクライアントは、私の述べた事柄に関して半信半疑でした。ある時、その人は生活の中でふと気がついたと話したのです。そして「先生の言っていたのはこのことだったのかと、初めてわかりました」と語ってくれました。彼の生活場面で彼は気づいたのです。その気づきを得るためには、それ以前にそれについて話し合われていることが必要だったのです。
 別のクライアントの例ですが、この方は若くて、負けん気が強い人でした。ある時、私が「お母さんの一言に腹が立つと言うけれど、その前に、お母さんの一言であなたが傷ついているのですね」ということを彼に伝えました。彼は「そんなことはありません」と、私の言葉を否定します。その数回後の面接で、彼は自分の体験に気づいたと話します。どう気づいたのと私が尋ねると、「僕は母の言葉で、その都度、傷ついていたんだって気づいたんです」と述べました。それは数回前に私が伝えたことなのですが、彼はさも自分で発見したように話すのです。そんな彼を見ていて私は微笑ましい気分になりましたが、どちらが先に言ったということはこの際関係がないのです。彼がそれに気づくかどうか、気づくとすればそれがどこで気づかれるかということが重要なのです。面接はそれに気づくための契機であったり、準備であったりしているわけであり、現実にそれに気づくのはクライアントの生活場面においてであるという点に変わりはないのです。
 この視点はとても重要でありますので、<テーマ31>にて再び取り上げる予定をしております。

(28-6)本項の終わりに
 本項より、カウンセリングにおける時間の第2のテーマである間隔の問題に入りました。
 どの立場であれ、こうした間隔が設けられているのが常であり、カウンセリングでも同様です。
 この間隔が密すぎても空きすぎても望ましくないことです。本項では間隔が空きすぎることに関する問題を述べました。密すぎることに関しては次項で取り上げます。
 間隔が空きすぎると、前回の面接が現在性を失い、毎回の面接が独立してしまい、プロセスが停滞する傾向が強くなるという点で問題があり、クライアントにも不利益をもたらすということでした。私の方も一か月のギャップを埋める作業を、クライアントの協力を得て、していかなければならず、それもお互いに不利益をもたらしているのではないかということも述べました。
 また、カウンセリングとカウンセリングの間の期間においても、クライアントにはプロセスが展開しているということを述べました。クライアントは、カウンセリング場面におけるよりも、彼の日常の生活において気づくことの方がはるかに多く、カウンセリングはいわばその土台になっているという考え方を私はしています。
 つまり、カウンセリングでの話し合いがなければ、クライアントが彼の日常生活においてそのことに気づく可能性は低かったかもしれないし、見過ごされていたかもしれないということです。事前に話し合われていたことなので、クライアントがそれに対してより意識的となっていた、気づきやすくなっていたとも言えるわけなのです。こうした気づきは次回の面接で持ち込まれ、カウンセリングがさらに進展していくことにつながるのです。
 従って、カウンセリングのプロセス、クライアントの心のプロセスは、カウンセリングの時間内だけに限らず、間隔を空けている間にも進行していると考えられるのです。間隔を空けるということにも重要な意味があるわけなのです。

(文責:寺戸順司)