<テーマ27>「守り」としての時間~事例

<テーマ27>「守り」としての時間~G婦人の事例

(27-1)G婦人について~カウンセリングまで
(27-2)初回から7回目まで
(27-3)8回目から15回目まで
(27-4)終結まで
(27-5)補足


(27―1)G婦人について~カウンセリングまで
 前項で述べたように、本項では「守り」を体験するということについて、一人のクライアントの事例を通して見ていくことにします。
 クライアントは女性でG婦人と呼びましょう。50代後半の女性でした。初めてお会いしした時、G婦人はひどい憂うつ感に襲われていて、後に述べるように、医師から「うつ病」と診断されていました。
 G婦人について少し述べておきましょう。彼女は未婚で、生涯独身を貫くつもりでいました。小さな商店を自ら運営して生計を立てていました。裕福ではないけれど、自分一人が生きていく分には困らないようでした。細身で柔和な感じの女性でしたが、弱々しい感じではなく、どこか芯の強さを感じさせるものがありました。
 憂うつ感や不安感に襲われるということでカウンセリングを受けに来られたのでしたが、G婦人のその困難な状態は数週間前に始まりました。彼女の話では、父親が亡くなり、葬儀の後から徐々にそのような状態に陥ったということでした。
 最初、彼女は精神科を受診しました。そこで受けた診断は「反応性うつ病」でした。父親との死別を経験して、喪の作業に取り組んでいるというようにその医師はG婦人のことを考えたようでした。
 医師からは薬を処方してもらい、それを服用し続けていましたが、彼女は何か物足りないような、違和感のようなものを感じたらしく、それでカウンセリングというものも受けてみようと考えられたそうです。

(27―2)初回から7回目まで
 G婦人との面接が始まりました。彼女は丁寧な言葉使いで話し、礼儀正しく、また洗練されていました。「もう少し砕けた感じで話しても大丈夫ですよ」と私は折に触れて伝えます。と言うのは、どこか堅苦しい感じも受けていたからです。彼女はそれが自分の自然で、身に着いたものだからと答えていました。
 父親の死に目にあい、その亡骸を見てひどく心が動揺したと彼女は述懐します。父の死が相当ショックだったようですねと私が伝えると、いろんな意味で堪えましたと彼女は答えます。いささか曖昧な表現をされたのを覚えています。
 初回面接の終了時、私は彼女に伝えました。あなたは父親との辛い別れを経験したけれど、心の中では十分に別れられていないようですと。そして、父親との思い出をしっかり語り直していかれませんかと私は勧めてみました。彼女は承諾しました。ちなみに、私が伝えたことは、医師が彼女に伝えたことと大同小異だと彼女は言いました。
こうして、G婦人とのカウンセリングが開始し、その後約5か月ほど、週に一回ずつ彼女は面接に来てくれました。
 2回目の面接では、彼女は父親に関するいくつもの思い出を語りました。とても美しい思い出ばかりです。つまり父親との間でのいい思い出ばかりが語られるのです。
 私はいいお父さんだったのですねと伝えます。G婦人は静かに「ええ」と言っただけでした。
 続く3回目も4回目も、G婦人は父に関するいい思い出話を繰り広げます。私はそれをそのまま聴くのです。平行して受診している精神科医にも、彼女は同じような話をしているということでした。
G婦人の話をそのまま拝聴する一方、私の中ではフロイトが「ねずみ男」に言った言葉、「あなたが父親を賛美するのは父親への敵意を抑圧しているからです」という言葉が頭の中で反響して仕方がありませんでした。抑うつに陥って、沈んでいるG婦人にそういう言葉を伝えることは気が引けてしまい、私はそれは言えないと感じていました。
 その頃は、G婦人は現実に父親を喪失しており、その喪失を受け止められないでいるからこそ、内面における父親との関係をしっかり維持していく必要があると私は考えていました。今から考えると、その考えはどこか私の合理化だったように思います。
そうして5回目も6回目も同じような内容の話を繰り返すだけの面接となってしまいました。
 7回目の面接でも同様の展開でした。終了前に、私はふとこんなことを言ったのです。「あなたとお父さんとはとても仲が良かったのですね」と前置きして、「でも、いくら仲のいい二人であっても、長い年月の間には一回くらい諍いやケンカがあったりするのが普通ではないでしょうか」と。彼女は少し戸惑ったようにしておられましたが、すぐに「父との間ではそういうことは決してありませんでした」と答えました。それならそれでいいでしょう、私の考えすぎだったようですと伝え、次回につなげました。

(27―3)8回目から15回目まで
 8回目の面接では、いつも几帳面に時間を守られるG婦人が珍しく遅刻してきました。また、彼女の雰囲気もいつもと違っています。ひどくそわそわして、緊張感が高まっているようでした。おもむろに口を開くと、彼女は次のようなことを話します。「この一週間、ここに来るかどうかでひどく迷いました」と。
彼女によると、前夜までカウンセリングを打ち切ろうという方向で考えていたそうです。当日になって、やっぱり行こうという気持ちも出てきて、けっこう直前まで迷っておられたそうです。そのために家を出るのがいつもより遅くなり、少し遅刻してしまったということでした。
「何か気になっていることがおありなんですね」と私は伝えます。彼女はそれは言えないと言います。私は「人にはそれぞれ他人に言えることと言えないこととがありますよね。言いたくないと思うことは無理に言う必要はありませんよ」と伝え、彼女の次の言葉を待っていました。彼女は沈黙したままでした。
 その回はほとんどが沈黙の時間でした。そのまま沈黙で終わってもいいのですが、せっかく足を運んでくれたのだからと、私は最後に少し言葉をかけてみました。「あなたは今、本当にお父さんの死を悲しみ始めているのだと思います」と。だから今は辛くなっているのだと思いますと伝えて、その回を終えたのです。
 9回目の面接にG婦人はきちんと来てくれました。また一週間悩んでいたと話します。そして意を決したように、「今まで話してきたことはみんな嘘なのです」と彼女は打ち明けました。「本当は父との関係でずっと悩み続けてきたのです」と彼女は言います。
「よろしければ、お父さんとの間で何があったのか、話してみませんか」と私が持ちかけますと、彼女は以下のようなことを話してくれました。
 G婦人は子供の頃、たった一度だけ父親から殴られるという経験をしたのです。それ以来、彼女は父親を憎むようになったと言うのです。今でもそれが許せないと彼女は言います。
それ以前は、彼女はむしろ父親のことが大好きで、尊敬さえしていたのです。大好きな父親から殴られるという経験をしてしまい、また、好きだった父を憎まなければならなくなったのです。辛い思いをしてこられたのだと思います。
 続く10回目以後、これまでとは違った話をしていきました。いい父親と自慢の娘の物語はすべて覆され、彼女曰く「自慢の娘を演じていただけ」だったのです。内心ではどれほど父を嫌悪していたか、でも、それは決して表に出してはいけないことだったのです。
 それを表に出すということはG婦人の中ではタブーだったのです。なぜなら、彼女は父親の自慢の娘であり、またそうであらねばならず、家族も親族もみな彼女のことをそのような娘として見ていたからなのです。彼女はその期待に応えなければならなかったのです。もし、その期待に背いてしまうと、彼女は子供心ながら、自分が疎外され、見放されてしまうという恐れを感じていたのです。
 父親に対する嫌悪感情を密かに抱きながら、彼女は成長していったのです。中学、高校と、特に大きな問題を起こしたりすることなく、模範的な娘として彼女は生きてきました。大学に入ると、彼女は家を出て、卒業後もそのまま遠方の職場に勤め、結婚もせずに自分のお店を開き、現在に至っているのです。G婦人にとって、自然と父や実家と疎遠になったように周囲に見えなければならなかったようです。
 15回目の面接時に彼女は言いました。父の葬式の場で、父の亡骸を見て、本当は手を叩いて喜びたいくらいだったのだと。「本当にそうしても良かったのに」と伝えると、彼女は安心したように見えました。そして「でも、いくらなんでもそこまでするのは非常識かと思いまして、自分の気持ちを抑えました」と彼女は話してくれました。自慢の娘のまま、彼女は父を見送ったのです。

(27―4)終結まで
 18回目の時、彼女がカウンセリングを受けることになった動機、つまり抑うつ感や不安感について再度取り上げてみました。精神科医の方にも週に一回通われていたG婦人でしたが、医師には何も話す気がしなくなったと言います。父を憎んできたことは医師には言えないでいるということでした。そして、毎回、少しの時間とは言え、嘘を話すことに疲れたらしく、ただ薬を受け取りに行くだけの場になっていたそうです。それも、その二週ほど前から、薬も服用する気になれず、医師には会わなくなっていたそうです。気分的には本調子というわけではないけれど、薬なしでも今はやっていけていると彼女は話しました。
 父の前では自慢の娘を演じていたように、彼女は医師の前でも演じなければならなかったようです。その医師は父親を思わせるような人だったのかもしれません。私の方はG婦人よりも20歳以上年下で、彼女から見れば本心を言いやすかったのかもしれません。
 述べてきたように、9回目の頃から彼女はそれを打ち明けるようになっていました。18回目まで、徐々に打ち明ける範囲が広がっていったのですが、15回目が一つのピークだったように思います。彼女は本当は最初からそれを語りたかったのではなかっただろうかと私は思います。父親の死を手を叩いて喜びたかったという秘密の感情と、それにまつわる罪責感が彼女を苦しめていたのだと思います。
 初めからそのことを表現したかったと仮定しても、彼女はそれをできるまでにおよそ10回の面接を要したわけです。最初の10回は無駄だったのかと言いますと、決してそうではなかったと思います。彼女にとって、それを打ち明けても大丈夫だという安心を得るために必要な時間だったと私は考えています。それを打ち明けても大丈夫だという確信、つまり「守られている」と彼女が実感できるまでの時間だったと思います。
 21回目、つまり、G婦人との最後の面接でしたが、彼女は何かひとこと言って欲しいと頼んできます。私は「あなたはお父さんをそのまま憎み続けてもいいのですよ」と伝えました。この言葉に彼女はすごく驚いたようでした。彼女は「父親を許しなさい」と言われると思っていたと述べました。私はただ「許してもいいし、許さなくてもいい。それはあなたが決めていいことではないでしょうか」と答えました。すると彼女は、恐らく初めてのことですが、笑顔を見せ、「分かりました」と言いました。
 誤解されないように少し説明する必要があるでしょう。私の考えでは、彼女が父親を憎んできたことよりも、父親が憎しみの対象として常に彼女の心の中にあったということに価値を置いているのです。彼女はそうして喪失を防いでいたのだと思います。それは父親の喪失という意味だけではなく、彼女自身の存在感の喪失からも守ってくれていたのだと思うのです。

(27―5)補足
 本項では時間や場に「守られている」という体験を事例を通して見ていくことが主題でした。「守り」を経験するに従って、人は秘密を打ち明けられるようになっていきますし。自分を偽らなくなっていくのです。G婦人は、自分が経験したことをそのまま表現する自由を得ています。その時、G婦人はもはや何の演技もせず、ただ彼女自身であるという在り方をしているのです。その点を見ていただければ本項の目的は十分に果たせたものと考えています。
 目的を果たしたとは言え、少し補足しておくことも意味があるかと思います。
 まず、彼女が最初に受診した医師についてですが、この医師は決して間違ったことはしていないのです。彼女はこの医師には本当のことを打ち明けられなかったのですが、それは彼女と医師との関係、守られているという実感の違いのためだと思います。彼女が同じように守りを経験していたら、彼女はこの医師に打ち明けていただろうと思います。決して、その医師よりも私の方が優れているなどと言うつもりはありません。
 また、以前、この事例を読まれた方から「あの結末は正しくない」と指摘されたことがあります。その人曰く、G婦人は彼女の内的な父親と和解するべきだということです。確かにそれは正しい見解だと思います。でも、それはG婦人の今後の人生のテーマとなっていくものであり、早急に仕上げる類の問題ではないとも私は考えています。
 そもそもG婦人は父親との関係を変えたいとは訴えていませんでした。いずれ彼女がそれを訴える日がくるとしても、今回のカウンセリングはその礎になったと思います。
 もう一度、彼女の経験を振り返ってみましょう。彼女は父親と死別しました。その葬儀の日を境に、彼女は調子が悪くなっています。抑うつ感や不安感に襲われるようになっています。本当は手を叩いて喜びたいくらいの望ましい出来事なのに、なぜ彼女はそんなふうに調子を崩さなければならなかったのか、そこに今回の問題の本質があったように思います。
 私の見解では、彼女は憎んできた父親を失ったことではなく、父を憎んで生きてきた自分が許されない人間ではないかと感じてしまったことに彼女の苦悩があったと思います。つまり、それは彼女の歴史とか存在などの根幹を揺るがす観念だったのです。父親との関係というのは、少なくともこのカウンセリングにおいては、二次的な意味合いしかなかったと私は考えているのです。従って、必要なことは、父親を憎んできた娘がそのまま生きることを許されるという体験をすることだったと思うのです。
 私がG婦人に伝えたことは、父親を一生憎み続けなさいという意味ではないということに注目していただきたく思います。許すことができるならそれにこしたことはないのですが、自然に許せるようになるまで恨んだままでもいいという意味が含まれています。G婦人にとって、父親に対しては憎しみの感情だけではなかったと思います。父親を憎いと語りながらも、彼女はとても生き生きしていました。まるで、そういう父親のことを話すことが自慢だとか、誇りであるとかいった印象さえ受けています。
 憎しみ以外の感情もそこにある限り、今は憎しみの感情しか見えていなくても、いつかその他の感情が出てくるようになるかもしれません。その辺りは臨床家によって考え方が異なってくると思うのですが、それを表面化するように働きかけなければいけないと考える人もあるように思います。私はむしろそれはその人の自然にある程度は任せるべきだと考えるのです。そこを無理に変えようとか、そういうことはしない方がいいと私は考えています。

(文責:寺戸順司)