<テーマ10>クライアントとはどういう人か~その孤立

<テーマ10>クライアントとはどういう人か~その孤立

(10-1)心理的問題の有無
(10-2)深い孤独感
(10-3)分かってもらえなくなること
(10-4)心が「健全」だから苦しむ
(10-5)孤立化の図式
(10-6)孤立からの回復


(10-1)心理的問題の有無
 カウンセリング・心理療法を理解してもらうためには枠組みと過程という二本柱に沿って述べるのがもっとも適していると思います。本項よりカウンセリングの過程について述べていくことにするのですが、その前に、クライアントという人は一体どういう人なのかということを述べたいと思います。
 カウンセリングに訪れるクライアントという人に対して、あなたはどういうイメージをお持ちでしょうか。多かれ少なかれ何らかの心理的な問題を抱えている人というイメージを持たれているかもしれません。そういう人が多いというのは確かではあります。
「心理的な問題」を抱えている、これは確かにそうだと言えるのですが、クライアント本人がそれを意識している場合もあれば、無自覚な場合もあります。検討していく中でその問題が意識化されたり、問題の深さが実感されるというようなケースも多いものであります。それに、人は誰しも心理的な問題を多少なりとも抱えているのが普通でありますので、心理的な問題の有無だけではクライアントを説明することはできないと私は考えています。
 従って、心理的な問題の有無という点はそれほど重要なことではないのです。もっと重要なことは、問題を抱えているとされているクライアントが体験している感情の方なのです。同じように問題を抱えていながら、クライアントをクライアントたらしめているのは、こちらの感情の方だと私は思います。

(10-2)深い孤独感
 少し結論を先に述べる形になりますが、こうしたクライアントが体験している感情というのは孤立感であり、深い孤独感なのだと思います。これは抱えている問題の性質や種類に関係なく、ほとんどすべてのクライアントが共通して体験している感情なのだと私は理解しています。
 この孤立感、孤独感といった感情は、単に寂しいといったものだけではありません。自分がどこにも所属していない感覚や、寄る辺なさといった感情であり、見放され、誤解され、一人の理解者や味方でさえ得られない感情でもあり、世界の中で居場所がなく、追放され、唾棄された人間であるといった感情までをも含むのです。
 決して一人ぼっちであるということを意味するわけでもありません。たくさんの人に囲まれている人であっても、一人の理解者も得られず、孤立しているという人もおられるのです。実際、あるクライアントは何十人の社員を抱える社長でしたが、精神的孤立に耐えられないでカウンセリングを求てこられたというケースも私は経験しております。

(10-3)分かってもらえなくなること
 では、どうしてクライアントはそこまで孤立しなければならなくなっているのでしょうか。もともとそこまで孤立していなかったのですが、人生のある時点から孤立していったという人も多いのです。
 人が孤立してしまう、深い孤独感を体験してしまうというのは、その人がもはや誰からも理解されなくなっているということを示しているのだと私は理解しています。自分のこと、自分の体験していることが誰にも分かってもらえないということなのです。あるいは、誰かに分かってもらえたという体験をしてこなかったことを示しているのだと思います。
 理解してくれそうな人が周りにいなかったということもあるでしょうし、それに加えて、「心の問題」に関してはなかなか理解することが難しい領域でもあり、悪気はなくても誤解してしまったり、理解し損ねてしまったりすることだってあったでしょう。その人はますます孤立を深めてしまうことになるでしょう。
 しばしば、「カウンセラーに話さず親に話しなさい」と親が子供に言います。その親の言い分では、親だから子供のことがよく分かるということなのです。事実、そういう部分もあるかもしれません。しかし、その子が本当に理解してほしい部分に対して理解が得られていないために、その子は親を当てにできなくなっているのだとすれば、いくら親が他の領域では優れた理解を示すことができたとしても、その子は孤立感を深めるしかないでしょう。
 この時、親は自分が当てにされていないとか、信用されていないと体験したり、親として否定されたといったような体験をする例もあります。決してそういう意味ではないと私は思うのです。親であるが故に理解し損ねてしまう部分もあるわけであり、その子にとってその部分がとても重要なのだということを示しているだけなのです。
 そして、こういうことも起こり得ます。親が理解し損ねてしまうことは仕方がないとしても、子供は自分の話が分かってもらえなかったという体験をしてしまうのです。ここでは単に「話したけど分かってもらえなかった」ということをこの子は経験しているのです。しかし、これが執拗に繰り返されるとすれば、この最初の経験は「私は分かってもらえない人間なんだ」という体験に推移していくのです。この子の一つの経験は、この子の人格全体に広がってしまうのです。
 私が非常に残念に思うのは、子供の経験の推移に対応することなく、親が自分たちに相談しなさいと子供に強要してしまうという事態が生じるのです。この例では、いくら親が子供の力になろうとしても、子供の体験していることの無視が生じているために、子供は何も言えなくなってしまっているのです。

(10-4)心が「健全」だから苦しむ
 先ほどの親子の例を続けましょう。この親子は特定の人物を指しているわけではありませんが、決して稀な例ではないと私は思うのです。
 いつかこの子は自分はどうせ誰からも分かってもらえないのだと信じてしまい、自分自身を打ち明けることも、理解してもらうということも、すべてを断念するようになるかもしれません。理解してもらえるという可能性を完全に諦めてしまっている人たちにも私はお会いすることがあるのです。
 しかし、もしそのような人であっても、カウンセリングを受けにくるとすれば、その人の中のどこかに分かってほしいという気持ちが、例え微小であっても、息づいていることが窺われるのです。その人の中に、関係を求める気持ちがまだ生きているのだと思うのです。それはその人の中に残された、たとえわずかな領域であっても、健全な心の部分なのだと思います。その人の心がまだ健全に生きているということの一つの証なのだと思うのです。
 また、逆説的ですが、分かってほしいという感情が少しでもあるからこそ、分かってもらえない時に傷ついてしまうのだと思うのです。もし、分かってもらえないということがその人にとって当たり前のことであれば(自我親和的であれば)、分かってもらえない体験は彼を苦しめることはないはずなのです。

(10-5)孤立化の図式
 クライアントはどうして孤立においやられてしまうのでしょうか。以下、いささか図式的に述べてみることにします。
 その人はまず誰かに自分の体験したことを話すのです。その時、相手はそれを理解してくれなかったのです。これは偶然そうなったということも多いと思います。
 この時点では、その人はせいぜい「この話、あの人には伝わらなかったな」といった程度の体験をするだけだと思います。
 しかし、伝わらない、理解してもらえないという体験を積んでいくと、先述のように「話を分かってもらえなかった」という体験は「私自身が分かってもらえない人間なんだ」といったように人格全体に広がってしまうのです。
 自分が誰からも理解不能な人間なんだと認識することはとても辛いことだと私は察します。なぜなら、誰からも理解不能なのは、私が他の人たちとは違っているからだという感覚を生み出してしまうからです。
 自分は他の人たちとは違ってしまったという感覚は、その人をして、周囲の人との間に垣根を拵えなくてはならなくなります。というのは、他の人と接すれば接するほど、彼は自分が彼らと違うという事実を見せつけられてしまうように経験してしまうからです。
 本当に必要なのは、それを分かってもらうということであって、自分の体験していることは他の人たちにも理解できることなのだということを知っていくことなのです。ところが、彼はその反対の方向へと進まざるを得なくなるのです。彼は周囲の人に理解してもらう必要がある時に、周囲に心を閉ざし、孤立してしまうのです。
 孤立すればするほど、彼は他者との間の溝を深めてしまうのです。この孤立感、あるいは疎外感ということは、彼の意識を占めるようになり、意識がそこに向けば向くほど、彼は孤立していかなければならなくなるのです。
 彼は自分は他の人たちに比べて「おかしい」と自分自身を体験しているとします。そして、不幸なことに、周囲の人たちが「あなた、どこかおかしいんじゃない」といったメッセージを積極的に送ってしまうこともあります。言い換えれば、彼がもっとも指摘されたくない部分をあからさまに指摘されてしまうのです。周囲の人は彼を病院に連れて行こうとするかもしれませんし、カウンセラーに彼を何とかしてほしいと頼むようなことをするかもしれません。
 周囲がそういうことをすればするほど、彼は反発するでしょう。周囲の人にはその反発が理解できないのです。ここでもまた理解されないという経験を彼は繰り返すのです。もし、彼が「自分は誰からも理解不能な存在、つまり普通の人たちとは違った『おかしな』存在になってしまったけど、でもそれは認めたくない」という気持ちを抱いているとすれば、彼は自分が認めたくない部分を周囲から「認めなさい」と強要されるという事態に置かれてしまうということになっているのです。ここで彼が反発するのは、むしろ自然なことであり、「心の健康」な人が選択する行為なのです。
 先述したように、これは一つの図式的な説明に過ぎないので、すべての人が上述の経験をしているとは限りませんが、私はとても多くの人がそうした体験を多少なりともされていると捉えています。

(10-6)孤立からの回復
 人が孤立感から回復するということは、自分が理解される人間であり、人から理解される経験をしているということを体験していくことであり、そうして人間関係の中で、人間世界の中で生きていくことができるようになることなのです。
 話を聞いてもらえる、そして分かってもらえるということが、その回復の契機となるのです。その相手がカウンセラーであっても構わないわけであり、他の誰かであっても構わないと私は考えています。それがカウンセラーでなければならないと、そこまで極端には私は考えていません。
 でも、カウンセリングや心理療法の経験がその最初の契機になることも多いし、それが望ましい場合だってあると私は考えています。
 周囲の人たち、例えばその人の親は、やはりどこまで行ってもその人の親なのです。親がその人を理解するためには、その人を理解する枠組みや土台がその親には欠けているかもしれません。それらが欠けているからと言って、私たちはその親を責めることはできないのです。親に分かってもらうことを諦めること、その代わり臨床家に分かってもらうことで回復を体験すること、そして親もまた子供のことを完全に知ろうとすることを諦めること、そうして親と子がこれまでとは違った何かで結びついていくということも大切なことだと思います。

(文責:寺戸順司)