旧サイト版<夢の旅―10>

<夢の旅―10>


(夢44)「バスを乗り過ごしてしまう夢」
(夢45)「空き地の曲芸師の夢」
(夢46)「海に入って行く夢」


1月18日~19日
 夢を忘れる。忙しくて、夢に意識が向かなくなっている。


1月20日(19~20日)
(夢44)「バスを乗り過ごしてしまう夢」
 バス停でバスを待っている。道路の向かい側に酒屋があり、店内で飲めるようになっている。行くのを止めて、そこで飲もうかと思ったが、バスを待つことにする。
 バスに乗っている。降りるべきところだったのに、乗り過ごしてしまう。仕方がないので終点まで行こうと思い立った。終点は嵐山のようだった。私は特に予定もなかったけれど、嵐山で降りたら、京福電鉄に乗り換えて、双ヶ岡(ならびがおか)の方を歩いてみようかと考えている。バスはお寺の境内のような所を走っていく。石の階段を上っていくので、バスが何度も大きくバウンドした。

(連想と感想)
 最近、また、お酒を飲み始めた。夢では、まだ禁酒を守っているのか、酒屋があっても入らない。
 バスで乗り過ごしている。降りるべき所を見落としてしまっている。今、生活がすこし忙しいので、何か大事なところを見過ごしてしまっているのかもしれない。ただ、夢ではそれをあまり重要視していないようで、乗り過ごしたのなら、終点まで行ってしまえという感じである。
 双ヶ岡の辺りというのは、高校時代に陸上部で、よくこの辺りを走ったものだった。今でも、当時、走っていたコースを歩いてみることがある。そういう時は、高校時代を取り戻したいと感じているのだろう。


1月21日
(夢45)「空き地の曲芸師の夢」
 部屋の整理をしている。レコードを一枚一枚棚に収めていく。
 テレビの旅番組のようなものを見ている。数人で見ている。バックに流れている音楽を聴いて、私が持っているCDと同じだと、私はみんなに説明する。それはトーマの歌劇「レーモン」の序曲だった。
 住宅街の中の空き地で、包丁で魚や果物を切り刻む人がいた。料理をするわけでもない。アートか曲芸のようなもののようだった。彼は「一週間吊るした魚を捌くとどうなるでしょう」と観衆に問いかけ、「実演するので、気の弱い人は見ない方がいい」と言った。私は半分目を逸らしながら、一部始終を見た。吊るされた魚からは異臭を放つ、腐敗した内臓が流れ出してきた。

(連想と感想)
 部屋を整理しているというのは、これまでも何回も見たことがあるが、私には、自分の内面の整理ということを連想させる。
 不思議なのは、包丁で切り刻む男の存在である。人が目を背けたがるようなものを、敢えて見せようとしている。もしかしたらカウンセラーのような存在なのかもしれない。
 一週間吊るした魚と言うのは、さっぱり分からない。ただ、一週間前に何かあったかと思い返すと、禁酒を破った日だということに思い至った。ちょうど一週間前だった、お酒を飲んだのは。それからは以前のように、罪悪感を覚えることもなく、普通にお酒を飲んでしまっている。

1月22日~23日
 夢を見ず。夢45の印象が強烈過ぎたためかもしれない。


1月24日
(夢46)「海に入って行く夢」
 みんなで海に行こうということになった。中学時代の友人を中心にして、彼の知り合い数人とで行くことになった。彼の家が海の近くにあるということだった。私はあまり海には行きたくないと思っていたのだけど、ドライブのつもりでも構わないということなので、承諾した。車の中では、私はひたすら景色を見ていた。天気が良く、山々の緑が鮮やかだった。彼の家に着く。夕方近かったので、泳ぐのは明日にしようということになった。彼の家はちょっとした旅館のような所で、私は以前にも来たことがあると感じた。確か、ロビーのドアから海に出られたはずだと覚えており、記憶を頼りに外に出る。ロビーではたくさんの人が談笑していた。彼らの側を通り過ぎ、ドアを開けて外に出る。道路を挟んで、向こうはもう海だった。海岸に降りて、波打ち際を歩く。海水浴に来ていた人達は帰る準備をしている。私の膝下までかかるような大きな波が来た。満ち潮の時間で水位が高くなってきている。私は海に入っていく。腰のあたりの深さまで進んだ。水は澄んでいて、自分の靴が見える。そこまで進んで、私は引き返す。堤防の際まで水が迫っている。私は堤防を上がり、しばらくそこで服を乾かす。友人の家に戻る。一人の女性が彼を探しており、彼がどこにいるか知らないかと私に尋ねる。私は彼は隣の部屋にいたように思ったので見に行く。彼は他の友人とお喋りをしていた。

(連想と感想)
 以前、海水浴に行くことになって水着を買いに行くという夢をみたが、今回は実際に海に行っている。海は、心理学的には無意識や母の象徴と捉えられることが多く、私もその通りだと思う。ただ、海は私にとっては恐怖の場所である。基本的に水が怖いのである。溺れる恐怖があるのだ。
 その海に、今回は自分から入っていく。途中まで入っていって、引き返している。それ以上奥に行くのは危険だと感じたのかもしれない。
 最近はとても忙しく、精神的にも疲労感に襲われているし、体調も良くない。海に入っていこうとするのは、母の胎内に戻ろうとしていたのかもしれない。ただ、完全に戻ってしまうことは良くないのだということを夢は示してくれているのかもしれない。


<10週目を終えて>
 どこか危機的な夢が続いているように思う。夢44ではバスを乗り過ごし、そのバスはあり得ない所を走っている。夢45では腐った魚の内臓があふれ出るのを見、夢46では吸い寄せられるように海に入って行く。前週では父や兄との葛藤的な場面を多く見た。今週は、それらからは距離が取れているが、引きずっている部分もあるようだ。

(寺戸順司)