私的な自己回想録1―「夢2森小屋の夢」

<夢2>「森小屋の夢」(7月28日)

(夢)
 僕はどこか森のような場所を歩いていた。遊歩道が整備されていた。軽装だったので、軽くウォーキングのつもりで行ったようだった。時に視界が開け、時に鬱蒼とした木々の間を縫って歩く。道がちゃんとあったので迷う心配はなかった。
 やがて森小屋に着く。小屋といってもプレハブのような建物だった。中に入ると何人かの人たちがいた。僕は弁当を広げて食べていた。そこにこの小屋の女主人が現れた。僕は冗談半分で、ここがもう少し安かったらいいのになと言った。彼女はそれならかかったお金の一部を負担すると言うので、僕は冗談だと答えた。
 その後、たくさんの子供連れた男性が入ってきた。子供たちが入ってきて賑やかになる。男性は、たいへんだ一人足りないと言う。途中でいなくなった子供がいると言うのだ。男性が探しに行こうとするので、僕も手伝うと言った。他の人たちも何人かが一緒に探そうと言ってきた。

(連想と解釈)
 森は人が道に迷う場所であり、不安を掻き立てる場所である。森に踏み込むことは自分を見失うことである。夢の中の森は遊歩道が整備されていて、人が迷わないようにできている。僕は森に足を踏み出すことができないでいるのかもしれない。
 中世の騎士物語などでは、森の奥にお城があり、宝が隠されていたり、姫が幽閉されていたりする。騎士は森に踏み入る。そして、森には恐ろしい竜が住んでいる。そういうパターンのものが多いそうだ。
 あいにく、僕の夢はそういうものではまったくなかった。森の奥のプレハブ小屋はお粗末なものだったし、そこの女主人はとても姫と呼べるような人ではなかった。でも、道を踏み外すことを恐れて、用意された道を辿ってきた僕にとっては、所詮、そんなところだろう。もっと素晴らしいものに遭遇するには、安全な道を辿って行くだけではいけないのかもしれない。
 プレハブ小屋の女主人に僕は冗談を言う。皮肉と言ってもいいし、憎まれ口を叩いていると言ってもいいだろう。女主人は僕の冗談に取り合わない。これは僕のイヤな一面を見る思いがする。現実の僕も、時に皮肉屋で憎まれ口を叩いてしまう。捻くれてしまうのだろう。夢では、この態度は真面目に受け止めてもらえないことを教えているようだ。
 そこに子供たちの一団が入ってくる。子供っぽさの闖入ということだろう。それが僕のひねくれや稚気に出てくるのだろう。幼児性の混入ないしは闖入が、僕がひねくれたくなる時には、生じているのだろう。
 ここで置いてきぼりにされた子供が現れる。この子は夢には登場しない。でも、その子に気づいた大人がその存在を示唆している。置いてきぼりにされた子供とは、僕のことなのかもしれない。気にしてもらえず、居なくなっても気づいてもらえない、そんな子供だった。
 夢の中では、僕も含めて、その子を探しに行こうとする。僕はその忘れられた子供と接触を持たないといけないのかもしれない。置き去りにしたままではいけないということなのかもしれない。もう一度、その子供を探し、しっかり抱えていかないといけないのかもしれない。そんなことを思わせる。

(寺戸順司)