旧サイト版<夢の旅―9>

<夢の旅―9>


(夢39)「フィルムを食べる女性の夢」
(夢40)「兄のテストと水が溢れるトイレの夢」
(夢41)「責任者が不在の夢」
(夢42)「水着を買いに行く夢」
(夢43)「三つの断片的な夢」


1月11日(10日~11日)
(夢39)「フィルムを食べる女性の夢」
 私は一人の女性と面接している。面接室ではなく、小さな居間のような場所。女性はこれまでの一生をフィルムに残していると言い、映写機にかける。私はそれを彼女と一緒に見ている。そのフィルムは、編集されているのか、所々で場面が飛び、フィルムをつないだ痕跡が認められた。私は、「カットしている部分があるのですね」というようなことを言う。彼女は、「不要な部分は私が食べた」と答えた。私は驚いて、「食べたの?」と尋ね返すと、彼女は、「こうやって」と、フィルムを切り取り、それを口に入れ、食べ始めた。

(連想と感想)
 私が見た映像というのは、ある場面が映り、その場面が展開したかと思うと、パッと別の場面に切り替わってしまうのである。その場面に見入り始めた矢先に別の場面に移ってしまうのである。なかなか打ち解けてくれないクライアントと面接していると、よくこれに似た体験をする。前日もそういうタイプのクライアントと面接をして、もう少しお互いの距離を縮めることができたらいいのにと考えていた。自分で思っている以上に、そのクライアントのことを気にかけているようだ。
 しかし、夢の中の女性、並びに、彼女がしていることは、そのクライアントを思わせるようなものは見当たらず、むしろ、彼女と彼女の行為は私自身の何かを表現しているように思われてならない。
 そのフィルムというのは彼女の一生を記録したものである。それを彼女は部分的に切り取っている。それはあたかも、その部分は始めからなかったことにしようとしているようである。見ている方も、それは始めからなかったものとして見ているわけである。始めからなかったことにしたいような体験とはなんだろうかと考えてみると、それは深い後悔を伴うような体験ではないかと連想する。
 私にとって、人からは隠しておきたく、尚且つ、そもそもの始めからそのようなことがなかったことにしたいような体験と言えば、私が20代前半で経験した危機である。私はこれを滅多に人には言わない。少しだけ、ここに述べるつもりであるが、当時の私は、とにかく「声」をよく聴いた。その声は、その場にいるはずのない人から発せられるもので、私の名前を呼ばれるのである。しかもその呼び方は、批難や叱責の色調を帯びている。どこにいても、私はその声を聞いた。逃げても逃げても、声は聞こえるのである。声だけでない、他人の存在や突き刺さるような視線も、私を追い詰め、苦しめる。私には生きることのできる場所がなかった。どこに行っても、視線と「声」に付きまとわれていたのである。
 そのような私にとって、唯一の助けとなったのは酒であった。酔っ払うと、意識がはっきりしなくなるのか、「声」は聞こえず、視線は気にならなくなるのだった。当時は、朝起きては酒を飲み、夜、眠る時には酒瓶を枕元に置いて寝たりしたこともあり、とにかく、覚醒している間は、意識を不鮮明にしておかなくてはならなくて、酒びたりの、廃人のような生活を送っていた。アルバイトだけは精を出してしていたが、それは酒代を稼ぐためのものだった。
 今の私は、既に「声」や視線の苦しみからは解放されているが、飲酒の習慣だけは残っている。もちろん、当時のような飲み方はしていないのであるが。私が、自分のフィルムから消してしまいたいと思っているのは、この時の体験であり、それ以来続いている飲酒に関しても、現在断酒を試みているのは、この体験から抜け出す試みとして理解できるのである。
 ところで、夢の中の女性は、フィルムを食べるということをしている。もし、それが人に見せられなくて、隠したいもの、なかったものとしたいならば、フィルムは焼却してもよさそうなものである。そうではなくて、彼女は食べて、それを自分の内側に保持しようとしているかのようである。それは、見せたくないものや隠しておきたいことを保持し、同化しようという試みであるように思われる。私の体験も、無効にするというのではなく、もう一度、自分の内に収め、同化することを目指さなければならないのかもしれない。


1月12日
 夢を見ず。前回が自分の過去に向き合わされるような夢だったので、私の心が夢を見ることを拒んだのかもしれない。


1月13日
(夢40)「兄のテストと水が溢れるトイレの夢」
 いかにして無駄を省くかという議論を数人の男性と一緒に議論している。
 兄がレコードや音楽について、私に一問ずつ問題を出している。私はそれに答えている。その時、兄に電話がかかってきて、兄が電話に出る。電話が終わるのを待っているのだけど、なかなか終わりそうもないので、私は問題用紙を見て、さっさと解答用紙に答えを記入していった。
 トイレに入る。洋式のトイレだったけれど、便座の蓋が取り外されており、その蓋は洗面台で洗浄されていた。ブルーレットのような青い液体の中に浸されていた。私は気にせずに、用を済ませた。水を流すと、便器の方は水が流れず、洗面台の方から水が流れ出してきた。その水は溢れてしまい、床に流れていく。私は思わずトイレの外に出た。水は床に溜まっていくのだけれど、トイレの方が一段低くなっているおかげで、外まで水が流れてこなかった。

(連想と感想)
 無駄を省くという議論。どのような無駄を省きたいと、私は思っているのか。兄との関係における何かであろうか。
 先週に引き続き、兄との葛藤場面を夢に見ている。兄が質問を出し、私がそれに答えている。私の方が優秀だと言わんばかりにである。兄は電話に出る、私は残りの問題をさっさと片付けてしまう。こうして兄との関係を打ち切っている。
 そういうことをした後に、トイレに入っているのだが、そのトイレは普通の状態ではなかったのである。夢の流れをそのまま追うと、兄との関係をそのような形で打ち切ったために、何か普通ではないことが起きてしまっているのだということになる。ただ、トイレ内でのことは、それほど大ごとになっているわけでもないので、それほど重大視しなくてもいいのかもしれない。水があふれ出て、床面を浸していくのだけど、外部には及ばない。それ以上、事が大きくならないということのようだ。
 トイレで用を足しているわけだが、排泄というのは、自分の内に溜めていたものを外に放出する行為である。それは与えるという行為や感情表現といった行為と共通するものがある。夢の中では、そうした行為ができていないわけではなく、ただ、こういう行為をすると厄介な事態が生じているのである。それは大事になるような事態ではないにしても、普通の状態ではなくなってしまうのである。それを恐れているのかもしれない。


1月14日
夢を忘れる


1月15日
(夢41)「責任者が不在の夢」
 アルバイトに来ている。しかし、同じアルバイトの立場の人たちが来ているだけで、社員が一人も現場に来ていない。そろそろ作業にかかってくれと、先方さんが言う。責任者が来なければ始められないので、とにかく社員を呼んでくるようにバイトの人に頼んだ。彼は車を走らせる。私は、一か八かで停電操作を行おうとしていた。

(連想と感想)
 責任者が不在の現場で、責任者でなければしてはいけないことを、私がしようとしている。なんでも自分一人でやろうとしてしまう、そういう私の悪い癖が出ているようでもある。
 

1月16日
(夢42)「水着を買いに行く夢」
 海水浴に行こうということになった。私は水着を持っていないので、買わなければならなかった。そこで百貨店に行く。それも入口から入らずに、通用門のような所から入る。入ると、そこは喫茶店の中で、普通にお客さんが入っていた。喫茶店を出ると、そこは地下のようで、一般のお客さんが入らないような場所だった。倉庫だったり、従業員しか入れない場所であったりした。水着の売り場を探すが、なかなか見つからない。ようやく見つかったと思ったら、それは中二階のような場所だった。そこにどうやって行けばいいのか分からず、悩む。すると、家族連れが、向こうの離れた階段から途中まで登り、売り場につながる垂直の階段を上って、そこに行くのが見えた。私は同じようにして、売り場まで辿り着いた。

(連想と感想)
 海水浴は高校2年生の時以来、行ったことがない。それもクラブの合宿で、海が近かったから、練習の後で海に飛び込んだという程度なので、海水浴とはとても言えないのだが。私は海が苦手だし、泳げないし、どちらかと言うと水が怖いのである。お風呂も基本的にシャワーのみで、湯船にはそれほど入らない。
 夢では、私が海水浴に行くことになっている。恐れていることに取り組もうとしているかのようである。ただし、水着売り場になかなか辿りつかないということで、この苦難を後回しにしたがっているかのようである。
 前回、夢41でアルバイトの夢が出てきたが、今回の百貨店の中も、バイトで毎年点検している百貨店を思わせる。
 水着売り場にはストレートに行くことができないのであるが、家族連れが先に辿りついている。私が子供の頃は、家族で海に行ったものだった。毎年、夏休みには行ったものだった。私にとっては、あまりいい思い出ではないのだが。


1月17日
(夢43)「三つの断片的な夢」
 (場1)広いガレージでテニスをする。はっきりとしたコートはなく、適当に離れて二人が打ち合っている。私たちはその間に座って、談笑している。頭上をボールが飛び交う。時に、顔に当たりそうになる。私もそのテニスに参加する。ボールを打ち返す度にボールの力が強くなっていき、手が痛くなる。
  テニスの後、そのガレージに布団を敷いて寝る。私たちは三人で並んで寝る。他の二人は私の友人で、一緒にテニスをした仲である。私は、そこのガレージには夜な夜な恐ろしい悪鬼が徘徊するという噂を聞いて、とても眠れなかった。二人は眠ろうとしたけれど、私は起きて、時々布団から出て、周囲を見回したりして、警戒を怠らなかった。
 (場2)どういうわけか、家の中の物の配置を変えている。家具が移動されている最中で、私は何も聞かされていなかった。私の机や引き出しの中の物が廊下に出されていて、私は怒って、抗議した。
 しかし、私はその家の配置を変えるのを手伝うことになった。昼休みの時間なのに、誰も何も言ってこない。私は勝手に休むと言って、その場に横になる。ふと見ると、一緒に働いていた女性がどうしていいのか分からなそうにしていたので、休憩したらいいと、彼女に言った。既に15分過ぎていたので、2時15分に戻ってくればいいと言った。
 私の新しい部屋は三人部屋だった。机が三つ並んでおり、向かって右端が私の机だった。左端は一番偉い人の机で、みんなから恐れられている人だった。布団の順番も同じだった。皆はもう寝ると言って布団に入るのだが、私はもう少し本を読みたいと言って、一人机に向かう。
 (場3)日帰りの旅行からの帰り道。私たちは三人で旅行した。一人は女性だった。家に近づいてきたところで、一人が、書店に寄るからと言って、私たちと別れた。私は女性と二人で、家の近くの道路を歩いている。彼女は振袖を着ていて、それは私がプレゼントしたものらしい。私は安物で悪いななどと謝るが、彼女は構わないと答える。その時、前方から晴れ着をきた男性が来た。彼は私の家族ということである。彼は、もう一人はどこに居ると尋ねた。私は、彼なら書店に居ると答えた。

(連想と感想)
 夜中に何度か目覚めて、その都度、見た夢を書き留めておいたために、三つの場面に別れている。一つの夢というよりも、三つの個別の夢と捉えなければいけないかもしれない。
(場面1)はテニスをして遊ぶのだが、私はどうもそれを楽しめないでいる。ボールを打ち合うと手が痛くなるし、遊んだ後は悪鬼が徘徊するということで気が気でない。
 テニスはほとんどしたことがない。大学時代に少しだけやった程度である。あまり楽しいとは思わなかった。ただ、同じ大学に通ってる学生が集まるので、それだけが楽しかった。そういう楽しい思い出とテニスが結びついているのであるが、そうして楽しんだ後は、いつも不安に襲われていた。こんなに遊んでいては罰せられるのではないかと気が気でなかったという時代があった。
 広いガレージということについては、子供の頃は近所の駐車場なんかで遊んだものだった。駄菓子屋さんで買った小さな玩具で遊んでいた場面を今でも思い出す。もうその駐車場はなくなっていて、住宅に変わってしまっているのだが。ガレージということも、私にとっては、楽しい遊びと結びついている。
(場面2)は、実際に経験したことでもあるのだけど、家を改装することになって、私は自分の部屋の物は自分で運びたかったのだが、両親が勝手にそれをしてしまった。改装のスケジュールの関係でできなかったのだが、断りなしに勝手に動かしたことにとても腹が立った。見られたくないものだってあったのに、そんなことお構いなしで、私の部屋のものを動かしたのだ。夢でも同じような感情を抱いていた。
 一緒に働いていた女性は、特に印象も残っていないのだが、従順で、私の指示がなければ動けないような人だった。時間に関しては、今の私の仕事が、13時から14時までを昼休みとしており、それがそのまま夢の中に持ち込まれているようだ。
 部屋の体裁が整うと、そこは三人部屋だった。(場面1)でもそうだったが、三人でいて、私だけが別行動しているのである。(場面1)では二人は寝ていたのに、私だけが不安に襲われて、警戒していた。ここでも二人は先に眠ってしまうのだけど、私だけ本を読むと言って、別行動している。(場面1)と異なる点は、この二人のうち、一人はとても恐れられている存在であるということだ。
 三人の男性で、私以外の二人は結束しており、私だけ別行動を取りたがる。しかも、その二人のうち一人は怖がられる存在である。このような関係が私の生活のどこかにあっただろうか。思い浮かぶのは、家族である。父と兄はよく結びついていて、私はどこかはぐれ者のようなところがあった。この二人は、よく意見が一致していたが、私は二人の意見に賛成できないことが多かった。今でも、考え方や価値観ということでは、父と兄は共通のものを感じる。私はこの二人とはまったく違ったものを持っている。しかし、別行動を取れるということは、彼らとの分離がしっかりできているということでもあるのかもしれない。
(場面3)でも、三人の人間関係が現れるが、一人は女性であり、もう一人は子供のようだった。私の家族という感じであった。前方から来た男性というのは、兄だったように思う。若干、三人の意味するところに違いが生じたようである。兄、父、私という三人から、兄たちとは別の三人になっているわけで、ここでは生まれ育った方の家族から離れている。少し成熟の度合いが増したという感じを受ける。
 

<9週目を終えて>
 今週は、過去のことを思い出させるような夢が多かった。特に父や兄との関係、学生時代のことに関するものが多かった。今後とも、私がそれらを同化していくまで、こういったテーマの夢は繰り返しみることになるだろう。

(寺戸順司)