旧サイト版<夢の旅―7>

<夢の旅―7> 

(夢30)「老けたダンサーの夢」
(夢31)「インタビューする夢」
(夢32)「準備ができていない夢」
(夢33)「万引きを捕まえる夢」
(夢34)「便器のないトイレの夢」



12月28日(27~28日)
 夢を見ず。溜めこんでいた仕事を処理しているうちに朝を迎える。わずかに眠ったものの、夢を見たという感じもない。


12月29日
(夢30)「老けたダンサーの夢」
 私は舞台そでにいる。舞台では男性歌手がリハーサルをしている。女性ダンサーが二人、彼のバックで踊っている。男性はきらびやかな衣装をまとい、女性ダンサーはハイレグのセクシーな衣装である。リハーサルが終わると、舞台に上がり、彼らと打ち合わせのようなことをする。その時、バックで踊っていたダンサーが以外と老けているのに気づいた。私は何となく、この歌手の人も生活が厳しいのだろうなと考えた。

(連想と感想)
 リハーサルなので観客はいない。それでも本番と同じように、ステージ衣装を着ているわけである。男性歌手の方(DJ OZMAに似ていた)は、金色に輝く派手な衣装だった。女性ダンサーの方はセクシーな衣装だったが、近くで見ると、それほど若くないことが分かる。中年くらいの女性で、衣装とメークでごまかしているし、前面に出てこなければ、観客はごまかされるだろうと思った。
 人間というものは、衣装やメークでいくらかごまかしができるものだと思う。中には、内面があまりにも耐えられないので、外面をひたすら磨こうとする人もあるかと思う。それはそれで結構なのだが、衣装やメークは所詮自分ではないのである。外面を派手に繕う人のことを、私はどこか軽蔑したくなる時がある。そういった感情も関係しているように思う。
 夢においては、男性歌手もそうだったのだけど、年齢をごまかしているのである。若く見せているのである。ここに老いの否定を感じる。ここに私は昔の自分を見る思いがする。
 私は若いころ、実際の年齢よりも老けて見られていた。それも常に7つ上に見られていた。18の頃には25歳と言われ、20の頃に27と言われ、25の時に32と言われたものである。若く見せなければというのが、当時の悩みの一つだった。それが、25歳のときに32歳と言われてから、徐々にこの間隔が狭まっていき、32歳くらいの時期が、もっとも見た目と実年齢が一致していたのである。今では、それが逆転し、もう40に手が届くというのに、30代前半くらいと言われることもある。今度は若く見られることが悩みになっているのである。しかし、そうなると、私も自分勝手なもので、今度はずっと若く見られたいなどと考えるようになったのである。ここが老いの否定につながっているのである。
 夢では、年齢をごまかすことの滑稽さ(別に私自身は年齢をごまかしているわけではないのだけど)を示してくれているように感じた。


12月30日
(夢31)「インタビューする夢」
 どこかのセミナーハウスのような所で、合宿が行われている。私はそこを訪問し、インタビューする。そこは、ダム建設か水害のために水没した村の出身者たちの集まりだった。私が訪れると、食事中で、参加者はみんな立って食べていた。私は一人の中年の女性にインタビューする。その女性は立ったまま、片手に皿を持ち、器用に煮魚を食べていた。私のインタビューにも快く答えてくれた。どこにでもいそうな大阪の気さくなおばちゃんという感じの女性だが、話が亡くなった夫のことになると、涙ぐむ。夫は村で死んだそうである。私は「しまった!」と思い、まずいことを訊いたのではと一瞬後悔したが、構わずにインタビューを続ける。私は、そのことがあってから何が変わりましたかと尋ねる。その女性は「宇宙人を信じるようになった」と言う。私は何となくわかるような気がした。

(連想と感想)
 亡くなったのが夫(男性)の方であることに、私の「父親殺し」の願望が見て取れるかもしれない。
 インタビューした女性は、気さくで陽気な感じの人であったが、見た目がそうであっても、実は深い傷を負っているというようなことはよくあることである。何の悩みも持っていないように見える人が、深いところで悩みを抱えていたりするのである。だから、迂闊にそこをいじくらないようにと、私は気をつけているつもりなのだが、夢ではうっかりそこに触れている。それで「しまった!」というように感じ、後悔しているのである。
 映画「バック・ト・ザ・フューチャー」の中で、主人公が怒る一言がある。それは「腰抜け」という言葉で、彼はこの言葉が発せられると、「そんなことは言わせない」とキレるわけである。この言葉は彼のコンプレックスを刺激する言葉なのである。私たちの誰もが、そういう自分のコンプレックスを刺激されるような言葉や体験というものを持っているものと私は思う。これだけは言われたくないというものがあるはずである。私が恐れているのは、特に初対面の相手に、うっかりそういうことを言ってしまうのではないかということである。一度、初対面のクライアントをそれで怒らせてしまったことがある。私にとっては苦い体験であった。その時の「しまった!」という感じと、同じ感じを夢で再体験している。
 夢では、「しまった!」と思いながら、インタビューを続ける。女性の方も、それほど拘っていないようだ。それから、この女性は「宇宙人を信じるようになった」と言う。夢では、私はその訳が分かるように感じている。現実の世界なら、配偶者を失って、「神」を信じるようになる人も多いだろう。ここでは「宇宙人」を「信じて」いるのである。信仰の対象として、「神」と「宇宙人」は同一視されているのかもしれない。私も子供の頃は宇宙人の存在を信じていたが、あれは一つの信仰のようなものだったのかもしれないと思う。


12月31日
(夢32)「準備ができていない夢」
 私はどこかの外出先から職場に戻ってきた。予約が入っているのに、時間がない。準備ができていない。掃除もまだだし、お湯も沸かしていない、洗いものも済んでいないという状態で、とても焦った。すぐにクライアントが来た。女の人だった。彼女は、夫も連れてきたいのだけど、夫が場所が分からなくて困ってるという。そこで一緒に、夫を迎えに行ってくれないかと頼む。
 私は彼女と一緒に通りに出る。外は夜だった。交通量の多い道路を横切って、彼女の夫と合流する。そして、三人で再び私の職場に戻る。管理人さんと顔を合わせる。そして、「今日はこれから仕事があるので、建物を出るのが遅くなる」と告げた。

(連想と感想)
 仕事は入っているのに準備ができていないというテーマである。試験は目前なのに、試験勉強ができていないという類の夢と似たようなテーマである。
 一応、今の職場の方は年末の休みに入っている。休みに入ると、今の職場の夢を見るようになり、今の職場で働いている間は昔の職場やアルバイトの夢を見るのであるから、本当に不思議である。そう言えば、結婚前は嫁(婚約者)が夢によく出てきたけれど、結婚して夫婦になるとまったく夢に現れなくなり、離婚すると、再び前の嫁が夢に出てくるようになったと言う男性がいたのだけど、それと同じようなものかもしれない。あまりに身近にあったり、その中にどっぷり浸かっていたりすると、案外、それは夢には現れないものかもしれない。離れて初めて夢に出てくるものかもしれない。
 さて、夢では、仕事が入っているのに、準備ができていないということが一つのテーマになっている。これは年末のことがまったくできていないという私の現状と重なるものである。大掃除もしていないし、年始を迎える準備がまったくできていない。それでいて、他人の用事を手伝ったり、こうして夢の記録を書いていたりするのだから、我ながらどうしようもないなと思う。
 しかしながら、仕事の準備ということは私にはとても重要な意味があって、この準備ができているかどうかで、面接の成否がかなり左右されるのである。あくまでも、私の場合はということであるが。従って、準備ができていないというのは、私には死活問題である。夢は、明らかに私が準備不足であることを示している。面接の準備だけでなく、クライアントと臨むために必要な準備が整っているかどうか、私はもう一度自分自身に問い直さなければならないように感じている。
 もう一つのテーマは、夢の中のクライアントの要望に応じて、自分の方の準備を疎かにして、相手に付き添っているということである。自分の方を疎かにして、相手の要望に応えてしまって、私は失敗することがよくある。無理をしてしまうのである。夢では、管理人さんまで巻き込んでしまっている。全体が見えなくなっているのかもしれない。


1月1日
(夢33)「万引きを捕まえる夢」
 学校か施設のような場所。私は子供と関わっている。ピアノを弾いてあげたりしている。2,3人の大人が私と一緒にそこで働いている。働いているといっても、ボランティアで参加しているという感じである。その中の一人が、万引きをする。部屋の一角に売店があり、(売店というか、ただ商品が並んでいるだけのコーナーがあり)、私がDVDの映画を選んでいると、彼は私の横に来て、小さな玩具をポケットに入れる。それを目撃した私は、「それはしてはいけない」と言って、彼を諭す。彼は聞く耳を持たずに、私から離れていく。私は後を追う。彼が部屋から出たところで、店長らしき人物に取り押さえられる。彼は、店長の手を逃れて、逃げようとする。私はその後を追って、彼を押さえる。即座にパトカー(と言うよりも、囚人護送車)が来て、彼を連行して行った。

(連想と感想)
 平成22年度の初夢となった夢である。一緒に働いている男性が万引きをし、私が捕まえるという部分が中心となるようだ。この男性は、飲み屋で知り合った男性と重なる。彼は酔っ払って店の物を壊したのである。私が彼と店の間に入って、話し合いさせたのである。彼はそのまま逃げようとしていたかのように見えたからである。
 万引きという行為は、私には一つの大きなテーマでもある。私も小学校低学年頃、近所のお店で万引きをしたことがあり、店員に見つかったという体験をしたことがある。当時の私は非常に自分が空虚で、満たされない感じを抱いていた。とにかく物が欲しくてならなかったのだ。店に行くと、陳列されている商品がたまらない魅力をもって私に迫ってくるようだった。手に入れたくて仕方がなかったのである。今だから言えるのであるが、私はあの時店員に見つかって、本当に良かったと思っている。
 今度は大人になって、アルバイトを始めると、万引きは別の意味で、大きな問題になった。スーパーやコンビニでバイトした経験があるのだけど、どんな客でも、万引きの可能性があるから、疑ってかからなければならないと教えられたのである。それが嫌で仕方がなかった。実際、万引きを目撃し、捕まえるのに協力したこともある。私には、子供時代の自分に向き合わされるような体験である。あの時の体験が蘇るのである。万引きした人の中には、本当に生活苦で、生活必需品を盗んで行かなければ生活できないというような人はほとんどいなかった。品物が目的の万引きというのは少なかったと思う。盗むという行為が目的の人が多かった。それも、いい歳の大人がそういうことをするのである。子供の万引きは、あるにはあったそうだが、私は直接目にしたことはない。万引きを捕まえてみると、大人で、特に生活に困ってるわけでもないという例もある。私はそういう人を見て、寂しいような気持ちになったのを覚えている。私は子供時代に見つかって以来、万引きから卒業しているのだけど、彼らはそのまま続けているのである。今まで、捕まらなかったのは彼らには不幸なことだったと私は思う。
 私が小学生の頃に盗んだのも、小さな玩具で、それをこっそりポケットに入れたのである。夢の中の男性と同じことをしたのである。彼は捕まって、警察に突き出されたのだけど、やって来たのがパトカーではなく、囚人護送車なのである。これは明らかに重すぎるように私には思われる。凶悪犯を連行するわけではないのに、囚人護送車とはどういうことかと、私は思った。ただ、当時の私は、それくらい罰せられるだけの罪を犯したように感じていたのを覚えている。その時の感情を思い出してしまうのである。


1月2日
(夢34)「便器のないトイレの夢」
 私を含めて3人でどこかへ行った。私はトイレに行きたくなって、トイレを探す。ようやく見つけたと思ったら、そこには便器がなかった。壁から、外に向かって用を足すようになっていたのだ。外に人がいたらどうするのだろうとか考えていた。

(連想と感想)
 便器のないトイレというものがあるのかと言うと、実はあるのである。大学時代、友人と飲みに行って、そこのトイレには便器がなかったのだ。お洒落な店だったのを覚えている。男性用のトイレに入ると、便器がなく、壁にさらさらと水が流れている。その壁全体がいわば便器なのである。私はその壁を端から端まで横歩きして、用を済ませた。つまり、壁全体を用いたわけである。バカなことをしているなと自分でも思う。このエピソードはすっかり忘れていたのだけど、この夢のことを考えているうちに思い出した。
 夢のトイレはそれとは少し違っていて、壁から外に向かって用をたすのである。壁はあるにはあるのだけど、どういうわけか外へ通じているのである。外から見えても構わないが、外の人にかかったらどうしようと考えている。つまり内から流れ出たものが外の人を汚したらどうしようということである。守り(壁)が弱くなってるということでもあるようだ。


1月3日
 この日はちょっとしたアルバイトで、朝が早く、夢を見たかもしれないが、書き留めている時間的余裕がなく、そのまま夢を紛失してしまった。


<7週目を終えて>
 仕事の方は年末年始の休みに入ったけれど、そのために何か不安定になっている部分があるようで、気になる。私はどうも休むということが苦手で、休日を楽しめないところがある。うつ病の人にこういうタイプが多い。私は、毎日、仕事をしていないといられないのである。休みに入っているのに、職場に来て、この原稿を書いたり、資料の整理したりしている。職場に来ない日というのは、アルバイトに行くためであったり、何か用事がある場合だけである。そうでない日は、定休日でも職場に来て、何かしようとする。そうしないと精神の平衡が保てないように感じてしまうのである。この週の、特に後半は、そういう不安定感みたいなのを自分でも感じられてくる。

(寺戸順司)