旧サイト版<夢の旅―21>

<夢の旅―番外編1>さまざまな夢の例


 私は自分の夢だけでなく、クライアントからも夢を聞かせてもらうし、身近な人や営業に来た人からも夢を教えてもらうことがあります。夢を聞かせてもらうと、その人のことがなんとなくよく分かるように思われてきます。また、夢には、その人らしさがあるものです。夢にも個性があるようです。
 これまでは私の夢ばかり報告してきましたが(そして今後とも私の夢を綴っていくことになるでしょう)、すこし、私が収集した夢の中から興味深いものを選んで述べてみたいと思います。

(夢)
 「混雑した構内を歩いている。電車に乗ろうとしている。自分の乗る電車が分からない。いくつかホームに出てみる。そこが違うと分かると、一旦、下に降りて、別のホームに上がって行く。ホームには人がたくさん並んでいて、電車を待っている。自分も待っていると、来たのはフェリーのような船だった。私は乗らなければと思い、空いている席を見つけて乗り込んだ。」

 この夢は、ある若い男性が見たもので、彼はこれからの進路について悩んでいました。自分の乗るべき電車が分からないという部分やホームが違っていたという部分に、彼の迷いが感じられそうです。
 この夢で私が注目したのは、彼が船に乗ったということでした。それは本当ならば電車が来るはずだったのです。電車に乗るつもりが、船に乗ったのです。夢の中では、彼は船に乗ることになんの疑問も抱いておりません。むしろ船に乗らなければいけないというように感じているのです。そこで電車と船の違いは何かということが問題になりました。
 船と電車の違いは何かという問いに対する彼の答えは、「線路があるかないかの違い」ということでした。しかし、この答えは十分意味がありました。電車は先に線路を設置するわけです。電車はその線路の上しか走ることができません。また、常に線路は点検されなければなりません。私がコンビニでバイトしていた頃、そういう点検の車両が毎晩通っていたのを見てきました。線路の上しか走れないからこそ、線路の点検は欠かせないのであります。
 一方、船の場合には線路はありません。航路は自由に変えることもできます。線路を点検する必要もありません。ただし、船の場合には、方向ということがとても大事になってきます。もし、方向が一度ずれた場合、なお且つ、そのずれに気づかずに航海を続けた場合、一時間後には予定していた地点とは全く異なった地点を船は走っていることになります。電車では足元の線路がしっかりしているので、方向を誤るというようなことはありません。
 この夢は彼に何を教えたでしょうか。彼は電車に乗るつもりでした。線路のしっかりした電車にです。しかし、彼が乗ったのは、船でした。そこには決められた線路がないのであります。方向がとても重要であるところの船に彼は乗ったのであります。従って、この夢は、彼にこのように教えているようです。しっかりした線路を期待するのではなく、船のように方向をもっと見定めなくてはならないと。
 彼はこの解釈に深く納得しました。というのは、彼は就職に有利なようにといろんな資格を取ろうとしてきました。それは線路を設置するようなものであります。ところが、取得した資格は一貫性がなく、見る人が見れば、一体彼が何を目指しているのか分からないと思うだろうと、彼自身も認めたのです。彼は、資格云々よりも、どういう方向を目指すのかを先に考えなければいけないのだと悟ったようです。

 夢というのは、正しい解釈や回答があるわけではありません。一つの夢に対して、私たちはどのようにもそれを読むことができるのであります。正しい回答を夢から得ることよりも、夢を通してその人に有益な自己理解が得られるということが肝心であると私は考えております。上記の夢に対しても違った観点から考えることはできます。しかし、彼がその夢から得るところがあれば、それで夢の解釈は十分なのであります。


(夢)
 「私がアリになってあくせく働いている」

 この夢を見たのは20歳くらいの女性でした。彼女は飲み屋の店員さんで、彼女のお母さんもそこで働いているのでした。彼女は、年齢の上では成人しているのですが、見た目の印象はもっと幼い感じでした。彼女は繰り返しこのような夢を見るとも語りました。
 自分自身が動物や虫になるという夢は、私自身は見たことがないように思う。カフカの『変身』を連想するためか、こういう夢はあまり健全な印象を覚えません。実際、自分が動物や虫になるという夢は神経症の人に多いという報告も読んだことがあります。だからと言って、私は彼女にそのことを伝えたりはしませんでした。「可愛らしい夢を見るんだね」などと言ってごまかしたのです。カウンセリングの場面であれば真正面から取り組んだのですが、そういう場ではなかったからであります。
 彼女は大学生でしたが、毎日大学に行き、毎日店で働いていたのでした。母親の紹介で働いているので、わがままも言えなかったのではないかと思います。夢は、彼女が働きアリのように働いていることを示しているようです。神経症的に過剰適応していたのかもしれません。このように働くことに関して、どこか不本意であったのかもしれません。夢は彼女に人間として働いていないということを示しているようです。没個性的に、非人間的に働いているのだということを、夢は彼女に知らせようとしたのかもしれません。
 先述したように、私の解釈が必ずしも唯一の正しいものであるというわけではありません。しかし、こういう夢を通して、彼女が自分の働き方について、もう一度考え直してみることができれば良かったでしょう。

 この例では、夢を見た本人が動物や虫になっているのですが、動物や虫を本人が見ているという夢もけっこう多いものです。そこで現れる動物や虫は、必ずしも全ての夢に当てはまるとはかぎりませんが、本人の何かを表していることがあります。もちろん、こういうのは一つの仮説なのでありますが、そういう仮説に立って夢を捉えてみると、どのようなことが見えてくるかということが大切なのであります。


(夢)
「大阪の海遊館でゾウが泳いでいるのを見ている」

 この夢は男性クライアントが報告したものであります。少し連想を聞くと、ゾウは彼の好きな動物であること、また、そのゾウはすいすいと器用に平泳ぎをしていたそうです。
 実際にゾウが泳ぐのかどうか、私は確かなことは知りません。立ち泳ぎのようなことはできるらしいというのは何かで聞いたような気がします。しかし、そうであっても人間のように平泳ぎをするということはないでしょう。これはつまり自然なゾウの行動ではないわけであります。このゾウは不自然なことをしているのであります。
 夢の中の動物が何か不自然なことをしていたり、その動物が本来しないようなことをしているというような場合、夢を見る本人に何か不自然なことが起きている(もしくは不自然なことをしている)というように、私は捉えています。この夢を見た彼も、何か不自然なことをしている、もしくは、しようとしているようです。彼は面白いことを企画したり、参加したりするのが好きだと語りました。そのために不自然なことをしてでも注目を浴びたり、ウケを狙ったりしようとしているのかもしれません。今の彼には無理があることを、自分では無理していると気づかずに、やっているのかもしれません。
 しかしながら、面白いことをしようと思えば、不自然なことをしなければならないのは事実であると私は思います。漫才では、ボケる人は不自然な考え方や物の見方をしなければなりません。チャップリンやキートンのこけ方は自然なものではありません。手品師はこの箱には種も仕掛けもないということを殊更強調して提示します。これもまた不自然な行為であります。上手な人は、不自然なことをしながら、見ている人に不自然さを感じさせないものであります。下手な人は、見ている側にも不自然さが伝わってきて、何か無理をしているという印象を与えるものであります。この夢を見た彼の不自然さ、無理をしている感じというのは、そういう類のものであると、私には思われるのでした。
 そのように考えると、この夢では、夢を見た本人とゾウが同一視されていることになります。動物や虫を自分と同一視するなんてことがあるのだろうかと疑問に思われる方もあるかと思います。私の考えはこうであります。動物や虫と同一視することは実は頻繁にあることであり、私たちはそういう経験を積んできた歴史があるのです。
 自閉症児の研究、治療で有名なブルーノ・ベテルハイムという精神科医は次のようなことを述べています。子供は大人よりも動物により親近感を抱き、同一視するというのです。従って、身近な動物に起きたことは、自分にも起きるのではないだろうかと子供は恐れるというのです。私にもそのような経験があります。小学校で面倒を見ていた犬の引き取り手を探していたので、私は母に犬を飼ってもいいかと尋ねた。母は断固として反対したのでした。実際に犬を見ることもなく、反対されたのでした。私は大変な衝撃を受けたのを覚えています。このショックは、犬が拒絶されたことだけではなく、私自身も拒絶されたという衝撃でした、私はその犬とどこか同一視していたのだと思います。
 大人でも、例えば動物の親子の映画やドキュメンタリーを見て、共感し、感動することがあります。そういう時、その動物と同一視している自分を発見することもあることでしょう。子供はそういう同一視を大人以上にするものであります。子供の好きなキャラクターというのはほとんど動物なのであります。動物そのものではなくても、擬人化された動物なのであります。子供はそういうキャラクターに自分を重ね合わせやすいのでしょう。
つまり、夢で現れた動物は、夢を見た本人が同一視している動物であると考えるだけの根拠はあるということです。

(夢)
「不良の団体に目を付けられて、走って逃げる。彼らは追いかけてくる。だいぶん逃げたところで振り返ると、彼らはもう追ってこなかった。彼らはとっくに追いかけるのを止めていたようだった」

これは男性クライアントが報告してくれた夢で、私は聞いていて嬉しく感じた夢でした。
 まず、この夢は「追われる」というテーマであり、このテーマの夢は誰もが経験したことがある典型的な夢であります。ただ、このテーマの典型的なパターン以上の要素がこの夢には含まれているのです。それは「そこまで逃げる必要はなかった」という要素であります。
 このタイプの夢は、とにかく追われるのです。追われるから逃げるのです。そうして逃げて、最後がどうなったかということを覚えていないというような夢も多くあります。最後にどうなったかを覚えていても、例えば、逃げて断崖から落ちるとか、逃げていて車に轢かれるといったような、さらに大きな事件が起きているというような夢も珍しくありません。
 夢を見た彼は、何もそこまで逃げることはなかったのだという認識をしていました。そこで、私は一つの提案をしたのです。不良の団体に出会った地点を0として、逃げるのを止めた地点を10とすると、彼らはどこまで追ってきたのだろう、あなたはどこまで逃げる必要があったのだろうということを彼に考えてもらいました。彼の答えは「7くらい」ということでした。つまり7くらい逃げていれば彼は十分安全だったのです。それが彼は7ではまだ不安で10まで逃げたということなのであります。恐怖をもたらす対象に対して、7くらいの恐れが彼には適切なのですが、彼は10心配しているわけであります。つまり、彼は必要以上に逃げ、また必要以上に心配しているのであります。夢はそのことを教えてくれるようでした。

「追われる」というテーマに関して、もう一つ夢を紹介しましょう。
(夢)
「どういうわけか追われている。町中で追われている。私は逃げているんだけど、人が混雑していて思うように逃げられない。振り返るとそいつがいる。私から付かず離れず追ってくる。振り返るとそいつと目が合う」

 この夢を見たのも男性でした。夢はもっと長くて、彼は百貨店や地下鉄にまで逃げたそうです。それでも「そいつ」は追ってくると言うのです。
「そいつはどんな奴なの?」と私が尋ねますと、彼は、映画「13日の金曜日」に登場する殺人鬼ジェイソンのようだったと答えるのです。私もその映画は知っています。アイスホッケーのマスクを被った殺人鬼で、その無機質な容貌が怖かったのを覚えています。そんな人物に追われるのだから、彼は相当怖い夢を見たなと思いました。
 さて、問題はこのジェイソンらしき人物の行動です。私はその映画の印象から、「じゃあ、そいつはあなたを追いかけながら、たくさんの人を殺したんでしょうねえ」と尋ねると、彼は「いいえ、そいつは誰も殺さなかった」と答えるのです。彼の話によると、そいつは他の人間にはまったく危害を加えていないということなのです。彼はこのことに初めて気づいたのでした。
 すると、こういうことになるのではないでしょうかと、私は彼に伝えました。「そのジェイソンらしき人物は、実際には誰にも危害を加えていないことになるのではないかと、ただ、あなたが危害を加えられると恐れて逃げたのかもしれませんね」と。彼は、そうかもしれないと答え、「もしかしたら必要以上に恐れていたのかもしれない」というように答えました。これは彼にとって大切な気づきでした。
 このジェイソンらしき人間が誰を表しているか、何を意味しているかということは、とても興味のあるところですが、恐らくそれは誰にもわからないでしょう。夢を見た本人でなければ、それがどういうことなのかを同定することはできないものです。ユング派の人なら、それは「影」だと言うことでしょう。ただ、肝心な点は、彼が恐れを抱く対象に対してどういうことをしているか、その対象を正しく見ているかということを、彼はこの夢を通して理解し始めたのであります。

 痛々しい夢もあります。次の夢は、クライアントからではなく、飲み屋さんで働いている女性から聞いたものであります。

(夢)
「私は暗くて狭い道を這うようにして進んでいる。通り抜けると、広くて明るい場所に出る。するとそこに父と母が血まみれになって倒れている。殺されているのだ。その周囲をたくさんの人が取り囲んでいる」

 フロイトなら、この夢から、彼女が子供の頃に両親の性交場面を目撃したことのショッキングな体験の存在を仮定しただろうと思います。そういう可能性は完全には否定できないけれど、違った読み方もできるように思います。
 まず彼女は這うようにして(幼児のように)います。暗い道から、明るい場所に出てきます。私は、この場面から誕生をイメージします。胎内から生まれ出てくるのと同じ体験であります。しかし、夢では、彼女が生まれてきたのと引き換えに、両親が殺されている、死んでいるという場面になっています。周囲を取り囲んでいる人々の役割は何でしょうか? どういう態度で彼らは見ているのかが問題になるかと思いますが、それは彼女自身にも分からないそうです。私には、彼らは証人になっているように思われました。彼女が生まれたことで、両親は殺されたという事実の証人として、その場にいるかのように思われたのであります。
 現実には、彼女の両親は健在です。離婚はしているのですが、それでも二人で飲みに出ることが頻繁にあるそうです。それで娘の働いている店に来たこともあり、私もお会いしたことがあります。父親は建築業をしていると聞いたことがあるので、とてもいかついお父さんをイメージしていたのですが、実際はそんなこともなくて、とても穏やかで人当たりのいいお父さんでした。母親の方も、とても優しそうなお母さんでした。彼女の夢ではこの二人が殺されてしまっているのであります。
 親殺しのテーマの夢と言えば、それは正しいかもしれませんが、大抵の場合、それは片方の親だけが殺されるということで成立するテーマではないかと私は考えています、ここでは二人とも殺されているわけであります。敵意以上に、この現場に出くわしてしまった衝撃や罪悪感を私は感じました。深いところで、彼女はそういう感情を抱えているのかもしれません。

 以上、6人の夢を取り上げてみました。みな、それぞれ個性的な夢を見るものであることがお分かりいただけるかと思います。その人の置かれている状況や、その人のパーソナリティと関わりのある夢を見るということが多少なりとも理解していただければと思います。夢は常に個性的で、一人一人が異なるように、夢もまた一人一人異なるものであります。
 次項からは、再び私自身の夢に戻ります。どんな夢を見るかなんてことは誰にもわかりません。今後、私からどのような夢が出てくるのか、楽しみでもあれば、不安でもあります。また、機会があれば、このように、私が収集した夢、興味深い夢を紹介してみたいと思っております。
(文責:寺戸 順司)