旧サイト版<夢の旅―20>

<夢の旅―20>


(夢91)「女性と髪を切り合う夢」
(夢92)「深夜にタクシーに乗る夢」
(夢93)「有名な登山家の夢」
(夢94)「川べりの夢」


5月31日
(夢91)「女性と髪を切り合う夢」
 どういうわけか、私は一人の女性の面倒を見ることになった。その女性は髪の毛をすべて金色に染めて、けばけばしいメイクをしていた。衣装も派手で、見た感じではとてもガラが悪そうに思われた。
 その間にどういうことがあったのか覚えていないが、最後には私は彼女とうまくやっており、お互いの髪の毛を切り合った。

(連想と感想)
 この女性はちょっと見た感じの怖い女性で、私の苦手なタイプだった。
 お互いの髪の毛を切り合うという場面が印象に残っているのは、私にとって、それは良好な関係を意味するように感じられているからである。
髪の毛というのは、私にとってはとても厄介なもので、独りでに伸びて、自分でコントロールできないものである。寝癖や白髪を気にしたり、抜け毛の心配もあるしで、悩みの種である。また、頭の辺りを触れられるのがとても苦手で、散髪もできれば行きたくないと思うくらいなのである。髪の毛はそれくらい、私にとっては、悩みの種である。
その悩みをお互いに処理し合っているということが、この夢の情景である。従て、良好な関係を築いているということになる。
この女性は未知の女性である。前回の(夢88)では、見知らぬ女性は見知らぬ男性とセットで登場したし、彼らとは並んで寝ただけで、お互いに交渉もなかったのだが、今回は女性が一人で登場し、最終的に私は彼女と良好な関係を築くことができている。お互いに関わり合っているという感じがする。

6月1日
(夢92)「深夜にタクシーに乗る夢」
 仕事か飲み会かの帰り。深夜だった。場所は私が通っていた高校と大学に近かった。建物を出ると、私は走って市場通りまで出た。タクシーをつかまえるためだ。しかし、そこにはタクシーは見当たらなかった。もう一つ西の交差点まで走って行ったが、そこにもタクシーは一台も停まっていなかった。さらに西へと駆ける。道路の向こう側に一台のタクシーらしき車が停まっているのが見えた。私は道路を横切って、その車に乗る。
 車はライトバンのような形で、後部座席はドアをスライドさせて開くタイプだった。私が乗ると、助手席には運転手の息子だという人が乗っていた。私は行き先を運転手に告げ、実家までの道を誘導した。

(連想と感想)
 自動車というと父を連想する。父の運転する車にいつも乗っていた。夢の中の車と父の車とは同種の形をしていた。色も同じで、シルバーだった。
 助手席には運転手の息子が乗っていたということであるが、そこはかつては私の席だった。私はもはやそこには座っていないということでもあるようだ。
 前回の夢で道の女性と関わったということが、今回の、家族の中の定位置から離れるということにつながっているのかもしれない。あるいは、そういう女性と関わったばかりに、父の自慢のムスクではなくなったということなのかもしれない。前回の未知の女性は、父親からすれば、とてもダメな女性の典型である。そういった女性と関わるということは、父を裏切るということになる。
 従って、ここでは父を裏切ったために、自分のポジションがなくなっているという意味になるのかもしれない。どこか自分を責めているという夢として捉えることもできるかと思う。

6月3日
(夢93)「有名な登山家の夢」
 喫茶店のような場所。近くの席に有名な登山家がいて、多くのファンが彼の周りを取り囲んでいる。私は自分には全く無関係だと思い、むしろ、迷惑にさえ感じていた。

(連想と感想)
 多くの取り巻きに囲まれているような人は、私は好きではない。
 例えば、私はゴルフというスポーツが嫌いで、一人がプレーするために大勢がゾロゾロと従わなければならないというのがガマンならないのである。それと同じで、一人が中心にいて、その周りを大勢の人が、その人のために取り囲むというような関係には嫌悪感を覚える。だから、この登山家は、私が嫌悪する在り方を表しているようにも思う。
 その嫌悪する存在に対して、私は自分が無関係であるという態度を取ろうとしている。でも、迷惑を感じているということは、それが完全には成功していないということのようである。無関係の態度を維持しようと努めながらも、無関係でいることができていないという、そういうことが起きているようである。
 登山家ということに関しては、私も一時期は山登りに精を出していたことがあったので、憧れる気持ちもある。しかし、最近の登山家には嫌悪するものもある。だから、私にとっては憧れと嫌悪と両方が入り混じった対象である。両価的な事柄に対する私の態度を見せてくれているような夢である。

6月5日
(夢94)「川べりの夢」
 川がある。京都の鴨川みたいな雰囲気だった。その川の中に、私のためのスペースがある。私はそこで衣のようなものを洗っていた、もしくは、染めていた。
 ペットボトルの水を飲む。それはその川の水を入れたものであることを忘れていた。川を見ると、結構水が濁っている。一口、飲んでしまったが、でも、甘い味がした。
 それから堤防に上がって、川沿いを歩く。橋を渡って対岸の方に向かって歩く。一つ隣の橋に到着した。それを渡れば元に居た側の岸に戻れるのだけれど、その端を渡ったかどうかは覚えていない。

(連想と感想)
 小学校の一時期、私は水がとても怖かった。今でも怖いと思う。海や川は、遠くから眺めている分にはいいのだけれど、足首よりも深い所へは入ることが難しい。水中の映像はそれだけで恐怖感がある。映画「ジョーズ」でも、サメよりも海の方が怖かったくらいである。
 川の中というには、従って、私が恐れる場所の一つである。その怖い場所に自分のための場所があるということになっている。また、そこの水は、濁っているけれど、甘いということになっている。
 岸に上がって、一旦は川から離れるのだけれど、どうしてもそこに戻ってしまうという状況がある。どこか矛盾したものを感じている。
 前々回では、かつては私の場所であった助手席が他人のものとなっており、前回の夢では大勢に囲まれている人の輪に入ることができなかった。どこか自分の居場所がないという感じの夢が続いた。
 それに比べて、私が怖いと思っている川にさえ、私のための居場所があるということは、なんだか救われたような気持ちである。どんな場所にも自分のための場所があるもので、そこの水が案外甘いのかもしれない。

<週を終えて>
(夢91)では、未知の女性と助け合う関係を築いている。この関係を築くことは、父親との関係において、私のポジションを失うことである(夢92)。
 その居場所のない感じや、人の輪の中に入れずに孤立した感じは、(夢93)において表現されている。(夢94)では、同じように孤立している感じはあるが、私が恐れているような場所にあっても、自分の居場所があるということが示唆されているようで、それだけが心強く感じられている。

(寺戸順司)