旧サイト版<夢の旅―18>

<夢の旅―18>

(夢78)「Yと飲みに行く夢」
(夢79)「上手くいかない荷物運搬の夢」
(夢80)「お腹がいっぱいになった夢」
(夢81)「二人の女性の夢」
(夢82)「古本屋にいる夢」
(夢83)「俳優と飲みに行く、並びに、父と仕事をする夢」
(夢84)「Sさんのジェスチャーの夢」
(夢85)「兄と意見が合わない夢」


4月19日(18日~19日)
(夢78)「Yと飲みに行く夢」
 知人のY と一緒にいる。彼とは行きつけの飲み屋で知り合ったのだ。私とYは、何かの義務から解放されて、一緒に飲みに行こうということになった。彼が先頭を走り、私が遅れまいとしてついて行く。着いた所は、店ではなく、コンクリートの橋の下だった。そこにホームレス風の人たちがたむろしていて、Yは彼らと一緒に飲むと言うのだった。私も仕方がないからYに付き合うことにした。あまり綺麗な場所ではなかった。
 私は電車に乗り、駅に戻る。最初にいた所に戻った感じだった。それも早朝の雰囲気で、同じく顔見知りのBと出会った。彼は仕事に行くところのようだった。

(連想と感想)
 YにしろBにしろ、どちらもある飲み屋で知り合った人たちである。前夜、たまたまその店の前を通りかかると、Bが独りで飲んでいたので、私は少しつき合うことにした。私たちには飲んでいる間は決して仕事の話をしないという暗黙のルールがあるのだが、昨夜は珍しく、Bが彼の仕事のことを話した。それはBが仕事を失うという深刻な話で、私は重い気分を抱えたまま家路についた。恐らくその感情が夢にも現れているのだろう。
 夢では、出勤するBとホームレスの対称が際立っているが、そういう形(つまりBがホームレスになっている)でBと会うことになりはしないかといった不安でもあるように思う。もっとも、私自身もいつ仕事ができなくなるかという恐れを持っているので、私の感情もそこには投影されているように思った。
 夢ではBではなくYと一緒であるが、Yは私とBとの共通の知人である。Bに対して重い気分を抱いていたので、夢では、Yが私とBとの間に立ってくれているかのように感じられた。


4月20日
 あまり寝ておらず、夢も見ず。


4月21日

(夢79)「上手くいかない荷物運搬の夢」 
 私は何かを運ぶというような仕事をしている。その場所に出向いて、荷物を運ぶというようなことをしている。ところが、各々の場所には、そこが開く時間が決まっており、それが私の仕事のタイミングと合わなくて難渋する。一つ運んでは、次の場所が開くまでの待ち時間が生じ、なかなか事がうまく運ばない。

(連想と感想)
 事がうまく運ばなくても、イライラした感じとかはなかった。むしろ、その状況を、どこか仕方がないと諦観しているような感じだった。
 カウンセリングの仕事も時間で決まっているのだけど、時々、クライアントの事情によっては、私の思う通りのスケジュールが組めないこともある。「クライアント待ち」の時間が日によってまちまちであることに、最近は困惑していることも多い。ある時にはそういう「待ち」時間がほとんどないようなこともあれば、次の日にはそういう「待ち」時間が何時間も空いたりする。急遽、時間の変更をしてくるクライアントもあれば、当日にいきなり入るクライアントもいて、予め決めておいた予定通りにはいかないことが多い。その困惑の感じが夢でも感じられた。


4月22日~25日
 夢のために時間を割くことができなかった。


4月26日
(夢80)「お腹がいっぱいになった夢」
 私は数人の仲間と一緒に、何か食べ歩きのようなことをすることになった。メンバーには、私の昔の友人や現在の知人がおり、クライアントも一名参加していた。私は、初めのうちは楽しく会食していたが、そのうちにお腹がいっぱいになり、苦しくなる。それでも料理が運ばれてきて、メンバーたちは「遠慮なく食べてくれ」と勧めてくる。

(連想と感想)
 夢のテーマは、とにかく一杯一杯になってしまって、それ以上入らないということだ。それなのに、周囲はもっと入れろと勧めてくるのである。勧めてくるのは、昔の友人(過去)と現在の知人(現在)とクライアント(仕事)である。私が何で一杯になっているかを夢は知らせてくれているようである。
 食べるということは、外側にあるものを自分の内側に取り込むことである。いろんなものが、現在、私の内側に詰まっているのを感じ、どこかこれ以上はもう入らないという限界のようなものも感じている。


4月27日
(夢81)「二人の女性の夢」
 何人かの人と一緒にバスに乗る。旅をすることになっているようだった。険しい道をバスが走っていたのを覚えている。
 休憩所か宿泊所にいる。私は横になっている。私のカウンセリングの師匠が特別に面接してくれるということになった。私は師匠に会いたいという気持ちもあったが、疲れていたのか、他の人を先に譲った。一人の女性が、心配そうに、横になっている私を覗きこんだ。私は大丈夫だというサインを送った。
 今度は、私が一人でバスに乗っている。かなり遠くまで来てしまったようだ。終点まで乗っていたようだ。それが最終のバスで、私は帰れなくなってしまった。女性が二人、同じようにバスに残っていて、一緒にバスを降りる。三人で朝まで過ごそうということになった。
 そのうちの一人の女性が、私が何か気にかけているように思ったらしい。私は、帰りの交通費のこととかを気にしていると答えた。すると彼女は、お金ならいくらでもあげるわよと言って、封筒を差し出した。封筒の中には結構な金額の紙幣が入っていた。私は、二人はどこかのお金持ちのお嬢さんなんだなと思った。
 彼女たちは、これから芸能人の友達を誘って飲むつもりだと言い、私にも一緒に行くように誘ってくれた。行く所もないので、私は承諾した。待ち合わせの店に三人で向かうと、まだ、その芸能人は来ていないということだった。もう少し、外で待つことにした。
 私は、ふと、電車ならまだ動いているのではないかと考えた。彼女からお金も貰ったことなので、途中まで電車で帰って、そこからタクシーで帰るなり、どこかで一泊するなりできるなと考えた。そこで、急いで駅に向かったが、結局、気が進まなくなり、彼女らの所へ戻って行った。

(連想と感想)
 夢は前半と後半の二段階に分かれている。前半では、道は険しいが、安定した旅をしている。師匠と会いたいとは思ったが、私は疲労のために会えずにいる。これは現実でもそうである。私は月に一回は師匠に顔を見せて、現在の私の仕事ぶりを知ってもらいたいと思っていたのだけど、今月は休んでしまった。もちろん、これは私が自分で決めたことなので、強制ではないので、今月は休もうとどうしようと、私が自分で決めればいいのだが。心配してくれる女性の存在には、どこか安心できるものがあった。
 後半では、道は安定しているが、旅そのものは不安定で、不規則で、行き当たりばったりのところがある。ここでも女性に助けられている。ただ、この二人の女性とは、どこか私とは住む世界が違っており、親密にはなれないという感じがあった。
 この女性たちとは、感情的につながっているわけではなく、金銭でつながっている。金銭でつながるということは、ビジネスの関係のように私には連想される。店員と客の関係というイメージがある。夢では、彼女たちは私にお金をくれたが、私は彼女たちと過ごすことを求められている。私は雇われたようなものだ。そういう関係なので、彼女たちとは親密になれなかったのだ。彼女たちには、感情的に動かされるものがなかったのだ。そこが、前半部に出てきた、心配そうに私を覗きこんだ女性と決定的に異なる部分である。
 前半の女性、感情的に動かされる方の女性とのつき合いは、険しい道のりを経験するが、過程そのものは安定しているのに対し、後半の女性、金銭だけでつながり感情的には隔たっている女性とのつき合いは、道のりは安易だが、過程が不安定であることを示している。そのどちらを私が望んでいるかということを、夢は私に問いかけているかのように感じる。


4月28日
(夢82)「古本屋にいる夢」
 私は父と一緒に働きに出ている。そこで、私は兄が失業したということを聞かされる。兄のことで、父と意見が一致する。
 現場に向かう道中、私は古本屋に寄る。そこは、本の他に、レコードやプラモデルなんかも置いてあり、別室でピアノ教室も開いていた。私は懐かしい本やドーナツ盤のレコードなどを見ていた。ちょっと珍しい、ヘーゲルの本、上下二巻揃っている本を見つけた。私はそれを手にとって、ぱらぱらとページを繰ってみた。面白そうだが、読むのに手間がかかりそうだと思って、元にあった場所に戻した。
 その後、何か重要な書類を手にしてしまい、それを隠さなければならなくなった。その建物の塔のような場所に登って、隠しに行く。
 家に帰る。兄が帰って来た。どうやら兄は遊びに行っていたようだ。それを父が叱る。兄はふてくされて出て行った。

(連想と感想)
 先月まで、父と兄とのいさかいが続き、私はなるべくそれに関わらないようにして傍観していた。四月に入って、一応、そのケリはついているのだけど、私自身に引きずっているものもあるようだ。
 何回か、父が兄のことで愚痴をこぼすのを聞いたことがある。あの父には珍しいことだった。兄はレストランを経営していたが、それがあまりにもひどいので、父が腹を立てていたのだ。この三月で、兄が店を閉めることにしたので、一応、この話には終止符が打たれた。だから、夢の中で、兄が失業したということと、兄のことで私と父との意見が一致したということも、すべて現実にあった出来事である。
 気がついたことは、兄が親の価値観から外れると、私と父との仲が良くなるということだ。兄と父との仲がいい間は、私は部外者でいられる。兄が道を外れると、途端に私がその関係の中に巻き込まれるという感じである。
 古本屋に寄るということは、私はその関係から距離を置こうとしたかのように受け止めることができる。古本も、レコードも、プラモデルやピアノも、すべて私が熱中したものばかりである。だから、どこかこの店は私の世界というイメージがある。だから、父と兄の関係に巻き込まれて、私は自分の世界に浸りたく感じている、彼らのいない世界に入りたいと強く望んでいるということを、夢から窺い知ることができるように思う。そして、その世界において、私は重要な物を隠しておきたいと思い、そうしている。それは父と兄との葛藤に巻き込まれたくない私の何かである。
 

4月29日
(夢83)「俳優と飲みに行く、並びに、父と仕事をする夢」
 私たちは集まって、お酒を飲みに行く。その中の一人が、俳優の友達がいるので、呼んでみようと提案した。そんな有名な俳優さんがこんなローカルな所まで来てくれるものかと、私は思った。場所が私の実家の近所だったからである。ところが、私の予想に反して、その俳優さんが来た。私たちは一緒に飲むが、その俳優さんが意外とつき合いやすい人だったので私は安心した。
 その俳優さんから、彼が出演したドラマのことを訊かれて、私は戸惑った。普段からドラマを見ないので、彼の話がさっぱり分からなかったからだ。しかも、実はそのドラマを見ていなかったということも言いにくかったので、私はとっさにお笑いコンビのネタを持ち出して、その場をやり過ごした。でも、彼には、私がそのドラマを見ていないということが見え見えだったようだ。その後、彼は仕事があるからと言って、先に引き上げた。
 場面が変わって、私は設備点検のアルバイトに来ている。大学かどこかそういう場所だった。トイレに行こうと思った。居酒屋で働くEさんと、トイレ前ですれ違った。彼女はこんな時間まで働いているのかと、私は頭が下がる思いがした。
 一階は女子トイレしかないようで、男子トイレのある三階へと上がる。トイレを終えると、その階のベランダのような所へ出る。たくさんの人がそこにはいた。停電しているにも関わらず、これだけの人が残って、勉強したり、クラブ活動をしているのかと思うと、早く復電してやらなければいけないだろうと思った。私は屋上の電気室へと戻ろうとするが、そこのベランダから螺旋階段が伸びており、それを使えば屋上に出ることができそうだった。屋上まで登ると、屋上をぐるりと旋回するように歩き、すでに作業を終えたキュービクルが見えた。作業員は向こうに待機している。私は少し点検してみた。変圧器のラジエーターが脆いようだ。触るとグラグラする。そこへ父がやってきて、その部分を見てもらう。父は「これはいかん」と言って、即座に締め付けるように言った。私は、それはやっておくから、父には送電のための確認に廻ってほしいと伝えた。

(連想と感想)
 夢の前半部は、(夢81)に通じるものがある。ここではその俳優さんと一緒に飲むということで話が進んでいるという印象を受ける。彼の出演しているドラマを見ていないと正直に言っても、彼は咎めたりしなかっただろうけれども、私はどういうわけか隠しておきたいと思っていたようである。彼は親しくしてくれているのに、私の方が不必要に気を使っているのであって、普段の人間関係でもこういうことがあるなと自分でも思う。
 後半で注目したいのは、父との仕事のことである。ここでの父との関係は、私には理想的に見える。お互いが信用して、役割分担しているのである。


4月30日
(夢84)「Sさんのジェスチャーの夢」
 どこか教室のような所にいる。ゲームか何かをすることになって、私はSさんとコンビを組むことになった。Sさんは私が好きだった女の子で、同じチームになったことが私は嬉しかった。ゲームは、Sさんが自分自身をジェスチャーで表現し、私がそれがSさんと一致すると言えば、勝ちで、違うと言えば負けるというものだった。私たちは、そのゲームで、とんとん拍子に勝ち進んで行った。ところが、彼女がお笑い芸人のネタをした時に、私はそれはSさんとは違うと答えてしまった。彼女は必死になって、そのネタをジェスチャーで繰り返すけれども、やはりSさんではないと答えた。私がそのように答えたことによって、私たちのチームは負けてしまったが、私はそれで良かったという気持ちになっていたし、Sさんもどこか安心しているようなところがあるのを、私は感じ取った。

(連想と感想)
 カウンセリングのワークショップで「他己紹介」ということを経験したことがある。それは参加者がランダムでコンビを組み、相手の話を聞き、質問等のよって話を引き出し、全員の前でその人を紹介するというものだ。その際に、相手が述べていないことを語ったとすれば、それは正しく聞いていないということであり、聞いたことに対して推測や解釈をかなり混入させているということになる。相手から正解を得るということは、相手の言ったことを正確に聞き取ったということを示すわけである。
 夢では、どこかそれに似た体験をしている。私がSさんのことを正しく理解していれば、それだけ正解率が高まるわけである。しかし、SさんがSさんではないことをやってしまっているということが起きている。私が理解しているSさんの方を信じるか、私が理解していないSさんがあるかもしれないと思うか、というジレンマに陥るのである。
 私は自分が知っているSさんの方を選んでいるわけである。彼女がお笑い芸人のネタをやるような人ではないと私は理解していたことになる。ところが私たちが負けてしまっているのであるから、私の理解が間違っていたということであろうか。つまり、彼女にはそういう一面もあるということであり、私がその一面を理解していなかったということだろうか。それでもSさんが嬉しそうだったのは、私のその理解の仕方が彼女には救いになっていたのかもしれない。
 正確に理解することにかけては失敗してしまっているが、正確であるということが絶対でもないのだということかもしれない。


5月1日
 夢を忘れる。

5月2日
(夢85)「兄と意見が合わない夢」
 どこかへ行くことになっていて、急遽、思い立って電車に乗る。休日のようで、私には特定の用事や約束はなかった。ホームに上がる階段で、私の前を歩く集団のためにスムーズに歩けなかった。そのために、私は電車に乗り遅れる。しかし、急ぐ用事もないので、一本遅らせることにした。
 電車から降りると、小さな中古レコード店を見つけた。品揃えはよくなかったが、けっこう珍しいレコードがあった。その中で一枚のサントラ盤が私の注意を惹いた。それはレコード5枚組で、その映画の全シリーズで使用された音楽が100曲収録されていた。値段は少々するものの、私は割とお買い得だなと感じた。
 そこにどういうわけか兄が登場して、彼は100曲も入っている訳がないと言う。それだけの曲数があるなら、一曲一曲が不完全な形でしか収録されていないのではないか、つまり、曲のさわりの部分だけを集めたダイジェスト盤みたいなものではないかというのが、兄の考えているところだった。
 私はそれでも買うことにした。家に持ち帰って、開いてみると、兄が考えていたような内容ではなかった。各曲はそれぞれ完全に収録されているようだった。しかし、私はそんなことに囚われなかった。というのは、その内容に引き込まれてしまっていたからだ。曲のタイトルを見ただけで、私はその曲がどの場面で使われていたかを思い出すことができたし、「この曲はきっとあれだな」などとタイトルから予想することが楽しかった。

(連想と感想)
 兄との関係において、どちらが正しいかということは、今の私にはまったく関心がない。子供時代においては、それは一大関心事であったのだけど、もはや私はその次元に生きていない。夢でもそれがよく現れている。兄の言ってることが間違っていて、私の考えていた方が正しかったわけであるが、そんなことにまったく囚われていない。むしろ、私は自分の興味や関心に集中できているように感じている。


<週を終えて>
 中断を挟みながらも、多彩な夢が現れていたように思う。父や兄との関係においては、変化しつつある部分が認められる。仕事に関しては上手くいかない部分というものも夢が知らせてくれるように思われた。女性との関係においては、葛藤もあるが、Sさんの夢のように、自分の思った方に従えばいいのかもしれないという示唆を受けた思いがする。友人関係については、YやBのように、何か重たいものを背負うような感じがある。


(寺戸順司)