旧サイト版<夢の旅―15>

<夢の旅―15>


(夢64)「卒業記録の夢」
(夢65)「三つの抗議する夢」
(夢66)「ふくらみ続けるガムの夢」


3月15日(3月14日~15日)
(夢64)「卒業記録の夢」
 私は自分の小学校の卒業式の記録を見ている。子供たちが文集を読み上げたり、大人の人たちがコメントを寄せてくれたりしており、それを録画した映像を私は見ている。自分を見るのは嫌だなと思いながら見ている。何人もの大人の人たち、それは親であったり、先生であったり、学校の職員であったりするのだけど、一人ずつ順番に印象に残った子供のことを読んでいく。ある大人の人が「○○君、君は先生が音楽の時間に課題曲を歌わせようとしたのに、あなたは最後まで歌おうとはしませんでした。そのために何日も立たされることになっても、それでも君は歌いませんでした。そこまで意地を張れるのは素敵なことです」と読み上げていく。私は、私よりも上には上がいるものなのだなと考え、自分に安心した。

(連想と感想)
 この人が読み上げている「○○君」というのは私のことである。私の場合、歌ではなく、授業中に発言できなかったという違いはあるが。それは小学校3年生の時だった。当時、私は自分でもよく分からないことが自分に起きているということが分かっていた。その一つに、突然言葉が出なくなるということがあった。授業中に先生からあてられて、答えようとする。すると、もう声が出ないのだ。しかし、その他の時間になると、喋れるようになっている。それで、授業中に声が出なくなるので、私は何日間も立たされてしまったのだ。
 20歳の頃、フロイトの本を読んだ。その時の衝撃はなかった。理論的なことはよく分からなかったけれど、そこには私のような症例がいくつもあるのだ。私は自分に起きていることが、実は説明することが可能であるということが分かって、とても救われたような気持ちになったのを覚えている。そして、自分自身がよく分かったような気持ちになったのも覚えている。
 夢では、私の症状は、大人の人からは長所のように評価されている。夢の中で、どこか私はそれを喜んでいる感じであった。子供時代と和解することが今の私のテーマだと思っていただけに、この夢はそれを達成しつつある印象を残している。そして、このように評価してくれる大人が当時いてくれたらという気持ちも覚えている。


3月16日、17日
 夢を覚えず。


3月18日
(夢65)「三つの抗議する夢」
 私はどこかの旅館のような場所にいる。温泉旅館のようだ。その旅館に、カウンターだけのちょっとした居酒屋があって、私はそこでお酒を飲んでいる。私の飲み物に、三匹ほどの小さな羽虫が入っているのに気がついた。私はそれを言おうか言うまいかで悩むが、思い切って言ってみた。「僕の飲み物に虫が入っているぞ」と。若い店員たちは、悪びれた様子もなく、「それはそんなものですよ」と言う。私は腹が立って、「よく、こんなものを客に出せるな」などと悪態をつく。しかし、店員たちは、謝るでもなく、先ほど同様に悪びれた様子もせず、「そういうものだから仕方がない」などと答える。私は怒った。
 恐らく、翌日になっていたのだろうが、私はその店の前を通る。少し覗いてみたけれど、何も変わっていないようだったので、私は店を素通りして、風呂に入ろうと思った。浴場に着くと、脱衣場が乱れているとか湯船まで距離があるとかいうことで、再び文句を言う。
 場面が変わって、今度は外にいる。グラウンドがあって、そこで女子野球のチームが練習をしている。グラウンドの一方の端にキャッチャーがいて、グラウンドの反対側から選手がボールを投げさせられている。相当な距離があるのに、中継を挟まずに投げなければいけない、そういう練習をさせられている。私は無茶だと思った。そんなことをしていると肩をやられると思った。しかし、部員たちは文句も言わずに投げており、また、ちゃんとキャッチャーまで届かせているのだった。

(連想と感想)
 飲み物について拘ることがあった。前日、映画「誰がために鐘は鳴る」を見ていた時、主人公のロバ―トが、隠れ家の洞窟の中でお酒を飲むシーンがあった。それは何にでも効く薬ということで、仲間のジプシーが一口すするのだが、とても苦いらしく、「こんなのを飲むくらいなら、病気になる方がましだ」と語る。私は、それを見ながら、あれは一体、何を飲んでいるのだろうと思った。そこで、随分昔に読んだヘミングウエイの原作を引っ張り出して、当該個所を探してみた。原作では、それがアブサンで、水に数滴垂らして飲むとあった。疑問が解消されて良かったと思って、眠りに就いたのである。
 飲み物の連想はともかく、この夢は私が抗議するというテーマが見られる。それも三つの場面でそれぞれ何らかの抗議をしている。最初は飲み物の件である。次は浴場のことである。最後は無理な練習をさせられている野球チームのことである。そして、それぞれの抗議に対して反応が帰ってきていない、つまり、私の抗議が聞き入れられていないということが共通している。
 客観的に見て、私がここでしている抗議は、何も間違ったものとは思えない。正しいことを言っているように聞こえる。正しいことを訴えているはずなのに、それが誰の耳にも届かないという、そういうジレンマがあり、周囲との間に壁を感じるのである。
 あるいは、このように捉えてもいいかと思う。もし、私が自分の言い分を相手に届かせようとするなら、夢でやっているようなやり方ではダメなのだということである。私自身の表現を工夫しなければならないのかもしれない。


3月19日
(夢66)「ふくらみ続けるガムの夢」
 百貨店のような所にいる。割と人で混雑していた。私は欲しいものなんてなかった。だから帰ろうとする。エスカレーターで降りなければいけないけれど、そこに辿り着くまでに、人混みやら、所狭しと並べられた商品の間を通らなければならなかった。
 外に出る。ガムを口に入れる。それは口の中で膨らんでいき、しまいには口中にいっぱいになった。私はそれを吐き出す。お餅のような粘りがあり、塊を捨てても、口から糸を引いている。何とか噛み切るが、歯の裏や口の中に破片がこびり付いており、それを噛むと、再びそれが口の中いっぱいに広がっていった。

(連想と感想)
 目覚めた時、口の中に気持ち悪い感覚が残っていた。夢の中のガムは、例えば歯の裏側に少しでものこっていたら、そこから膨張していき、またたく間に口の中がいっぱいになってしまう。口から出しても、何らかの破片が口の中にこびり付いて残り、そこからまた口いっぱいに膨張するのだ。それは完全に私の中から外に出されることはなく、粘着的に私の口内に留まり続ける。
 ガムで口の中がいっぱいになって、どういうことが起きたかと言うと、喋れなくなるということである。私は飲み込むことも吐きだすこともできないもののために言葉が出せないのである。しかもそれは粘着的に私にこびり続けている。
 前回の夢が、私が抗議しても誰にも聞き届けられなかったというテーマだったのに関連して、今回は私の口が塞がれていて、何か喋ろうにもどうすることができないでいる。前回が、割と自由に文句を言えたのに対して、禁止が働いたのか、口を塞がれている。文句を言う自分に罰を加えているかのように思われた。前回のように抗議ができるなら、混雑した店内や所狭しと陳列された商品のことで文句を言っていただろう。前回とは違って、心はそれを許してはくれなかったかのようである。


3月20日、21日
 両日とも夢を忘却する。どうも周りが忙しくなって、夢への関心を維持できないでいる。


<週を終えて>
 今週は夢が三つだけである。(夢64)で、こういうふうに私も評価してほしかったという気持ちが現れて、現実ではそうではなかったということで抗議したくなっていたのかもしれない。(夢65)では、何かにつけて、私が文句をつけている。私の声は聞き届けられていないが、一方で、私が文句を言うのを妨げるものもない。(夢66)では、それに対しての禁止が働き、私は何も言えない状態に追い込まれているようだ。

(寺戸順司)