旧サイト版<夢の旅―12>

<夢の旅―12>


(夢50)「逃走犯の夢」
(夢51)「不思議な町の夢」
(夢52)「先回りして登山する夢」
(夢53)「主人の嘔吐物の夢」
(夢54)「タクシーでお酒を飲みに行く夢」


2月1日(1月31日~2月1日)
(夢50)「逃走犯の夢」
 中学校の校舎。私は一階の教室の窓際の席に座っている。外を見ると、中庭を挟んで、向こうの校舎が見える。向かいの校舎の三階に、犯罪者が隠れている。窓からその男が見える。警察は、その隣の教室を捜索中だった。犯罪者は、まだ当分は発見される心配がないと信じているのか、余裕の顔つきをしている。私は彼と目を合わせないようにした。
 警察が隣の教室(犯罪者が隠れていた教室)の捜索を始めたようだった。犯罪者は一階に下りてきて、中庭に駐車してあった車に乗り込んだ。車が動き始める。私はナンバーを覚えようと思いついた。犯罪者は逃走した。私は覚えたナンバーを書き写そうとするが、うまくできない。数字がどこでどう区切られていたかがわからないのだ。すると、隣の席の人が、車のナンバープレートだからこんな風になっていたのではないかと、私の書いた数字をナンバープレート様に書き直してくれた。それはまさに私が見たナンバープレートだった。
 その後、私は家路につく。大きな荷物を乗せた台車を押している。高校時代の友人だったM君と会った。彼はまだ現役のアスリートだった。彼はまた一緒に走ろうと私を誘ってくれたが、今の私には無理だと答えた。

(連想と感想)
 私の通っていた中学校は、実際に三階建ての校舎だった。私が今働いているカウンセリングルームも建物の三階にある。三階に潜む犯罪者は私自身かもしれない。カウンセリングをしていて、果たしてこれで良かったのだろうかと思い悩むことも多く、後悔や罪悪感に襲われることもしょっちゅうである。以前のクライアントのことを思い出したり、面接のテープを聞きなおしたりしていると、私は彼らの役に立ったのだろうかとか、彼らを苦しめたのではないだろうかという思いに襲われることもある。ビルの三階の一室で、罪意識に苛まれる私と、校舎の三階に身を潜める犯罪者と、それほど違いがあるようにはどうしても思えない。
 その犯罪者を私は見ている。客観的に自分を見ようとしているのか。しかし、夢の中の私は犯罪者と目が合わないようにしている。客観的に自分を直視することは難しいし、かなり苦しい作業である。
 ナンバーを覚えるが、再生できない。犯罪者の逮捕に協力しようとするが、一方で、彼を逃がそうとしているのかもしれない。目覚めた直後は、この数字を正確に覚えていたのだけど、少し時間が経つと、忘れてしまっている。それだけ私にとって印象深いナンバーだったようだ。
 ここのM君は、かつて夢7(昨年の11月24日)で触れたM君である。前回は考えただけであったが、今回ははっきりと夢の中に登場している。また、家路につくその光景は、小学校時代の通学路だった。M君は今でも現役のアスリートで、高校時代と変わらない生活を送っているようだ。もちろん、現実のM君は、それから20年経っているわけだから当然変わっているはずなのだが。ここでは私のM君に対する内面的な関係は当時のままであるということのようである。夢の中で彼はまた一緒に走ろうと誘う。昔に戻ろうと誘っているようである。それを拒む私は、もはや以前の自分には戻れないということがちゃんと分かっているようにも受け取ることができる。


2月2日
 徹夜で仕事をしていたので、夢はなし。


2月3日
 前日は一睡もしていなかったので、ぐっすり眠ろうと、久しぶりに8時間ほど寝る。しかし、夢は覚えていない。見たという感覚もない。


2月4日
(夢51)「不思議な町の夢」
 不思議な町にいた。外国風の街並みで、石畳の道路。小学生くらいの子供たちがパレードをしている。祭りか何かのような雰囲気で、とても賑やかだった。しかし、その街には「誰とも目を合わさず、会話せず、交わらず」といったスローガンが掲げられていた。
 私は部屋の中で服を脱いだ。かなり太ってきたことに気付いた。体型のことはそれほど気にはしていないけれど、ちょっと醜い太り方だなと思った。カエルのようなお腹をしていた。少し引っ込めてみたりしたけれど、意味がなく、みっともないことに変わりはなかった。

(連想と感想)
 誰とも交わらないというスローガンが掲げられている。私自身、人と関わることが時々苦痛になるが、そういう時は夢の中に出てきたようなスローガンを掲げたくなる。そうして他者を締め出して、自分を守りたくなる。しかし、夢の中では、お祭りの雰囲気があり、子供たちがパレードしているなど、とても活動的なエネルギーに溢れている。他者と交わらない人々だけど、死に絶えているわけでもなさそうだ。
 体型のことは、前日に、実際、お腹が出てきたなと気づいた。それで、もっと体のことも気にかけなくてはと考えた。夢でもそれが現れているようである。


2月5日
(夢52)「先回りして登山する夢」
 マラソン大会、登山大会のようなものに参加する。参加者が一斉にスタートする。最初は整列して走る。休憩後、各々が好き勝手に走り始める。遅れてはいけないと思い、私もかなり速い速度で走る。
 どこかの駅舎のような建物の中で、みんなが休んでいる。「みんなについて行かなければ、僕は道がよく分からなくて」と、私は弁明する。すると、一人の中年男性が、自分はコースをよく知っているから、タクシーで登山口まで先回りして行こうと言った。彼は一度登ったことがあるらしい。建物の外に出ると、彼がタクシーを拾う。私も一緒にタクシーに乗る。方向からして、嵐山に近い所のようだ。
 登山口に着く。ここでみんなを待とうと彼は言うが、私は先に行こうと提案した。私と彼は積雪の山道を歩く。山の中腹に、しっかりした作りの山小屋があった。そこに泊ることにした。小屋の中には何人かの人たちが既に入っていた。映画を見たりして寛いでいた。私は後に残してきたメンバーのことが気になり始めたので、ちょっと戻ってみると言って、山小屋を出る。
 最初の場所に戻ると、他の連中はそこでダラダラと球技をして遊んでいる。やる気がないのだろうかと訝った。私の側で、メンバーの二人の女性が取っ組み合いのケンカを始めた。私は彼らから離れて行った。

(連想と感想)
 前回の夢51では、整然としたパレードだったものが、ここでは無秩序な競走になっている。一人一人が自分勝手に行動している。私もその中の一人になっている。何か私の中に乱れが生じているように思う。
 夢では、私は道を知らないことになっており、だから必死になってみんなについていかなければならなかった。そこに道を知っているという男性が現れてタクシーで先回りするわけである。前回のM君もそうだったが、私の一歩先を進んでいて、私の目標というか理想というか、先導してくれる存在を求めているのかもしれない。自分一人で道を切り開いて進むのは困難が多いので、先に行ってる人につき従いたい、そういう人を道しるべのように頼りたいという気持ちが働いているようだ。
 夢の中の山は雪が積もっていて、きれいだった。誰もまだ足跡をつけていないようだった。以前はよく山を登っていて、雪山にも入ったことがある。別世界のようで、とても印象深かった。単独行の登山なので怖くもあったが、素晴らしい光景にも出会うことができた。今は登山をしなくなった、出来なくなってきたので、夢で見てしまうのだろう。
 山小屋に落ち着くも、残してきた人たちのことが心配になる。どこか彼らを見捨てておけなかったのだ。戻ると、彼らは自分勝手に楽しみ、ケンカまでしている。これは子供の部分のようだ。前回の夢では、きちんと並んでパレードした子供たちが登場したが、今回の夢は統制が利かなくなっている感じである。それが今の私の課題になっているのかもしれない。


2月6日
(夢53)「主人の嘔吐物の夢」
 私は一人で誰かを待っているようだ。しかも、待ちながらネットで何かを検索している。こういう生活は良くないなと思っている。そうこうしているうちに主人らしき人が馬車に乗って帰って来た。主人は外国人で、貫禄のある中年男性だった。私はその人が家に入るのを手伝う。ビニール袋に入った緑色の物体を彼から手渡される。それは彼の嘔吐物で、私はその始末をしなければならなかった。その時、一人の女性がやってきて、その嘔吐物をくれないかと頼む。私は、これは別に捨てるものだからと思って、その女性に手渡す。
 その後、私は上着を取り戻しにいくことになった。馬車に乗って行く。道中、小屋みたいなところがあり、そこに寄る。そこはトイレでもあった。入ると、異形の男女がセックスをしていた。

(連想と感想)
 少々グロテスクな夢だった。特に印象深いのは、主人の緑色の嘔吐物である。これを私は手渡されるのである。これは本来私が処理しなければならないものだったのだが、私は求められるままに、それを一人の女性に手渡す。他人の汚いものはできるだけ持っていたくないということであり、他人の汚い物を抱えることができなくなっているのだと思う。
 これは余談だけど、私はラグビーやフットボール、サッカーといったスポーツが大嫌いである。ああいうスポーツは、自分が危なくなれば適当に味方にボールを渡してしまえば自分は助かるのだ、というように見えてしまうのである。もちろん、これは私の個人的な偏見である。しかし、生きていれば、誰かにパスするということができないような事柄を抱え込むものである。誰にもパスすることができない事柄は、自分で抱え、処理していくしかない。私自身、誰かにパスできたらいいなと思う事柄はたくさん持っている。ましてや、カウンセリングという仕事は、クライアントは自分の抱えている汚いものを私にパスしてくるのであり、私はそれを受けなくてはいけないと自覚しているのであるが、やはりそれが苦しい時もある。この夢のように、誰か代わりにそれを受け取ってくれる人が現れて、その人にパスできたらいいのにと思うのである。
 夢では、私は自分が処理しなければならない汚物を、女性にパスしている。それも女性の方から汚物を貰いにきている。もし、私が一方的に汚物をその女性にパスしたのであれば、私は罪悪感に襲われるだろう。私が押し付けたのではなく、向こうから貰いに来たのだという形にすることで、私は自分が経験するはずだった罪悪感を免れている。夢はより安全な手段を取っている。
 その後で、私は自分の上着を取り戻しに行くことになった。上着から連想するのは、それは常に下に着ている物を覆い隠し、同時にもっとも人目につく物、他人に見せるための物である。上着というのはそういう存在であると私はイメージする。自分が処理すべき汚物がなくなれば、もっと外に目が向けられるようになるのかもしれない。


2月7日
(夢54)「タクシーでお酒を飲みに行く夢」
 友達とお酒を飲んでいる。私だけ帰ることになった。タクシーに乗る。行先は阪急電車の西院駅までと伝える。タクシーの中で眠ってしまったらしく、目が覚めると、家の近所を走っていた。私はわざと家の前を素通りするようにタクシーの運転手を誘導する。家の前で家族が立っていた、世間話でもしているのだろう。私は見つからないように、シートに深く横になる。隣の町まで行くと、タクシーを止めてもらう。そこに屋台の飲み屋みたいなのが出ていた。私は運転手を誘ってビールを飲む。

(連想と感想)
 前日は、お酒を飲みたいという誘惑に負けて、一人で飲み屋に入った。それまで葛藤していたのだけど、飲みたいという気持ちの方が勝ってしまった。自分の意志の弱さに、自分でも嫌になる。
 夢では、現実の続きのようにしてお酒を飲んでいる。
この駅に関しては、最近、現実に車で送ってもらった経験がある。その人は奈良まで帰るのであるが、私は途中の西院駅で降ろしてもらった。西院駅というのは、私が通っていた高校と大学に近く、当時はよく利用した物だったし、現在では兄がこの近くに住んでいるので利用することもある。私の中では、あまりいい思い出のある駅ではないことは確かである。
夢の中のタクシーは、その駅を通り越して、私の実家の近くまで来ている。家族が家の前にたむろしていたが、私は見られないように身を隠す。実際、私は酔っぱらっている姿を親族に見られたくないと思っている。親族に限らず、親しい人にも、私がお酒に酔っている姿を見せたくないのである。


<12週目を終えて>
 先週は、どこか強さが戻ってきたという感じがあった。その感じが手伝ってのことか、今週は七日中五日も夢を見ている。夢を見なかった二日のうち、一日は徹夜作業のためだったので、実質的に夢を忘れたのは一日だけである。夢を見ることにも、心の強さが関係するのかもしれないと思うようになった。気持が弱っている時は、夢を忘れることも多くなるのかもしれない。

(寺戸順司)