<9-7A>親は間違ってしまう

<9-7A>親たちは間違ってしまう

 私たちは何よりも人間であります。親も人間であれば、子供も人間であります。人間であるが故に、私たちは間違いを犯し、失敗することもあります。
 親も人間であるので、子供に対して、間違ったことをしてしまうこともあります。子供もまた人間なので、親に対して間違ったことをしてしまうこともあるのです。間違ってしまうことに対して、私たちはその人たちを責める権利を持たないのです。これを平気でやってのける臨床家もおられるように私には思われるのですが、私にはその人たちの気が知れないのです。
 親が子供に対して間違ってしまうのは、単に、親に知識がなかっただけであったかもしれませんし、間違ったことを教わってしまっただけかもしれません。その状況がそうさせたという部分もあるでしょう。親が間違ったことをしたからと言って、その全責任が親にあるという発想は極めて幼稚であるように私には思われるのです。
 当然、同じことが子供の側にも言えるのです。子供が間違ってしまうのは、子供が無知であっただけであるかもしれないし、間違ったことを正しいと教わってきたためであるかもしれません。その時々の状況がそうさせているだけであるかもしれません。子供が間違ったことをしたとしても、その全責任が子供にあるとも証明できないのです。
 結局のところ、私たちはお互いにそれを許しあうことになるのです。相手と良好な関係を維持していこうと欲するなら、お互いの間違いに関しては寛大になる必要があるのです。叱責したり、怨恨を抱いたりしたところで、それで関係が変わるわけでもないのです。

 それに加えて、何が正しくて何が間違っているかさえ、私たちは本当には知らないのです。子供に対するある行為が正しいものであるか、間違ったものであるか、本当には分からないことが多いのではないかと思います。よほど極端な行為でない限り、その正否は証明できないのです。
 結局のところ、目標に対してそれが正しいか間違っているかとしか言いようがないのだと私は考えています。子供をどういう人間に育てたいか、子供にどういう人間になってほしいかという目標と照合しない限り、その子育てが正しいか間違っているかは判断できないことだと私は思うのです。
 もし、子供に節度のある人間になって欲しいと願うのであれば、子供をあまり自由奔放にすることは間違ったことになります。しかし、子供は自由な人間になってほしいということであれば、子供が自由奔放にしていることは正しいということになるのです。
 子供に優しい人間になってほしいと願うなら、子供に暴力を振るうことは間違っているということになります。でも、子供はどんな戦場にも生き残り、敵軍の捕虜になって、どんなに拷問を受けても軍の機密を漏らさないような軍人にしたいと欲するなら、ビシビシと子供に手を上げることは正しい子育てということになるのです。
 私はそのように考えています。あなたが問題を抱えているとみなされる子供の親であるとすれば、あなたの間違いは、子供に問題が起きているという部分にあるわけではないのです。子供がこんな人間に育って欲しいとあなたが望んでいることに関して、それに反するようなことをしてしまっている部分に、あなたの間違いがあるということになるわけです。
 大抵の親は子供に対して間違った希望を持っていないのです。親が子供にこんなふうに育って欲しいと願っていることは、大抵の場合、間違っていないということであります。悪い人間になってほしいとか、平気で他人を蹴落とせる人間になって欲しいとか、欲しいものがあれば他人からぶん取る人間になってほしいなどということを欲している親は、少なくとも私がお会いした限りでは、皆無でありました。
 親は、いわゆる「目標」の部分では間違っていないのです。その目標に至る「手段」の部分で間違ったことをしてしまうことがあるというわけです。その「手段」は「目標」に至るものであれば正しいということになり、「目標」に反することであれば間違っているということになるわけですが、「目標」が正しいものであれば、「手段」の誤りはそれほど致命的なことではないと私は考えています。
 あなたがそういうことをしてしまったとしても、あなたはそれと気づかずにそれをしていることでしょう。もし、あなたがそれを意識化できていれば、あなたはそれを回避していたでしょう。あなたは、ただ、十分にそれを意識していなかっただけであり、気づいていなかっただけなのです。

 当の子供はそれを信じないかもしれませんが、多くの親は子供を育てる資質を持っておられるのです。そして、子供が思っている以上に、さらには親自身や専門家が思っている以上に、親は正しいことをしているのです。多くの場面で親は間違っていないのです。私はその点はきちんと押さえておきたいのです。
 もし、親が本当に人の親として不適格な人間であれば、その子供は三歳までも生きられなかったことでしょう。現実にそういう親もおられるのですが、当然のことながら、私がカウンセリングの場でお会いする親たちはそのような人たちではありません。私がお会いする親たちは、少なくとも20年、30年と子供を育ててきた歴史があるのです。20年、30年、時には40年といった長期に渡って、子供を抱えてきた親が親として不適格であるはずがないのです。
 親は親としての資質があり、多くの場面で正しいことをしているのですが、時折、間違いを犯してしまうのです。知らず知らずのうちに間違ってしまい、時には、親自身がそれに気づいていないということが起きるのです。
 しばしば、子供がそれを指摘していることもあるのです。親が間違ったことをしたということを、子供は親に知らせるのです。ただ、それは親にはわかりにくい形で提示されたり、親に受け入れがたい形で提示されるので、親はそのサインを見過ごしてしまうということも起きるのです。
 くどくどと綴っておりますが、絶対に誤解のないようにしたいのです。私はここで親の間違いを指摘して、親に責任を問うとか、そのようなことをするつもりはないのです。もし、そのように思えるということであれば、すべて私の表記の問題であります。そうではなく、子供がどういうことをしているのか、どういうサインを出していたかを、もう一度振り返って確認していこうという提案をしたいわけであります。親と子の間でどういうことが起きているのかをきちんと見ていこうと提案したいわけなのです。そのためには、親がどういう場面で間違ってしまったのかを確認し、理解しておくことに意義があると私は思います。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)