<9-2B>親になること

<9-2B> 親になること

 前項では親カウンセリングに関する私の原体験を綴りました。私はそれを常に意識しておこうと決心しています。そうでなければ、私はF先生への報復のために親カウンセリングに過剰なほど熱心に取り組んでしまう恐れがあるからであります。
 過去に苦い経験もあったとは言え、私はカウンセリングを受けに来る親を純粋に援助していきたいと今では考えています。それにはいくつかの問題点が私の方にもあることは確かであります。また、親カウンセリングについて知ってもらうために多くの前提を述べなければならないことも確かであるように思われています。この<9-2>節ではその辺りのことを中心に取り上げていくことにします。

(一度きりの経験)
 親になるということは人生に一度きりの経験であります。親になるまでに親経験をしている人は誰もいないのです。子供が生まれ、親になり、その一度きりの経験が続いていくのであります。
 親になって子供を育てるという経験は、親になっていきなり学ぶものであるかもしれません。大部分の親はそれ以前に子育てを経験していないのです。だから、親も時には間違ってしまうのです。親が間違ったとしても私たちは誰もそれを責めることができないと、私はそのように考えております。
 親になることは、夫婦になることも同様に、誰も教えてはくれないのです。ただ、それぞれの親が経験してきたものが頼りにされているだけなのです。自分の経験がかなり頼りにされている領域ではないかと私は思います。その中には、間違って学んでしまったことだってあるでしょう。
確かに先人たちの知恵も活用できますし、多くの育児書の類が出版されてきました。そういうものを通して学ぶことも多少は可能であるとは思います。
 しかしながら、育児書がどれほどあろうと、我が子の育児書は誰も書くことができないのです。あなたの子供一人のために書かれた育児書は存在しないのです。育児書が参考にされることはあるとしても、各々の親は我が子の子育てを、それこそ手探りで学んでいくことになると私はそのように考えています。
 そのようにして、どの親も試行錯誤をしながら子育てをしてきたのだと私は思います。正直に申し上げれば、私にはとてもできないことだと自分で信じております。それほど困難な仕事はとても自分には無理だと考えています。だからでしょうか、どの親も素晴らしい一面があると私には感じられるのです。
 そして、親と子供は生涯続く関係なのです。仮に一方が他界しても、他方の心の中でその関係が維持されていくのです。決して終わることのない関係なのです。その場限りの関係とか、期限付きの関係とは違うのです、一生ものの関係を親と子はお互いに築いていくのです。
 親になるとは、我が子とそういう関係に入っていくことであります。いつか終わりが来るカウンセリングの関係とはまったく違う関係であるように私は思います。その重みを考えると、私にはとても親になる勇気が持てませんでした。

(親も間違える)
 人間は完璧ではないので、意図していなくても知らず知らずのうちに間違ったことを学んでしまったり、望ましくない選択をしてしまったりすることもあります。親もまた人間なので、人間であるが故の誤りをしてしまうこともあります。
 親が間違ったことをしたからと言って、即座に親として失格であるとか、毒になる親であるなどと短絡的に考えるのは禁物であります。そのような考えは親をさらに傷つけ、親子双方に悪影響、悪循環が生まれることになりかねないと私は考えています。少なくとも、その理論は親子の関係を、悪化させるとまでは言わなくとも、双方を傷つけ、双方の生と関係を停滞させることにつながると私は思うのです。
 確かに、精神的に大人になっていない親という人もあるのは私も認めるのです。親になるまでに、人は多くの発達課題を経なくてはならず、人生上の諸問題を処理できていなければならないのです。それらを十分に終えないまま親になってしまったという人もあると思います。それでも、その親に「問題がある」と決めつけることもできないのです。親になるまでの過程には多くの困難が付随してくるので、どこかでつまずいてしまったり、克服できない課題を引きずってしまうこともあるでしょう。それはその人の問題であるだけでなく、課題そのものが大きいという点も考慮しなければならないところであると私は考えています。
 困難な課題であるために間違えてしまうこともあるのです。私はこの観点を子供も専門家も持つ必要があると考えています。

(関係が良くなる)
 親と子の一方もしくは双方が問題を抱えてしまうと、親子関係が悪化する傾向があります。親子関係が良くなるというのは、親子が仲良くなるということでもあるのですが、それだけではないのです。
 良好な関係というのは、相手の過ちに対してお互いに寛大になるということなのです。親子が友達のように仲良くならなくても別に構わないことであります。それよりも重要なことはお互いに対する許容度が高まるということであると私は考えています。
 間違ってしまう相手を許すこと、間違ってしまう自分を許してもらえること、この経験が親子の間で生まれることなのです。
 このことは言葉で言うのは簡単なことですが、実現することは難しいのです。双方に過去のわだかまりがあったりするからであります。これが解消されることもまた親カウンセリングの一つの課題であると私は考えています。

(不安と罪悪感)
 カウンセリングを受けに来る親たちは、自分たちの子育てがどこか間違っていたのではないかという自覚をされている方も少なくありません。親に罪悪感が生まれ、そこから不安に脅かされている親にお会いすることもよくあることです。
 この感情はそれを経験している当人には辛いことであるとお察しするのですが、私から見るとむしろ安心したくなるのです。罪悪感を覚えているということは、その親は反省や内省が可能であり、それだけの成熟をされていると思われるからです。さらに言えば、こうした罪悪感や不安が親を行動に駆り立て、時にはどんなことでも試みようという気持ちを喚起させることもあるように思われるからです。
 もし、こうした感情を経験することのない親がいるとすれば、私から見ると、本当にその人は親として生きてきただろうかと疑いたくなるのであります。一例を挙げましょう。
 子供がある問題を抱えています。この子供が私のクライアントであったのですが、この人の母親は「あんたは育児書通りに育てた」と主張するだけなのです。つまり、育児書通りにしたのだから、母親は自分は間違っていないと信じられるし、罪悪感に襲われることもないのです。問題が生じているのなら、それは子供の側にあるものであり、自分は関係がないということをこの母親は言っているわけなのです。
 この子供からすると、母親は自分が正しいか間違っているかだけを気にしており、子供が苦しい時にさえ育児書を紐解くだけで、子供に付き添ってくれるわけではなかったのでした。分かりやすく言えば、役割とか技法としての母親が体験されていただけであり、人格としての母親をこの子供は体験してこなかったということなのであります。だからこの人はいつも孤独だったのであります。
 この母親は決して子供のことで罪悪感を覚えることもないでしょう。不安に駆られることもないでしょう。そうならないために育児書通りにやってきたのかもしれません。
 親が不安や罪悪感を抱えることができているからこそ、親は子供のことでカウンセリングを受けに来ることができるのです。私はこの点を特に強調しておきたいのです。不安や罪悪感を回避したがる親は、実はカウンセリングを受けに来ないのであります。上述の母親は決してカウンセリングに姿を現すことがないのです。

 まとまりのないまま綴ってきました。少しだけ本項をまとめておきます。
親になること、子供を育てることは、かけがえのない経験であると同時に多くの困難を伴うものです。その中で親も間違えることもあるでしょう。間違えたからと言って親を責めることは誰にもできないことであります。また、そのことで不安や罪悪感を抱いてしまう親の方が親としてきちんと生きているのです。そういう親たちがカウンセリングを受けに来られているのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)