<8-3-4>自由の代償(4)

<8-3>自由の代償(4)

 現代の夫婦は、例えば50年前の夫婦と比べると、いくつかの領域で自由が増したと言えそうです。いくつかの領域で拘束力が弱まっていると思うのです。世間的な拘束力が弱化したおかげで、私のような独りもんでも白い目で見られることはなくなりましたし、宗教的な拘束力が弱化したおかげで結婚が絶対的なものではなくなりましたし、男女平等の運動は男女とも多様な生き方を許容する方向へと進んでいると言えるでしょう。
 社会が変わってくると、望ましいことや好ましいことも増える一方でその代償も支払わなければならなくなります。外的拘束力が弱化したおかげで自由が増えた一方で、その拘束力が代行してくれていたことを自分たちで達成していかなければならなくなったのであります。

 団塊世代の人たちは今の夫婦を見てこんなことを言うことがあります。「今どきの若い夫婦は辛抱が足らん。辛くなると簡単に離婚してけしからん」などと。
 団塊世代のこの人の言うことにも一理あるとは思うのです。彼らはかなり辛抱してきたのでしょう。ただ、この人の言うその辛抱とは、夫婦に関してのものではなく、外的拘束力に対してのものであるかもしれません。彼らが何に辛抱してきたのか、彼ら自身にも分かっていないということも考えられるでしょう。
 また、若い夫婦は辛抱が足りないという説も、一部は賛成できるのでありますが、彼らは彼らなりの辛抱があり、その辛抱は団塊世代がしてきた辛抱とはまた違うのかもしれません。生きている時代が異なるのです。夫婦を形成した時代が違うのであります。団塊世代が夫婦を形成し、夫婦でやっていくことと、今の世代が夫婦を形成し、夫婦でやっていくことと、両者はまったく違った問題に直面しているのであります。そんなふうに考えていいと私は思うのです。

 さて、本節の締めくくりをしておきましょう。私がここで述べたいことは、時代の移り変わりが速くかつ激しいので、親世代と子世代とでは夫婦は違った形を取らなければならなくなっているということなのであります。
 それは端的に言えば、子世代の夫婦は親世代の夫婦をモデルにできないのであります。親世代とは生きている時代が違うのです。
 ある若い夫婦がいるとします。彼らは自分たちの親夫婦を見て育ってきました。この親夫婦が手本にならないということなのであります。また、若い夫婦が直面している問題に対して、親夫婦は手助けすることもままならないのであります。というのは、親夫婦が経験したことのない問題を子世代の夫婦が直面していることもあるからであります。
 問題ということを抜きにしても、親世代と子世代との時代の隔たりは大きいので、親を手本やモデルにできないのです。つまり、夫婦の間で、親たちが普通にやっていたことを子世代はやってはならず、親世代がやってこなかったことを子世代ではもっと積極的にやっていかなければならない、そういったことが増えるのであります。
 親世代の「常識」は、少なくとも一部は子世代の「非常識」であり、親世代の「非常識」が子世代の「常識」になることもあるのです。例えば、結婚して10年20年経っても新婚時代のように愛情表現することは、親世代では「非常識」に映るかもしれませんが、子世代ではそれが「常識」になるのです。夫婦の性交渉は、親世代の夫婦であれば若いころの一時期に持たれるものであり、熟年になってするものではないという「常識」があるかもしれません。しかし、実際に私はこの人を知っているのですが、60歳前の夫婦が何十年ぶりかでセックスをしたと言うのです。彼は「良かった」と言っていたのですが、今の世代の若者たちはこの夫婦を「異常」とも「非常識」とと評価しないのではないかと私は思います。団塊世代の人たちなら、そんな年になって嫁とセックスするなんて恥ずかしいことだなどと評価するかもしれません。

 私の印象では、夫婦に関して「標準」「スタンダード」と呼べるものが消失しつつあるように思うのです。外的な基準が弱くなっていくので、夫婦たちは自分たちで自分たちの「標準」を作っていかなければならなくなるのです。「指針」となるような標準もなく、且つ、親世代はモデルとして参考できる部分が少なく、そのため夫婦は自分たちで手探りで暗中模索しながら、試行錯誤も繰り返しながら、自分たちで夫婦を作っていかなければならないわけであります。
 私はそのように思うのですが、これを読んでいる人の中にそれがどれほど厳しいものであるかを理解できている人は少ないのではないかと思います。外的拘束力などがなくなればなくなるほど、結婚していることの意味(同じく離婚したことの意味)を問われ続けることになるのです。離婚してはいけないから夫婦でいるのだといった、昔の当たり前が通用しないのであります。夫婦でいることの意味や価値を、今の夫婦は自分たちで見出していかなければならず、また、日々その問いに直面しているのであります。結婚は生半可なことではないのであります。

 上手くいかない夫婦たちは、あくまでも私の個人的印象なのですが、結婚とか夫婦ということを甘く見過ぎているのです。軽く考えすぎなのだという気がしています。親世代以上に厳しいことなのに、親世代と同じような感覚でいる人たちもおられるのです。
 世間とか宗教とか男女の地位とか、そうした方面の拘束力が弱まったために、夫婦は自分たちの力で夫婦を維持していかざるを得ないのであります。夫婦生活は受動的に与えられるものではなく、また自動的に維持されていくものでもないのです。
 結婚して、夫婦になったから、後は安泰だというわけにはいかないのであります。夫婦でいるためにはお互いの日々の努力も欠かせないのであります。夫は「妻というものは黙って夫に従うものである」などと信じてはならず、妻もまた「夫がすべて自分を養ってくれる」などと信じてもいけないのであります。双方が夫婦に参加し、弁証法的に夫婦を創造していかなければならないのであります。
 私は現代の夫婦は非常に厳しい状況に置かれていると、そのように感じています。夫婦が失敗しても、その失敗を夫婦だけに帰属させるわけにもいかないとも思うのです。困難な状況で夫婦を維持していくわけなので、上手くいかない人たちが現れるのも当然であるように思うのです。

 以上で本節を終わりにしましょう。十分に内容が整わないまま記述したので散漫な内容になったかもしれません。丁寧に推敲する間もなく公開していますので、読みにくい個所も多々あったことと思います。
 いくつか言葉足らずだったところや説明不測だったところ、あるいは補足したかったことなどがあれば本節の補遺で補うことにします。

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)