<8-2B>持ち込み合う関係

<8-2B>持ち込み合い、引き出し合う関係

 結婚して夫婦になると、夫も妻も自身の過去経験を想起する機会が増えるのです。このことは通常の人間関係でも生じ得ることなのですが、夫婦関係では特にその傾向が強まるように思います。
 その理由は私には分かりませんが、家族意識と言いますか、家族感情が当人たちに働くためではないかと、家族を形成したということで、過去の家族感情が蘇るのではないかと私は個人的に考えています。
 過去の経験、過去の記憶、それも未解消になっているものが蘇ってくるのです。当事者からすれば、強制的にそれらを想起させられるといった体験になるかもしれません。過去の未解決の問題は、当人の意思とは無関係に、当人に降りかかり、襲い掛かってくるかのように体験されるかもしれません。
 それは当人にとっては苦しいことであります。この苦しい経験の故に、夫婦は常に問題を抱え、常に危機を迎えることにもなると私は考えています。
 前節でも述べましたが、こうした過去の想起は、ちょうどマラソンの折り返しのようなものではないかと私は思っています。かつて通った道、かつて見た光景を、もう一度、別の角度から辿り直すようなものであるかもしれません。往路に見た光景を、往路よりも時間を経過し、疲労した状態で、復路で辿るという体験に近い体験であるかもしれません。

 ここで夫婦の関係という視点を持ち込むことになるのですが、夫婦になることで双方の家族感情が復活するだけでなく、この関係がお互いの感情を刺激したりするのです。
 まず、関係というものから見ていくことにします。
 二人の間に形成される関係は、双方がその関係の場に持ち込むものによって、その関係の性質が決定され、方向づけられると言うことができます。双方によって持ち込まれるものによって、それは「治療的」関係にもなれば、「非治療的」関係にもなり、「反治療的」関係にもなり得るのです。
 私とあなたの関係でもそうなのです。
 あなたはあなたの中にあるものを私との関係の場に持ち出してきます。
 あなたが持ち込んだものに反応して、私は私の中にあるものをこの関係の場に差し出します。
 私がそこに持ち込んだものに反応して、あなたはあなたの中にある何かが引き出され、それがこの関係の場に持ち込まれます。
 あなたがそこで持ち込んだものに反応して、私の何かが引き出され、私はそれをこの関係の場に持ち込みます。
 私とあなたの関係は、このようにして、この関係の場において、お互いが持ち込み合い、引き出し合いながら進行していくのです。
 私にとっては、私の病理を持ち込みやすい相手もいれば、私の健全な部分を持ち込みやすい相手もいます。私に対して、病理が引き出されやすい相手もいれば、健全なものが引き出されやすいという人もあります。
 私に限らず、これはどの人も経験することではないかと私は考えています。ただ、私たちの多くはそれに無自覚であるだけなのだと思います。
 従って、私とあなたとの関係を正しく理解しようと私が欲するなら、お互いに何を持ち込み合い、何を引き出し合っているか、この関係で私の何が持ち込まれやすくなっているか、何が引き出されやすくなっているか、あなたはあなたの何が持ち込みやすくなっており、私から何を引き出されやすくなっているか、そうした諸点をしっかり見ていく必要があると私は考えています。
 それはつまり、この関係で起きていることをきちんと見るということなのです。

 私が今述べたことは、さらに次のことを表します。
 もし、私とあなたとの間に起きていることを私が正確に理解していないなら、私はそれについて正しく考えることができないし、適切に対処することもできないということです。
 夫婦関係の問題、さらにはその他の人間関係の問題でも、このことは特に重要なことであると私は考えています。しばしば、こうした理解をすっ飛ばして、解決策だけを獲得しようとする人たちもあるからです。もし、その関係で何が起きているのかを正しく理解できていないなら、そうした解決策は見当違いの対策となるかもしれません。
 当人たちは自分たちのことを正しく理解していると信じているかもしれませんが、それはある理論に自分たちを当てはめているだけという場合もあります。理論は人間から生まれるものであります。生み出されたものは生み出したものを超えることがなく、常に生み出したものの一部であるとすれば、人間から生まれる理論は人間の全体を表すものではないのです。理論はすべて人間のごく一部を取り出しているだけに過ぎないのです。そして、個人をその理論に押し込めようとする人たちもたくさんおられるように思うのですが、それは無理な行為であると私は思います。
 そもそも、自分たちの間で起きていることをある種の理論ですべて説明しようとする姿勢は、それ自体、問題から目を背けることになると私は考えています。自分から目をそらす一つの方法は理論に目を奪われることであります。私はこれは真実であると確信しています。
 理論を理解するのではなく、また、その理論を自分たちに当てはめるのではなく、二人の間で起きている「現象」を理解するのです。ここを間違えておられる方々を私はよく見かけるので、ここで注意を喚起しておく次第です。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)