<7-1A>DV問題の諸前提(1)

<7-1A>DV問題の諸前提(1)

 この第7章ではDVとそれに関連する諸テーマを取り上げることにします。
 本節では、具体的な内容に入る前に、いくつかの前提(私が有している前提という意味ですが)を共有しておきたいと思います。

(DVという用語)
 まず、DVという用語から取り上げましょう。
DVとは夫婦間、もしくは恋人同士間で生じる問題であります。つまり、その関係に限定した問題であるということです。もっと広い意味で考えている先生方もおられるようですが、私は夫婦に限定しようと思います。
従って、親子間、嫁と姑間、さらには同僚や仲間関係、社内での上下関係など、その他の関係において生じる暴力・暴言等はここでは含まれていません。あくまでも夫婦、恋人の関係においての問題であるということを押さえておきたいと思います。

(定義)
 先述のように、DVとは夫婦間(恋人間)における暴力・暴言として定義できます。
ところで、こうした定義というものは中心概念を指すものであって、どこまでがDVでどこからがそうではないかといった臨界点を指しているものではないということは強調しておきます。そこを問題にしたり、拘ったりする人もあるからです。
 この暴力・暴言は、より具体的に言うと、身体的、言語的、非言語的と分類することができます。
 これらの行為は、直接的、間接的、受け身的になされます。最後の受け身的暴力というのが分かりにくいかもしれませんが、いずれ本章の中で取り上げることになりますので、ここでは詳述しないことにします。
 さらにそれらの行為は当事者に意識されていることもあれば、無意識であることもあります。

(「加害者」「被害者」)
 DV問題を論じる際に、どうしても双方の役割を示す名称を用いなければならなくなるのです。この問題は夫婦の双方に役割とか立場が生まれてしまうからなのです。次に、それについて少しだけ述べておきます。
 通常、それは「加害者」「被害者」と表現されるのですが、これは単にその問題となっている場面における双方の立場を示しているものであって、人格的な意味合いを含まないものとします。人格的な意味を含まないということは、つまり、「加害者」という人間が存在するのではないということであり、同じように「被害者」という人間が存在するわけではないということを示しています。「被害者」「加害者」とは、その人のパーソナリティやアイデンティティを示す言葉ではないということです。
 これらの言葉はあくまでその場面における双方の立場を示すものなのです。固定した役割を示すものではないのです。従って、一方は、ある場面においては「加害者」立場をとり、別の場面では「被害者」立場に立たされるということも生じるわけです。この観点は特に重要であると私は考えています。

(DV関係)
 DVという問題は、暴力や暴言として定義されるとは言え、これを暴力の問題として見てしまうと袋小路に陥るということを私は経験しています。それに関してはいずれ詳述することになるでしょう。
 そうではなく、DVが生じる関係に問題があるのです。私はこれを仮に「DV関係」と名付けているのですが、DV関係が形成されている関係において、DVが生じるのは正常なことなのです。そこでDVが発生しないことの方が異常なことであると私は考えています。
 DV関係については後々取り上げていく予定ですが、ここで簡単に述べておくと、それは当事者の二人が「加害者」と「被害者」の役割を交代しながら進行する関係であるということです。だから、この両者にあっては、常に大小さまざまなDVが繰り返し発生しているということになるわけです。

(「来談者」と「非来談者」)
 私は個人面接を行っています。つまり、1対1の面接を実施しているということです。家族や親子、夫婦など、複数の人と同時に面接することはしないようにしています。そして、このことはDV問題においては特に重要なことなのです。
 上述のように、DV関係が問題なのです。夫婦が揃って来談しても、DV関係がそのままカウンセリングの場に持ち込まれるだけなのです。私はこれを実際に目にしており、これは良くないことであると学んだのです。
 従って、何よりもまず、この関係から離れたところで当事者と会う必要があるわけです。この関係の影響の外でその人を見たいと私は願うのです。パートナーがその場にいると、必ずその人の影響を受けるものなのです。相手がいないところで、その関係の外において、その人がどういう人であるかを私は見たいのです。
 そうすると、DVのカウンセリングにおいては、夫婦がそれぞれ個別にカウンセリングを受けるケースと、一方だけがカウンセリングを受けるというケースが生まれることになるのです。
 後者の場合、つまり、二人のうちの一人だけがカウンセリングを受けるという場合、そこに「来談者」と「非来談者」の区別が生まれることになります。「加害者」立場の人が来談者になる場合もあれば、「被害者」立場の人が来談者になることもあります。
この「来談者」「非来談者」の区別は、「加害者」「被害者」の区別よりも重要なのです。というのは、「非来談者」の方が「来談者」よりも重篤な問題を抱えているケースが多いからであります。その点については本章において追々述べていく予定でおります。
さらに、この「来談者」は「自発的来談者」と「非自発的来談者」に分けることが可能であります。「非自発的」というのは、相手から強制されて来談したというような人であります。来談者が自発的であるかそうでないかという問題は、それぞれ別個に考えなければならない部分があるので、本章では敢えて区別したいと思います。

(サンプルの偏り)
 この問題は常にあるものと思っていただきたいのです。クライアントたちは私のサイトなんかを見て、何か共感できるもの、共鳴できるものがあって来談されるのだと思います。そうでない当事者たちは私のクライアントにならないのです。この時点ですでにサンプルの偏りが発生しているのです。
 私が述べることができるのは、私のクライアントたちのことです。彼らから学んだことを記述することになるのです。私のクライアントにならなかった人たちのことを私は知らないのです。
 従って、私の述べることは一般化することができないのです。私がお会いするのは一部の人たちであり、特定のタイプの人たちであるからです。あらゆるタイプの当事者とお会いしているわけではないからです。
 私は私の経験したことを述べるのです。それがあなたの参考や助けになるのであれば私としては本望であります。でも、私がこう言っているからと言って、あなたがそれを一般化したり、それを他者に押し付けたりすることだけは控えて欲しいと願っています。なぜなら、そうした行為はそれ自体DV的であり、新たなDVを生み出す可能性を有しているからです。

 さて、本節ではDV問題に関して、私が前提として有している諸観念を綴ってきました。まだ他にもいくつか前提としていることがありますので、それは次節にて論じることにしたいと思います。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)