<6-5D>別れ際の攻防

<6-5D>別れ際の攻防


(望ましい関係を経験したので別れられない)
 「境界例」傾向の人は、決して人から好かれないわけでも愛されないわけでもないのです。彼らは自分では気づいていないかもしれませんが、自分が普通に受け入れられ、好かれているという場面も決して少なくないのです。
 この「境界例」傾向が如実に現れるのは、相手との別れ際にあると私は個人的に考えています。別れ際の反応を見ると、その人が「境界例」的であるかどうかの判断がある程度つくとさえ私は考えています。
 彼らは別れを引き延ばすようなことをするのです。具体的には、帰ろうとしないとか、相手を離そうとしないとか、相手にしがみついたりといったことをするのです。時には「脅し」のようなことを言ったりやったりすることさえあります。
 ここは逆説的な部分であるのですが、彼らが「別れ際」に粘るのは、彼らがいい人間関係を体験したからなのです。相手から普通に自分が受け入れてもらえて、好かれるという経験をしたのです。間違いなくそういう経験をしたはずなのです。だから別れられなくなるのです。

(愛する人を恨んでしまう)
 逆の場合、つまり自分が愛されなかったとか、受け入れてもらえなかったとか、そういう人間関係を体験した時には、彼らは速やかにこの関係から去るものなのです。そして、この人たちのことで怒ったり恨みを抱いたりすることは意外と少ないのです。
 最初から自分を愛さなかった人のことは根に持たないことが多いのです。怒りで反応するのは、かつては愛してくれて、自分から去っていった人、自分を引き離した人であることが多いのです。
 そういう反応は別にしても、彼らのこうした言動は、彼らが愛されたり、受け入れてもらえたりする人間であるということは示していると思います。そして、愛してくれた人、受け入れてくれた人を延々と恨まなければならなくなってしまうのです。

(いい経験を壊してしまう)
 カウンセリングの場でも、「境界例」傾向の人と毎回どのように別れるかということは、私には難しい問題でした。全員に通用するやり方というものはなく、この人にはこういう風に持っていく、あの人にはこのタイミングで別れを意識化するといったように、個々人で対応を変えなければならないことも多いのです。
 それで、いい体験が彼らの心の中に根付いていけばいいのですが、それらが根付く前に、ラストの瞬間ですべてをぶち壊してしまうという人もあるので、「治療」は難航することが多いのです。
 人によっては、別れ際に対象を「破壊」しなければいられないという人もあります。毎回、別れ際に強烈な捨て台詞を吐いて帰るというクライアントも私は経験したことがあります。ある程度、彼らがそうせざるを得ない気持ちもわかるので、まだ、私は耐えられるのですが、そういう知識のない人だったら、これは耐えられないだろうなと思うのです。
 場合によっては、次回の約束を明確に、しっかりとしてあげなければならないという人もあります。
 彼らは、今この瞬間にそれが手に入るかどうかというところだけを見てしまうので(これは時間の拡散と関係することです)、次回まで待てるということはとても大切な意味があるのです。この瞬間に彼らを十分に満たすことは、「治療」的観点からすれば、望ましくないのです。従って、彼らには厳しい処置のように思われても、きちんと別れなければならないのです。
 つまり、いい関係を経験したからこそ、いい経験のまま別れる必要があるわけであり、そのいい経験は次回まで彼らの中で把持されていることが望ましいと私は考えるのです。やがて、そのいい経験は彼らの中に根付いていき、それが多く根付けば根付くほど、相対的に悪いことを経験する度合いが減少するのです。ところが、そのいい経験を最後の瞬間に自らで壊してしまうので、いい経験が根付かないということになってしまい、「治療」が「非治療的」な事態に陥ってしまうということなのです。

(「抗議」として理解すること)
 さて、最後に重要な観点を述べることにします。「境界例」的な人が別れ際に見せる特徴的な言動は、すべて「抗議」として理解されなければならないという観点です。
 彼らは、例えば、「愛しているからこうしてしまうのだ」とか「好きだから別れられないのだ」と、愛の行為として訴えるのです。しかし、それは「愛」ではなく、自分を見放す相手に対して「抗議」しているのです。当人たちはここを間違えるのです。
「抗議」された相手は怒りで反応してしまうかもしれません。その場合、当人たちは相手がどうして怒るのか理解できないという経験をするのです。「私は愛しているだけなのに、怒りを向けられるなんておかしい」というように信じてしまい、しばしば、「怒りを向けてくる相手の方がおかしい」という結論に至るのです。
 DV問題やうまくいかない夫婦関係のケースを見ていると、上記のような場面が少なからず見受けられるのです。
 もう一点、重要なことを指摘しておきますが、彼らは自分が見捨てられたというように体験してしまうのですが、相手は必ずしも彼らを見捨てるつもりでそうしているのではないということです。この「見捨てられ感情」について、詳しくは別に論じたいと思います。
 さて、この「抗議」は、激しい形でなされる場合もあれば、微妙な形でなされる場合もあります。つまり、「陽性」と「陰性」があるというように私は考えているのですが、「陽性」の場合だと、相手を罵ったり、脅したり、破壊したり、攻撃したりする言動となるでしょう。これは比較的はっきり見られるものです。
「陰性」の形でなされるものは、「抗議」のように見えない場合もあると思います。例えば、グズグズと居残るとか、強情を張るとか、相手のやることを妨害するとか、能率を悪くして時間を稼ぐなどの行為であります。これらは一見すると「抗議」とは見えないかもしれませんが、これはやはり一種の「抗議」なのだと私は理解しています。
 この辺りのことは理解しにくいと感じる人もあるかもしれません。いずれ「受身―攻撃性」というテーマで取り上げる予定をしておりますので、そこで再度この問題を取り上げることにします。

(文責:寺戸順司)




平成28年5月25日公開