<6-4>「サンプルの偏り」

<6-4>「サンプルの偏り」


(「サンプルの偏り」は避けられない」)
 他のテーマでも同じことが言えるのですが、私が「境界例」について述べることは、すべて私が直接的ないしは間接的にお会いした人々に基づく考察であり、そこではどうしても「サンプルの偏り」といった現象が避けられないのです。
 前節で「境界例」のタイプ分けを試みたのでしたが、それは本節で述べる「サンプルの偏り」と関係するのです。

(本人が来談するケース)
「境界例」傾向の人が直接来談されることもあれば、周囲の家族や配偶者が
来られる例もあります。どちらがより多いということは言えないのですが、両方
のパターンを私は経験します。
 本人が来られる場合、「境界例」という問題ではなく、他の訴えで来談される
ことが多いのです。その訴えは、「自分がはっきりしない」というように、しばし
ば具体性を欠くものも目立ちます。
 これも顕著なことですが、本人が来談された場合、大抵は長くは継続しませ
ん。1回から数回で彼らはカウンセリングを去ります。彼らはその理由をいろ
いろ挙げるのですが、彼らの抱えている「問題」との関連で捉えられてはいな
いということは言えそうです。

(周囲の人が来談するケース)
 家族や配偶者が来談されることもあります。この場合、非来談者のほうに
「境界例」傾向が目立ちます。
 配偶者が来談する場合、夫婦関係やDVといった文脈で来談されることが多
く、非来談者側から強制的に、あるいは長い期間要請された挙句に来談した
ケースが目立ちます。
 家族が来談されるというケースでは、まず来談されるのは親であります。子
供が「境界例」傾向があり、親が対応に手を焼いて来談されるというケースが
多いのです。
 この時、来談されるのは、やはり母親なのです。父親が来談することもあり
ますが、私の経験ではそれほど数は多くありませんでした。
 母親が来談したとしても、その子供は「境界例」的でないというケースもありますが、父親が来談する場合、その子はまず間違いなく「境界例」的であるという印象を私は受けています。どうしてそう言えるのかについては、「境界例」の親たちに関する章で述べることになると思います。

(現場によって来談者のタイプが異なる)
 あるスクールカウンセラーさんの話では、学校カウンセリングの現場では逆
のことが多いそうです。カウンセラーを求めて来談する子供よりも、その親の
方が「境界例」的だと言います。
 現場によってこうした偏向が生まれるのは避けられないことですが、非来談
者側に「境界例」傾向が認められるようであるという点では共通しているかも
しれません。
 また、私はあまり「反社会例」に近似の人たちとお会いすることは滅多にありません。司法畑で働くカウンセラーさんなら、私よりももっとこのタイプの人とお会いしているだろうと思います。

(臨床家の背景を考慮すること)
 何が言いたいのかと言いますと、「境界例」には様々なタイプがあり得るわ
けであり、臨床家がどういう背景を持ち、どういうところで仕事をしているかに
よって、接する「境界例」タイプに違いが生まれるということがあり得るという可
能性を述べたかったのでした。
 司法畑や教育現場で馴染みのあるケースは、私のような個人開業ではあま
り馴染みがなかったりするわけです。
 このことはとても重要だと私は考えているのです。クライアントはしばしば臨
床家の書いた本などを熱心に読まれています。この本にこういうことが書いて
あったなどと彼らは報告してくれたりするのですが、その著者に関してはほと
んど意識を向けないのです。その「境界例」論は、医師が述べていることなの
か、心理学者が述べていることなのか、あるいは教育学専攻の先生が述べ
ているのか、司法精神科医が述べているのか、ほとんど注目されないので
す。
 同じ精神科医の立場で書かれたものであっても、その医師が入院病棟で仕
事をしている人か外来病棟で働いている人かによっても、見解に相違が生ま
れることもあるのです。精神分析方面で言えば、例えば、「自己愛例」に関す
るコフートとカーンバーグの見解の違いなどが有名ですが、実際にこういうこ
とが起こり得るわけであります。
 従って、専門書を読む場合には、著者の立場、学問的背景なども考慮した
上で、尚且つ、どんな場合にも「サンプルの偏り」が含まれている可能性を無
視しないように注意して読む必要があると私は考えています。

(私はどのタイプの人たちを記述することになるか)
 私がこのサイトで展開している事柄に関しても、やはり「サンプルの偏り」の
問題は常に在るのです。
「境界例」のタイプで見ると、本人が訪れる場合では「自己完結型」タイプであ
ることが多いように思われます。家族や配偶者が来談される例では、その非
来談者が「他社巻き込み型」タイプであることが間違いなく言えそうです。
 ここでも、私が現実にお会いする「境界例」傾向の人に関して「偏り」が生じ
ていることが分かります。私が述べることは、「自己完結タイプ」にはよく当て
はまるかもしれませんが、「他者巻き込みタイプ」にはまったく該当しないもの
かもしれません。私があなたに強く願うことは、こうした「偏り」の存在する可能
性を心に留めておいてほしいということです。
 さらに「陽性」「陰性」の軸を加えてみましょう。
「陽性の他者巻き込みタイプ」の場合、家族が来談されるでしょう。家族がもっ
とも巻き込まれているケースが多いからです。
「陰性の他者巻き込みタイプ」の場合。家族以外の他者が来談されるケース
が多いように思います。この「巻き込み」は家族には親和的になっているよう
で、家族内ではあまり問題視されない傾向を強めるためだと思われます。で
も、家族以外の周囲の人にとっては困らされることが多いように思います。
 いずれにしても「他者巻き込みタイプ」では周囲の人が来談するという形をと
ることが多いように思います。本人が来談する場合には、別の訴えで来られ
ることになります。なぜ、そうなるのかということに関しては別に述べようと思
います。
 続いて、「陽性の自己完結タイプ」の人たちですが、この人たちも基本的に
は自分のある「問題行動」(依存行為だったり自傷行為だったり)を主訴に来
談されることが多いようです。
 最後に、「陰性の自己完結タイプ」の人たちですが、この4タイプで比較する
と、私がお会いするのはこのタイプが圧倒的に多いのです。この人たちは自
分が「苦しい」という体験をしているのです。自分の苦悩をどうにかしたいので
来談されるのです。
 直接的にも間接的にも、一応、4タイプすべての人を私は経験しているので
す。ただ、本人が来談されないケースでは、直接本人から聞き出せないので、私の憶測だけを述べなければならないということも生じますし、少数例から述べなければならないこともありますので、どうしてもそこには「偏り」が生じるこ
とが免れないだろうと思います。
 そうした点を踏まえて、まず、私が「境界例」という現象をどのように考えているかという「私見境界例論」を次節より展開することにします。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)





平成28年5月24日公開