<6-10J>同一性拡散:時間的展望の拡散(5)

<6-10J>同一性拡散:時間的展望の拡散(5)

(過去・現在・未来は切り離せない)
 エリクソンの記述を読む限り、時間的展望の拡散に関して、エリクソンは将来の点だけを取り上げているように私には思われるのです。確かに、将来の喪失という意味合いが強い概念ではありますが、将来の喪失は現在過去にも影響を及ぼすものだと私は考えています。
 まず、時間的展望とは、過去―現在―未来という時間軸であると私は考えます。未来を失うことは過去を失うことであり、未来が混乱することは過去が混乱することでもあり、ひいては現在を失い、現在が混乱することにつながると私は考えています。どこか一つの障害は、例えば未来の障害は、その領域だけにとどまるのではなく、過去や現在にも障害を及ぼすのです。過去、現在、未来の三者は切り離すことができないのです。
 一人の若い人でしたが、この人は来る日も来る日も自分の過去を焼却することに費やしていました。記念写真や卒業アルバムなど、自分の過去に関するものをすべて焼却していきました。それだけで一日が終わるのです。この人は過去を無くそうとしているのです。でも、その前にこの人は将来を喪失していました。そして、過去を無くすこの行為でもって現在を無くしているのです。

(現在の安心を体験すること)
 どうすればこの時間展望の拡散から抜け出ることができるのかと問いたくなる人もあるだろうと思います。おそらく、唯一の正しいやり方などというものは存在しないだろうと思います。ただ、本項では、私がそれに対してどのようにアプローチするかという点だけを述べようと思います。
 まず、前述のように、未来を聴くことは御法度なのです。時間的展望の拡散を来しているクライアントは過去のことはよく話してくれるのですが、私はあまりそこには拘らないようにしています。未来が不安に満ちていると、不安に満ちた過去経験が想起されてしまうので、そこに過度に拘ると却ってそのクライアントの不安を高めることになるからです。その不安は、過去のことに留まらず、現在や将来にも容易に侵入してくるためです。
 私はとにかく現在を押さえるというアプローチを採用します。ある人が、過去の怖い経験を思い出しているとします。そして、この怖い経験は未来にも、今すぐにも起きそうなほど切迫しているように当人には体験されていたりします。時間展望が拡散している状態にある時にはそういうことがよく起きるのです。
 そこで、それは過去に起きたことなんだから、将来に同じことは起きないと保証したくなるかもしれません。しかし、これは何一つ保証にならないのです。場合によっては、こんな助言をしてくる専門家をその人は軽蔑するようになるかもしれません。
 現在を押さえるというのは、過去に怖い経験をしたということを取り上げるのでもなく、将来それが再現されるかどうかを取り上げるのでもないのです。過去にその怖いことが起きた、将来もそれが起きるかもしれない、でも、今この瞬間にそれが起きているのではないというところに焦点を当てるわけです。
 言い換えると、なるほど、過去にそういう怖いことを体験した。怖かったでしょう。将来もそういうことが起きるかもしれない、そう思うと不安になることでしょう。でも、今この瞬間にそれが起きているわけではないから、少なくとも今この瞬間においてはもっと安心してもいいのですよということを押さえるということなのです。
 肝心なことは、今この瞬間において安心と安全を体験できるということなのです。決して、そこから未来や過去に視点を広げてはいけないのです。過去の経験や未来の不安を否定するのでも否認するのでもないのです。それらはそのままにしておいて構わないので、今、この瞬間は大丈夫、安全なんだということが当人に体験されることを目指すのです。
 もちろん、これを何度も繰り返して行わないといけないのです。時には何か月や何年もそれをしないといけない場合もあるのです。でも、今現在が少しでも安心できるようになると、安心できる現在を足掛かりにして、過去や未来が構成されていくのです。そういう道が開けていくのです。そうして時間展望が徐々に回復していくのです。実際、私もそのような体験をしましたし、同様の経験をされたクライアントたちもおられるのです。
 確かにいろんなアプローチがあり得るでしょうし、これが唯一絶対に正しいアプローチであるとは断言できないのです。ただ、このアプローチが、私の経験にも合っているし、私の性格にも適しているように思われる次第なのです。

(何かを始めたくなる)
 さて、先ほど、現在の安心を体験できるようになると、それを軸に時間展望が構成されていくと述べましたが、やはりその過程においてはいろんな段階があるように思います。
 私の経験では、クライアントは何かを作りたくなるという例が多いように思います。それは編み物だったり、絵だったり、陶芸だったり、写真だったりするのですが、前回はこれを作った、今回はこれを作っている、今度はこういうのを作ろうと思うといった形で時間軸が形成されるのです。そして、作品を残していかれるのですが、それは歴史を作っているという意味合いがあるように思います。
 旅をしたり登山を始めるという人もありました。前回はここに行った、今度はあそこに行こうという形で、やはり同じように過去や未来の計画がその生に持ち込まれるようになったのです。
 私の場合は本でした。物を作るほど器用ではないせいなのですが、先週はこの本を読んだ、今この本に着手している、来週はこれを読もうという形で、時間展望が戻ってきたのを覚えています。
 これらの活動は、例えば延々とコミックを磨き続けるという活動とは明らかに性質の異なる活動であることが理解できると思います。コミックを磨き続けるのは、あらゆる時間経緯を拒むものでありますが、上述の活動は時間体験の中でその一つ一つが位置づけられていることが分かります。
 何らかの活動を通して、徐々に時間軸が蘇るわけですが、そのためには現在における安心感が回復しているということが大前提だと私は考えているのです。現在において安心がなければ、現在の活動自体が難しくなるのです。

 現在における安心感が会得されていくと、その人は何かをしたい、何かを始めたいという気持ちになるようです。それで、その人たちはそれぞれ自分の興味や関心のある領域を選択していくわけなのです。
 物を作ることであれ、どこかに行くことであれ、こうした活動が時間軸の上で計画され、体験され、蓄積されていくようになるのです。もちろん、この活動そのものは生活に直接的に資するというものではないかもしれません。でも、それは次の段階の話なのでありまして、ここでは現在の安心感~活動意欲~活動を通しての時間展望の形成という流れが大切なのです。
 当然、この流れは速やかに形成されるものではありません。現在の安心感が獲得されつつあっても、その変化が脅威となるので、以前の不安に満ちた状態に戻ってしまう人もあります。また、何かを始めたくなって、何かを選択したのだけど、その選択の無効化をやってしまうというような例もあります。
 本項では、時間的展望の拡散に対して、あくまでも私の採用しているアプローチを綴ったまでのことあります。そして、お読みになられているあなたには、これが決して容易な過程であるとは思わないでいただきたいのです。現実には、何度も行きつ戻りつしながら、何度も壁にぶつかり停滞しながら、徐々にこうした経過を経るようになるのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



平成28年10月29日公開