<6-10I>同一性拡散:時間的展望の拡散(4)

<6-10I>同一性拡散:時間的展望の拡散(4)

(モラトリアムの蕩尽)
 時間的展望の拡散は、本当にたくさんのテーマを含む領域であり、すべてを列挙するというのは私の手に余る作業であります。最後にもう二点だけ取り上げて、私たちは次のテーマに移ることにしたいと思います。
 時間的展望の拡散は、彼らをして、モラトリアムの有効活用を妨げる働きをすると私は考えています。つまり、猶予期間が与えられても、彼らはそれを自分の将来のために活用できないという事態が生じるのです。
 これを理解することは難しいことではありません。モラトリアムは将来を前提として初めて意味を持つものだからです。将来のために、今、こういう猶予期間が与えられているという形でしかそれは意味を形成しないのです。
 また、エリクソンは、自分の人生が継続するに値するという確証が得られないとモラトリアムが有意義なものにならないということを述べているのですが、その通りだと思います。

 精神的な「病」のため休職中のある男性は、結局、この休職期間(これも一つの猶予期間であります)をまったく別の事柄に従事してしまい、復職できなかったのです。彼は、この休職期間中、ひたすら上司に呪詛の言葉を吐き続けていただけだったのでした。
 また、心を病む人たちのための施設を利用しているクライアントからはある無職の男性の話を伺いました。この男性もこのクライアントと同じようにその施設を利用しているのでしたが、男性はそこで特に何かをしているわけでもないようでした。ただ施設に来て、時間を潰しているだけといった印象を受けます。そして、施設の時間が終わると、そのまま遊びに出るそうでした。
 この無職の男性は一体どうやって生活しているのだろう、私は不思議に思いました。クライアントの話では、この人には親の遺産があったそうです。この遺産のおかげで生活には困っていないのだろうという話でした。
 少し恵まれている男性だと思うのですが、親の遺産のおかげで数年は生きていけるのです。そして、これもまた一つの猶予期間がこの男性に与えられたということでもあるのです。でも、この男性はその猶予期間を有効には活用していません。それどころか親の遺産を食い潰しているだけなのです。遺産がなくなったら、生活保護を受ければいいと男性は言っているそうですが、肝心な点は何ら自分の将来を持っていないということなのです。この男性には、その場限りの、刹那的な出来事しかないようでした。

 猶予期間という観点から言えば、次のような例は本当によく経験することです。子供が引きこもりのような状態になっています。親が元気に働くことができているうちは子供を抱え、養うことも可能です。しかし、親が高齢になり、定年退職が間近に迫ると、急に慌て出して、子供を何とかしてほしいとカウンセラーを訪れるのです。そして、こういう親たちは決まって言うのです。「子供も、いつかは働いてくれるだろうと信じていた」と。
 親が子供を養えるうちは、子供にとっては猶予期間でもあるわけです。でも、これまでもこの子供たちは猶予期間を有効活用できなかった歴史があるわけなので、これはいくら待っても、子供が動き出すことは見込めないのです。親たちはそこを間違えてしまうのです。
 あまり裕福でない母親が、引きこもっている子供からとても高額な品物を買ってくれと頼まれていました。どうしたらいいかと私に相談するので、それが本当に子供に必要なものかを私は尋ねてみました。母親の話では、子供はそれを手に入れると自分が変われそうな気がすると言っているそうでした(本当は彼らのこういう言葉ほど当てにならないものはないのです)が、これまでの子供の行動を見ていると、それを手に入れても、いつか転売してお金に換えるだけだろうと母親は信じていました。
 私は、それなら買ってあげる必要はないでしょう、それよりもそのお金は子供の将来の「治療費」のために残しておきなさいと母親に伝えました。猶予期間と同じように、猶予ある資源も彼らは有効に活用しないものであります。だから、ここはこの母親が賢くならなければならない場面だったのです。子供が有効に活用できないのであれば、親がその代行した方がいいと私は考えています。なぜなら、子供の言う通りにやってしまうと、家族全体が生きていけなくなってしまうからであります。そのような例は実際にあるのです。
 ちなみに、今の例において、子供がそれを手に入れると自分が変われそうな気がすると言っているところで、彼らのこういう言葉ほど当てにならないものはないと私は挿入したのですが、これについて説明しておくことにします。
 もはや説明の要もないと思われるのですが、自分が変われそうな気がするというのは、時間的な展望を表現しています。時間的展望の拡散している人からは通常では出てこない言葉なのです。
この子は、母親の話を伺う限り、時間展望の拡散が随所で見られたのですが、それでもこの子はこういう言葉を述べているのです。そこに矛盾があると言われそうですが、この子のこの言葉はもっと別の意味合いがあるのです。この言葉は、もっと「操縦的」な意味合いの言葉として理解されるものだと私には思われるのです。
 母親はこの子が変わってくれることを望んでいるのです。この子もそれを知っているのです。だから自分が変われそうだという訴えは、母親を大きく動かすわけであります。実際、母親はそれで動かされてしまっているのです。どうすべきか悩むほど、大きく動揺しているのです。
 この子がそれを意識しているかどうかは定かではありません。でも、無意識的にそういうことをしてしまう例も多いのです。
 言い換えると、母親を動かして、自分の願望を満たすために効果的な表現をこの子は知っているということなのです。過去の経験からそれを学んだということも十分考えられることなのです。

(時間的展望と資源活用の関係)
 同一性確立の課題に取り組む青年にはモラトリアムや資源が与えられるべきなのです。すでに述べたように、時間、仲間、年長者たちは彼らには重要な資源となるのです。
 しかし、こうした資源は将来の展望と結びつくことによって初めて有効なものになるのです。どんな場合でも、将来の何かのために現在の資源が活用されるのです。そうして資源は有効活用されたと考えられるわけであります。
 時間的展望が拡散すると、こうした資源は、有効に活用されることなく、ただ蕩尽されるだけになることも多いのです。
 資源の有効活用などと言うと、とても非人間的な響きを感じ取ってしまう人もあるかもしれません。それはこういうことなのです。例えば、憧れの先輩がいるとします。そして、自分もあの先輩のようになりたいと目指す時、その人は先輩を一つの資源として活用しているという意味なのです。
 しかし、優秀な先輩を目にして、あの人は恵まれているから優秀なだけで私のような苦労をしていないんだとか、優秀なことを鼻に掛けやがってなどと毒づいたりするなどは、この先輩が資源とならなくなってしまうということなのです。
 いずれにしても、時間的展望の拡散が回復されることが先決であるわけです。その後に資源が与えられることが望ましいというように私は考えています。私がお会いした親たちは逆の順序を踏もうとしておられるわけであります。
 次項において、時間的展望の拡散からの脱却ということを取り上げたいと思います。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



平成28年10月29日公開