<6-10H>同一性拡散:時間的展望の拡散(3)

<6-10H>同一性拡散:時間的展望の拡散(3)

 「境界例」傾向の人たち、あるいは同一性拡散状態にある人たちは、多かれ少なかれ、時間的展望が拡散している例が多いのです。大雑把に言うと、彼らには将来がないのです。
 一つ私が痛いほど学んだことは、そのような状態にある人に対して、将来に目を向けるような働きかけをすると、激怒されるということでした。間接的にでも将来に関することを尋ねたりすると、たちまち機嫌を悪くする人もありました。

(将来を訊くことは御法度である)
 次の例はある母親から聞いた話です。息子が長年引きこもっている状態でした。前節の父親が部屋に踏み込んだ息子さんと比べると、まだ両親との関係が築かれておりましたが、激しく感情を爆発させる傾向もあります。
 ある時、父親が息子に「これからどうして生きていくつもりだ」ということを尋ねたのでした。息子は「何もしない」と答えたのです。すると、「何もしないとはどういうつもりだ」と父親が最初に怒り出し、続いて息子が応戦したので、両者の間に激しいバトルが展開したそうでした。
 この父親に悪気はなかったとは言え、父親は一つ間違ったことをしている上に、息子の言葉を早合点しているのです。
 父親は息子に将来に目を向けさせているのです。もし、この息子が私がかつて経験したのと同じようなことを経験していると仮定すれば、父親の質問に対して、息子は自分の終末しか見えなかったことでしょう。もし、そうだとすれば、息子の「何もしない」とは、「何もできない」とか「何かをするほどの時間的余裕が残されていない」という意味合いを含んでいたと思います。
 これは、要するに、死を目前に控えた人に「将来、何をしたいですか」と質問するようなものなのです。この質問は、答える人間からすれば答えようのない質問であり、手に負えないことを質問されていることになるわけです。

 繰り返しますが、時間展望が拡散している状態にある人に、将来のことを尋ねることは御法度であると私は思うのです。私も酷い目に遭って、そのことをしっかり分かるようになったのです。できれば、親たちもその間違いをしてほしくないと願うのです。
 もう一例挙げておきます。
 ある母親から伺った話です。彼女の娘が「境界例」傾向を有していました。ある時、彼女は娘に明日はどうするつもりかということをうっかり尋ねてしまったのでした。すると娘は逆上して、「そんなこと言うんなら、本当に死んでやる」と荒れ狂ったそうでした。
 この母親は娘のその言葉を本当には理解していませんでした。母親は、ただ、軽い気持ちで明日の予定を訊いただけなのに、「死んでやる」とは何と大げさなと感じたそうです。
 私はこの娘さんの言葉はとても真剣な言葉だと感じました。決して大げさなことを言っているのではないと感じました。実際にこの娘がどのようなことを体験したのかは分かりませんが、もし私が経験したことと同種の経験をこの娘がしていると仮定すれば、この言葉はあまりにも真剣な言葉であり、母親の問いかけに対して極めて真面目に答えているものに見えるのです。
 母親は明日どうするのかと問います。娘には明日は何もないのです。確実にあるのは自分の死だけなのです。「明日どうするのか」という問いは、その「死」に明日にでも取り組めと言われるような体験になってしまうのです。従って、極端な言い方をすれば、「明日どうするのか」という問いは、「早く死になさい」と言われるに等しい経験になってしまうということであります。問いかけた側はそんなつもりで問うたのではないかもしれません。母親はごく普通の意味で「明日」のことを言っているつもりだったかもしれません。でも、現在と死との間に何もない状態を生きている人にとっては、それは自分の死のことを言われているようにしか思われないわけなのです。

 時間的展望の拡散に陥っている人に対しては、まず、現在のその人の自我が強化され、それによって将来の曖昧さに耐えられるようになることが先決なのです。私はそのように考えています。これに関しては、後で取り上げることにしましょう。
 ここで注意しておきたいことは、上述の父親や母親のように、最初の手順(現在のその人の自我が強化されること)をすっ飛ばして、いきなり将来に目を向けさせるという誤りを犯してしまうことがけっこうあるのです。おそらく、親も不安だったのでしょう。それで早急に答えを子供から引き出そうとしてしまったのだと思います。

(自殺はできない)
 将来を失い、絶望していて、彼らは自殺をしないだろうかと疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。確かに、彼らの中には自殺を仄めかすような考えをしたり、言ったりすることもありますし、自傷行為が見られることもあります。しかし、本当の自殺に至ることはあまりないのです。
 エリクソンは、同一性拡散状態にあっては、「自殺者」になるというアイデンティティさえ持つことができないと、鋭い洞察をしているのですが、私もそれに賛同しています。自殺もまた自分に関する選択であり、決断であるわけなので、彼らはそこに困難を経験するのです。
 基本的に、彼らは自殺をできないと私は考えています。自殺の準備をしたり、仄めかしたりする言動は、もっと違った意味合いのものとして解釈する必要があります。しかし、機会自殺の可能性は常にあるので、決して軽視しないことが大切であります。
 何よりも重要なことは、自殺というのは時間的な流れの中で意味を成す行為なのです。時間軸上において意味がある行為なのです。私は私の人生をこの一時点で終えるという決断をすることは、そこに時間軸が想定されていなければできないことなのです。従って、無時間性に生きる個人に自殺は考えられない、と私はそのように考えています。

(時間的展望の拡散は表面化されにくい)
 私の場合、「境界例」傾向の人とお会いするよりも、そういう傾向を強く有している子供を抱えている親とお会いすることの方が多いのですが、この親たちが一番理解しにくいのがこの時間的展望の拡散であるという印象を私は受けています。
 時間的展望の拡散というのは、時間の見当識障害ということではないのです。今日が何月何日であるか、自分の誕生日はいつだったか、などが分からなくなっているという状態ではないのです。ここは一部の「精神病」とは異なる個所なのです。
 時間展望が拡散していても、彼らは、今日がいつであるか、自分の誕生日がいつであるかが分からなくなったり、間違えることはないのです。それに、昨日・今日・明日という観念も、観念としては持つことができるのです。それに加えて、現実検討が損なわれていないので、過去の記憶というものも割と正確に有しているのです。
 従って、周囲の人にはこの人が時間に関する問題を抱えているように映らないという場合があるように私は思うのです。時間的展望の拡散は内的に体験されているものであって、表に現れない性質の体験だと私は思うのです。外観からは判断できないのです。それが表に顕在化する時には、麻痺状態や疲労感、強迫的な傾向、抑うつ的といった観を呈してしまい、しばしば時間展望の拡散とは別種の問題と受け取られてしまうこともあるように私には思われるのです。
 そのような事情のために、子供も自分と同じ時間感覚を有しているものと親たちは思い込んでしまうのだと私は思うのです。もっと正確に言えば、感覚は同じかもしれませんが、その意味合いや体験が大きく異なっているかもしれないということに親たちは思い至らないし、また、そのことがなかなか理解できないように私には思われるのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



平成28年10月29日公開