<6-10E>同一性拡散:選択回避と麻痺状態(5)

<6-10E>同一性拡散:選択回避と麻痺状態(5)~要約

 さて、ここまでのところを簡単に要約しておきます。
 青年期は第二次性徴とともに開始します。まず、身体の変化が生じます。青年たちは自分の身体の変化に対応していかなくてはならなくなります。
 また、性的な領域でも変化していきます。ここでいう性的というのは、セックスに関することだけではなく、男らしさ・女らしさといったジェンダーの領域の事柄も含みます。
 青年たちは身体の変化、それに伴う自己像の変化、人間関係の変化、異性や同性に対しての感情の変化など、さまざまな変化を日々経験していきます。こうした次々に生じる変化は青年たちを、時には動揺させたり、不安定にしてしまうこともあるでしょう。
 こうしたテーマに取り組んでいる中で、青年たちは同一性の確立という難しい課題に直面していくのです。自分が何者であり、どういう生を送ろうとしているのかなど、自分を明確化し、確立し、方向づけ、自分の人生を踏み出していくことが求められていくのです。青年たちは望まなくても、こうした課題に取り組まなければならなくなるのです。青年が回避したくても、あるいは否認したくても、この課題の方が青年たちを捉えて離さないのです。
 この難しい課題に対して、青年に救いがないわけではありません。青年にはその課題のために利用できる資源が用意されているのです。時間が与えられ(モラトリアム)、仲間の存在があり、理想化対象となる年長者の存在も彼らの課題達成を助けることになるのです。
 青年たちは、こうした資源を活用しながら、時につまずいたり、道を誤ったりしながらも、どうにかこの課題を達成していくことが期待されるのです。

 この課題における重要な作業は選択と決断ということになります。青年は自身に関するさまざまな選択をし、決断していくことが求められていくのです。
 一つを選択することは、他の選択肢や可能性を放棄することでもあるので、時には葛藤を生じさせ、苦しい体験となることもあるでしょう。それでも一つを選択することによって、自分が一つ輪郭づけられるという体験もすることになるでしょう。選択し、決断することも、選択を回避することも、どちらにも苦悩が伴うものだと私は思うのです。
 ここで言う選択回避とは、選択肢を前にして迷っているとか悩んでいるという状態とは異なる状態であります。むしろ選択肢を前にして、立ち往生している、停滞しているといった状態に近いものと考えられそうなのです。
 選択することが困難を伴うので、それを回避したいという気持ちが生じるのもやむを得ないことかもしれません。それでも最終的に選択できれば、それはそれでよしと我々が考えた方がいいのかもしれません。この選択がいつまでも回避されている場合、それは麻痺状態と呼ばれる状況に青年を落ち込ませることになるからです。そして、この麻痺状態は慢性化する傾向があるからです。
 この選択回避の一環として、また、麻痺状態に陥ることの防衛として、「選択の無効化」というべき現象も取り上げました。何かを選択・決断しては、選択・決断の前の状態に逆戻りしてしまうという例を挙げました。その両区間を行ったり来たりしているというような人の例も挙げました。
 選択回避にしろ、選択の無効化にしろ、それに続く麻痺状態にしろ、なかなか周囲の人には理解しづらいところが多いので、そのために周囲の親や大人たちはその状態に陥った青年を正しく理解し損ねることも多いのではないかと私は思うのです。実際に、そのようなケースを私は見るのです。
 しばしば、青年たちは正当に理解されることなく、誤解されたまま、引きこもり状態に陥ってしまったりするように私には思われるのです。親や周囲の大人が誤解するのは、別に彼らに悪意があるわけではなく、単に知識を有していない場合も多いように思うのです。
 私がこうして書き綴るのにも、そういう問題を抱え、そのような状態に陥っている若い人たちの助けになることを目指し、同時に、そういう若い人たちの周囲の大人にも理解を広げる手助けとなることを願っているからなのです。

 選択を回避し、麻痺状態に陥るというのは、その青年が前に進むことができなくなって後退していくということでもあります。精神分析の用語で、これを退行と呼ぶのですが、いくつかの例を挙げて説明しました。すべてを人任せにしてしまうこと、ひたすら内向すること、安全空間に閉じこもることなどを取り上げました。これらの退行状態は、さらなる麻痺状態に陥ることを防ぐ方策であるとも考えられるように私は思うのです。いずれにしても、深く退行している人ほど、援助を求めず、孤立を深め、苦しい状態に身を置いてしまうことになるのではないかと私には思われるのです。
 ところで、ある程度「精神的に健常」な青年でも、一時的に同一性拡散のような経験をしてしまうことがあると私は述べましたが、では、どこまでが「健常」範囲で、どこからが「病的」な範囲であるかと問われると、その線引きはとても難しいとしか言いようがないのです。青年期という困難の多い時期がもたらす状態と、その青年の抱えている問題がもたらす状態とは、なかなか判別が難しいものだと私には思えるのです。
 それでも、一時的に崩壊しても、そこから回復できるかどうかは一つの目安になると私は考えています。従って、選択回避や麻痺状態が長く続いている場合、それは「症状」として見なければならないと私は考えます。青年期における一過性の状態ということであれば、今後の危惧は払拭できないとしても、「健常」範囲として見るように私は心掛けています。

 同一性確立の課題とは、自分を明確にしていき、方向づけ、人生に踏み出していくことだと述べましたが、同一性確立が上手くいかなかい場合、つまり同一性拡散の状態とは、その逆の状態に当人が追いやられることを指しているわけです。自分が不明確で曖昧であり、どこにも方向づけられることなく、どこにも向かい出せず、人生に踏み出すこともできないまま一地点に停滞してしまい、どこにも誰にも安全は見いだせず、どこにも所属できず、本当は孤立にも耐えられないのに孤立せざるを得なくなってしまっているといった、そのような状態に陥るということなのです。
 当然、これは苦しい状態なのです。同一性の拡散とは、自分が何者でもなく、無名の存在のまま生き続けるということなのです。

 さて、選択回避と麻痺状態に関してはここまでにしておきましょう。でも、この二つの問題、選択回避と麻痺状態は、次に述べる時間展望の拡散とも関係してきますし、それ以後に述べる予定である勤労の拡散や親密さの問題とも相互に関連し合うものであります。
 同一性拡散とは、全体としての状態であり状況であります。説明するために便宜上、下位分類を設けているだけなのであります。一つ一つを個別に解説していきますが、あくまでも取り上げているのは全体としての状態であり、状況であるという観点だけはお持ちいただくようお願いしたいと思います。
 それでは、項を改めて、時間展望の拡散のテーマに入っていくことにしましょう。このテーマも全体の中の一分断面であるということは御銘記していただきたいと思います。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)