<6-10D>同一性拡散:選択回避と麻痺状態(4)

<6-10D>同一性拡散:選択回避と麻痺状態(4)~選択の無効化

 私が大学生の頃、こういう人たちがいました。せっかく受験競争を勝ち抜いて合格したのに、入学後すぐに退学してしまうという人たちです。早い人で入学間もなくして退学した人もありましたし、一、二か月以内に退学した人もありました。
 なぜ彼らはそういうことをしたのか、私には謎でした。合格するということが至上命題であって、合格さえすればよかったという人なのだろうかと一時期は考えていましたが、今では、彼らは「選択の無効化」をしたのだと考えています。
 もちろん、退学しなければならない事情が彼らなりにあったかもしれませんが、そこは知る由もないので保留にしておきます。ただ、「選択の無効化」と思われる現象はよく生じるものであり、分かりやすいものから微妙な形でなされるものまで多種多様であります。
「選択の無効化」とは、何かを選択、決断し、すぐにその選択を無効にし、以前の段階に戻ることを差しています。それを私は「選択の無効化」と呼んでいるのです。

 最近、久しぶりに来られた若いクライアントにもそれが現れたので、私はいささかショックを受けました。彼は専門学校に入ったのですが、すぐに辞めてしまったのでした。何とか専門学校に戻れないかと私はお願いしたのですが、彼はもう無理だと返事しました。
 4月にある会社に入って、5月には辞職したという男性もありました。彼は辞職の理由をあれこれ列挙するのですが、問題はその理由の方ではなくて、彼が自分の選択を無効化したというところにあったのです。
 選択の無効化は、選択回避の一つの現れであると私は考えています。

 せっかく入った学校をすぐに辞めてしまうことも、入社して間もなく辞職することも、基本的には当人の自由であり、私はそれを禁止する権利を有さないのです。ただ、注目されるべきなのは、その止め方なのです。
「選択の無効化」で辞める場合、まず、次の進路を具体的に決めないまま辞めるのです。次にこういうことをするから今のこれを止めるという形にはならないのです。仮に次の進路を思い描いている場合でも、「選択回避」の一環でなされる場合、当人はなかなか次のことに動き出さないというのが常であるようです。
 こうして、この人は選択前の状態に自分を引き戻すのです。そして、そのまま「選択回避」の状態になり、やがては麻痺状態に移行することもあるようです。
 選択回避が「選択者のポジションに留まること」という意味合いを持つとすれば、選択の無効化もやはり同様の意味合いを帯びることになるので、選択回避の一環として考えることができるように思います。

 しかしながら、選択の無効化はもっと微妙で複雑な内容を含んでいます。選択したことを止めるということは、何かを選択したような錯覚を当人や周囲の人にもたらすのです。それに代わる新たな選択をしていない場合は、特にそうであるように個人的には思うのです。
 さらに、選択し、決断したあることを止めること、もしくは方向転換することと、選択の無効化とを区別することも難しいのです。あくまでも私の個人的な見解に過ぎないかもしれませんが、選択の無効化には一貫性が見られなかったり、停滞感が感じられたりするように思います。
 例えば、卒論のテーマをニーチェに決めていたけど、やっぱりショーペンハウアーにしよう、ニーチェのニヒリズムよりショーペンハウアーのペシミズムの方がしっくりくるから、というのは必ずしも選択の無効化ではないわけです。ここには一貫性(哲学論文を書くことなど)があり、前進が見られる(ショーペンハウアーの方が自分に適していることが分かった、など)わけであります。
 選択の無効化とは、分かりやすく言えば、永遠の初学者であり、初心者、新人を繰り返し続けるということであります。発展がなく、停滞し続ける状態なのです。
 ある男性は、次々に転職を繰り返し、様々な職種を転々としていました。どの職場も長くは留まれませんでした。仕事や職場に不満があるわけでもないのです。入社して、しばらくすると、彼は辞めたくなるようでした。彼にはその理由が分かりませんでした。「青い鳥症候群に罹ったようだ」と彼は自虐的に報告されたのですが、一つの決断と選択が、後々彼を苦しめることになっているようだと私には思われました。彼はある会社を選び、入社します。しかし、彼はそれですごく悩むようになるのでした。果たして自分の選択は正しかったのか、とんでもない間違いをしているのではないかなどと不安に苛まれるようになるのでした。そうして彼はこの選択をなかったことにしたいと無意識的に思うわけです。選択を無効化することによって、彼は不安のない時代を取り戻したいのだと思います。

 選択の無効化ということを私が敢えて取り上げるのは、しばしば親がそれを見過ごしてしまうからであります。当人が選択者のポジションに留まるだけならまだしも、親がそれに振り回されてしまうという例も私はいくつか見聞しているからであります。
 高校を中退し、以後、仕事もせず、ほとんど引きこもり状態になった男性の親が来談されました。親としては、子供に何かしてほしいと願うわけです。それで子供がこういうことをやりたいなどと言い出すと、親は子供が一歩踏み出したように見えてしまうのです。いや、実際、そこまではいいとしても、今度は子供がそれを速やかに止めてしまうと、子供の選択の無効化を親がいとも簡単に容認してしまったりするのです。今回は子供が合わなかったと言っているし、それに一歩を踏み出したのだから、次回は上手くいくだろうなどといった希望的観測を抱くこともあるようです。
 その子は、ある時、英語を学びたいと言い出しました。何もしようとしなかった子供がこういうことを言い出したので、母親はとても喜び、語学学校の学費も進んで支払ったのでした。しかし、一か月も経たないうちに、語学学校は自分に合わないと子供が言い始め、やっぱり止めるということになったのでした。母親は、合わないのなら仕方がないと思い、支払った学費は無駄になったけど、自分が諦めたらいいだけのことだと思ったそうでした。
 子供は次には自分には音楽が向いている、音楽をやりたい、ピアノを買ってくれと親に頼みます。今度こそはという期待をかけて、母親は子供の言う通りにし、教室にも通うことを承諾しました。当然、これも長続きはしませんでした。
 しばらく引きこもりのような生活が再現された後、この子は、今度はパン職人になると言い始め、キッチンにパンを焼く窯を作ってほしいと親に頼みます。母親はこれも承諾してしまうのですが、この子がせっせとパンを作ったのは最初のわずかの期間だけでした。
 再びこの子は以前のような生活に戻ります。今度は、ひょっとしたら機械をいじるのが自分には向いているかもしれないと子供が言い始め、バイクを買ってほしいと母親はねだられました。
 母親はどうしたものかと迷い、子供にバイクを与えようとしたところ、知り合いから専門家の意見を聴いてからにした方が良いのではとアドバイスされ、それで私の所に来られたのでした。
 以上のようないきさつを聴いて、私は母親に尋ねました。「語学学校、ピアノ教室、パン焼き釜、そういうことを子供にしてやったけど、高校中退した頃と現在と、子供さんに何か違いが生まれていますか」と。
 母親は考えて、「何も変わっていません」と答えたのでした。この母親は、子供が何かを選択したという方は見えているのですが、その選択を無効化しているという方は見えていなかったし、まったくそういう考え方を持っていなかったのでした。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)