<6-1>境界例と周辺

<6-1>「境界例」とその周辺領域

(はじめに)
 この章では「境界例」とその周辺領域に関して、主にその臨床像について、
私の私見と個人的な経験を踏まえて、様々な角度から考察したいと思いま
す。
 本当は、「境界例」を理解するには、この概念が形成された歴史を辿るのが
一番いいと思うのですが、この歴史に関しては別の章で取り上げることができればと考えています。

(「境界例」という言葉について)
 さて、「境界例」ということですが、この言葉について説明しておく必要がある
でしょう。「境界例」とは「境界性人格障害」を指しています。
 私は個人的には「人格障害」という言葉は御幣があると考えていますので、
極力、この言葉を使わないようにしたいのです。従って、「境界性人格障害」
は、「境界性人格障害事例」という意味で「境界例」と記述します。その他の
「人格障害」も同様な処置を取ります。例えば、「解離性人格障害」は「解離
例」と、「自己愛性人格障害」は「自己愛例」と、「反社会性人格障害」は「反社
会例」というように表記します。

 そもそも「人格障害」というのは、英語の「personality disorder」を直訳した
だけのものであります。心理学などの学問世界では、パーソナリティには「人
格」という訳語を、キャラクターには「性格」という訳語を充てるという決まりが
あります。それに「障害」を意味するディスオーダーが付されているだけであり
ます。
 しかしながら、単に直訳しただけの訳語でありながら、「人格障害」という言
葉には独特の重みが私には感じられてならないのです。これは「パーソナリ
ティ障害」と訳しても、若干重みが減少した感じがするとは言え、やはり何とな
く重みを私は感じてしまうのです。
 そもそも、英語の名称でも同じで、パーソナリティがディスオーダーって、ず
いぶんひどい言い回しであるようにも思うのです。でも、ディスオーダーの意
味を斟酌すると、あながち間違った表現でもないとも思えるのです。
 Disorderなる単語は、確かに「不調、障害、病気」といった意味合いで用いら
れる単語ではあります。でも、この単語の本来の意味は「無秩序、混乱、乱
雑」といった意味です。「部屋が散らかっている」と言う時に「This room is
disorder」と、この単語が使われたりするのです。何となくですが、この単語を
パーソナリティに結び付けるのは正しいだろうかと思われることも私にはあり
ます。
 一方で、確かにディスオーダーがすごく適切な単語選択だと思われることも
あるのです。現実にこの「障害」を抱える人とお会いすると、パーソナリティが
無秩序という感じを受けることもあります。「人格障害」という言葉では、どうも
ディスオーダーのニュアンスが失われてしまうように思うのです。
 それでも、やはり、英語であれ日本語訳であれ、この言葉の持つ重たい響
きは変わらないという感じがしています。

(「人格障害」を使用する場合)
 もし、「人格障害」なる言葉を使用するとすれば、それは次の二つの場合に
限ることにしたいと思います。一つは領域を示す形容詞として用いることがあ
るかもしれません。例えば「人格障害圏内の反応」といった形で使用するかも
しれません。もう一つは「病態水準」として用いることもあるかもしれません。
例えば、「人格障害レベルの症例」といった使用をするかもしれません。
 上記の例外を除いては、「人格障害」という語は使用しないようにします。特
に個人に対してそれを用いることは絶対に避けたいと思います

(「ボーダーライン」という用語について)
「ボーダーライン」という用語が用いられることもあります。私はこれも誤解を
招く言葉であると考えています。「ボーダーライン」というと、あたかも何かの
「線上」に位置する人々であるかのような印象を受けてしまうのです。
 実際には、これは「線上」というよりも、「領域」を、それも幅広い「領域」を指
して言っているのであり、その意味では「ボーダーライン」は表現としては適切
ではないと私は考えています。
 これが幅広い領域で、多種多様なタイプがあり得るということは<6-3>
で述べることにします。

(「周辺領域」ということ)
 次に「その周辺領域」ということについて述べておきます。「人格障害」という
のは、非常に幅広いカテゴリーであり、そのために「~性人格障害」という下
位分類が十数種も診断概念化されています。一見すると、それぞれ別個の
「障害」であるように受け取られる可能性があるのですが、実際は、各々の
「人格障害」は相互に重なり合っている部分が多いのです。
 あくまでも私見ですが、このことを理解するのに、「人格障害」を「小学生児
童」に仮定して考えるといいと思うのです。「小学生児童」には、当然、小学1
年生の子供から6年生の子供までが含まれています。1年生の子と6年生の
子との間には大きな開きがあるでしょうが、1年生の子と2年生の子との間に
はそこまで開きはないかもしれません。それでも2年生の子は1年生の子より
も発達している部分があり、両者の間には、共通点を多く残しながらも差異が
あります。でも、全体として「小学生児童」というカテゴリーに含まれるわけで
す。
 さらに私たちは「小学1年生の心理」とか「小学2年生の心理」を概念化する
こともできるでしょうし、「小学1年生児童の抱える問題」や「小学2年生児童
の抱える問題」を考えることもできます。
「人格障害」という分類も、それに似たものであると考えると、分かりやすくなるのではないかと思います。

(対象となる人たち)
 さて、今後、「境界例」テーマで取り上げられる人たちについて述べておきま
す。以下の三群の人たちが対象となります。
 まず、現在並びに過去において、医師等から「境界例」の診断を受けたとい
う人たちがいます。
 次に、診断こそされなかったものの、「境界例」傾向を有すると思われる一群
の人たちがいます。この人たちの中には「自分は境界例ではないか」と思い
悩む「自称境界例」も含まれます。案外、「自称境界例」の診断が適格である
場合が多いように個人的には思うので、このカテゴリーに入れてもよいように
思われるのです。
 最後に、この人たちは「境界例」ではないかもしれませんが、「境界例」と診
断された人やその傾向を有する人の家族や周囲の人たちから成る一群で
す。「境界例」においては、周囲の人が悩まされるという例も多く、また、「境界
例の親もまた境界例的だ」と言われるように、世代間継承の問題も指摘され
ており、この問題は一個人内で収まらないという性質を有しているのです。こ
うした周囲の人たちも視野に入れて考察していきたいと思います。
 その診断を貰ったという人もそうでない人も、「境界例」傾向の人とか「境界
例」的な人というように表記することにしたいと思います。

(今後の予定)
 さて、今後の展開ですが、次節では「境界例」が単一の臨床像ではなく、多
様な下位タイプを含みうる「問題」であるということについて述べます。続い
て、「境界例」の基本的な問題がどこにあるのかという点を考えることにしま
す。
 その間に、私が「境界例」をどう見ているか、どのように考えているかという
「私見境界例」の節を挿入していくでしょう。それから具体的な諸傾向につい
て取り組みたいと考えています。
 また、本章では取り上げることはないかもしれませんが、別の章で「境界例」
形成の歴史を追ってみたいと思います。やはり、本章から省かれてしまうので
すが、「境界例」の周囲の人のことについても別章で取り上げたいと考えてい
ます。

(「○×式診断」に用いないこと)
 本節最後に、「境界例」とその周辺領域に関して私が危惧しているのは、
「境界例」とか「人格障害」というものが、一つのレッテルのように使用されてし
まわないかということです。個人的にはそのような風潮があるように感じること
もあります。
 しばしば、臨床像や診断項目を見て、自分に当てはまるから自分は「○○病だ」とか、あの人にすごく当てはまるから「あの人は○○障害者だ」といった自己診断をされる方をお見受けします。実際の診断は、こういう「○×式」のものではありません。軽はずみに診断することは慎まなければならないことです。これは一般の人も専門家も特に注意しなければならないことだと考えています。
 だから、一つの「病気」を正しく理解するためには、その「病気」が一つの疾
患単位として形成された歴史をきちんと知る必要があるのです。おそらく、私
は記述の順番を間違えてしまっているのだと思います。先に「境界例」の歴史
を述べなければならないのですが、それを後回しにしてしまっているのです。
だから、これを読まれた方は、是非とも「歴史」の章にも目を通していただくこ
とを希望します。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)




平成28年5月24日公開