<5-9>初回面接:解説(6)

<5-9>初回面接:解説(6)

(30)
 A氏は「妻に手を上げるのをやめる」という目標を挙げました。そして、その目標が本当に最善なものであるかどうか、それでA氏が幸せになるかどうかを私は尋ねました(29)。ここでA氏はもっと自分の内面に目を向けることを求められているのです。そうしてA氏から出された応答がこの部分であります。
 A氏はなんと言ったでしょう。「自分のことは分からない。本当は、どうしたいかも分からない。ただ、当面はこのDVがなくなればそれでいい」と答えています。
 おそらく、この初回面接において、もっとも重要な発言がこれだったのです。まだ、この段階では明確になっていませんでしたが、この発言はA氏の生き方、あり方、人生への取り組み方を端的に示しているのです。つまり、A氏が抱える「問題」の根本部分が提示されていたのです。
 彼は自分がどうしたいかも分からないと述べます。自分が分からないのです。でも、当面はこのDVがなくなればいいと考えています。DVがなくなるということは、彼にとって必ずしも好ましい結果になるとは限らないのですが、少なくとも、妻には望ましいことでありましょう。要するに、彼は自分のことを後回しにしようとしているのです。まずは妻の要望に沿うことが先決であって、自分のことは後回しでいいか、もしくは、自分のことはどうでもいいということになっているのです。
 しかしながら、これがA氏の問題の根本部分を示してくれているということは、その時にはまだ分かっていませんでした。そのため、次の(31)の私の応答は、今から振り返ってみると、いささか的外れなものになっているのです。

(31)
 もし、A氏のことをもっとよく知っていたら、ここではきっと「あなたは自分のことなんて後回しでいいし、どうでもいいって思うようですね」と言ってみるでしょう。ただ、この段階では、私はそこまで確信が持てていませんでした。それで「DVを早急に何とかしたいのですね」といった無難な応答をしているのですが、はっきり言って、その場しのぎの、気のない応答をしただけだという感じが残っていました。私は何かを感じていながら、それを把握しかねていたような、そんな気分を体験していたのを覚えています。

(32)
 A氏は一言「そうなんです」と、簡単に了承されました。おそらくA氏にはそれ以上に言うことがなかったでしょう。
 私がもう少し確信の部分を把握できていれば、もっと違った応答をし、A氏の話が広がったかもしれませんし、次の(33)で話題を変えることもなかったでしょう。

(33)
 私は再びA氏にとって「問題」となる場面に焦点を当てています。その時にA氏にどういうことが起きるのだろうかと疑問を呈しています。
 この疑問自体は問題ではないのですが、A氏には答えられないのを承知で投げかけているのです。もし、これに答えられれば、A氏のDV問題はもっと違った様相を呈しているはずです。
 なお、この質問は、A氏がどういう状態になるのかを尋ねているのであって、A氏がその行為をする理由や背景について触れているものではないのです。時々、同じ質問で、状態を尋ねられているのに、その理由や背景の方を答えるクライアントもおられます。確かに、とても答えにくい質問をしているわけです。

(34)
 案の定、A氏の答えは「よくわからない」というものでした。
 分からなくても構わないし、答えられなくても構わないのですが、こういう問いかけを一つの足掛かりとして自分自身を見直してもらうということが大切なのです。

(35)
 そこで、私は、「カッとなっている(状態)」なのだろうかと手助けをしています。これを提示されると、その時の自分がカッとなっている状態であったかどうかという観点で見るようになります。つまり、比較基準が与えられることになるのです。それと合致していれば「そうだ」ということになりますし、違っていれば「ここが違う」ということが見えやすくなると思うのです。

(36)
 A氏の答えは曖昧でした。「多少はそれもある」とのことでした。特に肯定も否定もしていないという言い方です。
 この辺りは、まだまだA氏の抵抗感が根強く存在しているようにも思われるのです。

(37)
 私の発言。それだけでない、もっと別な気持ちもあるという感じでしょうかと尋ねる。
 実は、(33)以降のやりとりというのは、「問題が生じる状況では、いかに私たちは自分自身や状況を見ることができなくなっているか」という事実を示すことに成功できればいいのです。

(38)
 先述の目的からすれば、A氏は実に理想的な応答をしてくれました。彼は「訳が分からなくなる感じだ」と答えています。
 実は、DV問題で訪れる「加害者」立場の人たちの多くは、同じような経験をされているのです。あくまでも私がお会いした範囲の人たちではそうでした。問題が生じる場面、つまり、ここではDVが発生する場面では、「加害者」立場の人も「被害者」立場の人も、とても冷静に自他を観察できないのです。訳が分からなくなるとか、気がついたら手を上げていたとか、そういう体験になるのです。
 私は決して彼らが嘘をついているとは思いません。それで罪が軽減されることを期待しているとも思いません。事実、そのように体験されているのだと信じています。
 それで、自分が訳が分からなくなっているのに、訳が分からなくなっている自分はそっちのけにして、暴力を止める方法とか怒りをコントロールする技術とかをせっせと身につけようとしてしまう人もあるのですが、それは取り組む順序が逆であると私は考えています。
 まず、その状況で自分に何が起きるのかを知っていき、その時々の二人の関係でどういうことが起きているのかを理解していくことから始めなければ、何に取り組んでいいかも明確にならず、ただ闇雲にいろんな技術習得に手を出し、そのうちのどれか一つくらいは上手くいくだろうという行き当たりばったりの希望的観測に頼るしかなくなることでしょう。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)